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【Venus of TOKYO】贋作家とゴッホ【アーカイブ】

※ふせったーに投稿した過去記事を、アーカイブとしてnoteに投稿しています。
※もう終演した公演ですが、一応ネタバレがありますのでご注意ください。

あまり推敲できていないので読み苦しいかもしれませんが、もしご興味があれば。すべては妄想です。制作側の意図とは無関係に、こういう視点で見ると楽しい、という話です。

以前、金田贋作家と菅野鑑定士の関係沼について描いた時にも触れたことの続き。
https://fusetter.com/tw/KdchZooa

贋作家は、演じる人によってまとう空気感の振れ幅が非常に大きく異なるキャラの一人だと思う。
ここでは、自分が最初に出会った贋作家であり、以来一番引き込まれている金田贋作家を念頭に置いて書く。

「画家」ではなく「贋作家」という名を背負った彼は、最初から陽向の道は歩めない。そこに贋作家の最大の魅力がある、と思っている。
孤児院で育ち、贋作を制作して生き延び、「妹」が奴隷にされるという「悲惨な」境遇から考えると身にまとっていてもおかしくない悲哀のようなものを、不思議と彼からは感じない。彼の心は常に静かに燃えているし、独特の頑固さというか、愚直さ、泥臭さ、不器用さ、人間味のようなものを感じる。暗いけれども燃えている。太陽の黒点のような。

実在の画家で言うならば、そう、フィンセント・ファン・ゴッホに通ずるものがある。

ゴッホのことは通り一遍の知識しかなかったけれど、今回VoT沼に入ってから本を読むなどして彼の生涯や考え方を知った。
何と言っても、彼が生涯で送り続けた900近い(どこかで聞いた数字だ・・・)手紙という一次資料がそのまま現存していて、そこから直接ゴッホという人間を知ることができるのは大きい。
付け焼き刃的ではあっても、手紙を中心とする文献を通じて自分の中で浮かび上がってきたゴッホという人間像は、上に書いた(金田)贋作家の人間像にとても近かった。

そういう目で見ていると、贋作家と鑑定士(特に菅野鑑定士)の関係が、当時の美術界の裏街道を行く画家ゴッホ(フィンセント)と光降る表街道を行く画商テオ(テオドルス)の関係にも見えてくる。以前もこう書いた。


泥臭く頑固に日陰の我が道を行く(あと背が低い)金田贋作家と、おそらく秘めたものがありながら美しく上品で丁寧、白い光を思わせる(あと背が高い)菅野鑑定士。
その関係は、対比がはっきりしているが故に魅力的で、日の目を見ないまま信じる絵を描き続けた兄と、画商として美術界で活躍し兄の唯一の理解者として経済的な援助を続けた弟、という兄弟のイメージと非常にダブる。
ゴッホの弟に宛てた手紙を読んでいても、チュートリアルで贋作家が報酬を要求するシーンが自然と浮かんでくるほどだ。


鑑定士だけでなく、実際の兄妹関係にある(のかどうか、本当のところはあやしい)奴隷の少女にも、テオの概念が含まれているように感じる。

ということで、そういう視点からVoTの贋作家を取り巻く物語を眺めるとまた違った楽しみ方ができて楽しい!捗る!ということを書いていきたい。

●「それはオークションが終わった後だ」

生前ゴッホの作品は一枚しか売れなかった、と言われる。
それは印象派さえ異端扱いしていた当時の画壇が彼の絵を評価しなかった、ということはもちろんあるが、それ以上にゴッホが「全作品を弟のテオという画商に売り渡した画家」であり、テオは「兄の全作品を買い取り、決定的瞬間までそれらを保持しようとした画商」であった、という2人の兄弟の関係に依るところが大きい。
ゴッホが制作した作品は基本的にテオに送られ、所有権はテオが保有した。テオが兄に送金し続けた月150フランは、画家ゴッホに対する報酬だった。

つまり兄と弟の関係は、同時に画家と画商の契約関係でもあったということ。
(という観点からゴッホの生涯を書き起こした本が、新関公子『ゴッホ契約の兄弟』。おすすめ)

この関係から贋作家と鑑定士を見ると、
・ヴィーナスの左腕と黄金の林檎の制作を依頼する鑑定士
・制作し鑑定士に手渡す贋作家
・報酬をよこせという贋作家の要求を「それはオークションが終わった後だ」と退けたり、「約束が違う」と言う贋作家に対して「落札したあの奴隷、お前に支払う金はあるのか?」と煽り、あくまで主導権は自分にあることを示す鑑定士
・護衛に蹴り倒される金田贋作家を気遣う菅野鑑定士
・エンディングで少女に振りほどかれて膝をつく贋作家を助け起こすような振りをする鑑定士
といった2人の関係がより深い色を帯びて見えてくる。

ちなみに画商テオの妻ヨハンナ・ボンゲル(通称ヨー)はピアニスト、ではなかったが、名家の生まれで非常に教養が深く、早くからゴッホの作品の価値を見出していた。テオの死後いち早くゴッホの作品公開の準備を始め、20世紀初頭から急激に高まったゴッホの評価に呼応して次々に回顧展を開催、そのすべてを取り仕切った。膨大な手紙も取りまとめ、書簡集を出版した。彼女がいなければ、今日のゴッホ評価、ゴッホ研究はなかったとまで言われているそうだ。

その意味で、彼女はゴッホという画家と作品を「未来に送った」人、と言っても良いのかもしれない。

●「やっぱり、俺の心を理解してくれるのは、妹だけなんだ」


贋作家が医師に向かって言うこのセリフは、端的にゴッホのテオに対する思いと同じ。

どんなに画壇や一般社会で理解されなかろうと、テオにはこの絵の価値がわかるはず。特に初期のゴッホは手紙に素描を書き込んで、自分に言い聞かせるかのように何度も何度も「君にもこの絵の/構図の/モチーフの素晴らしさがわかるだろう?/わかるはずだ」とか「今度来てくれた時に見せるのが待ち遠しいよ」「君がここにいてくれたらなあ!」と書いている。
もちろんそこには、作品だけではなく彼自身の境遇や、画家という道を進み続けることへの理解、という意味も含まれていたと思う。

●「その裕福な者を見下す態度に、強く惹かれた」

孤児院出身の贋作家は、「芸術など、ただの飾りさ」と高価な美術品を売り買いする裕福な者たちを揶揄しながら、贋作家として自らの道を生きていこうとする。

ゴッホもまた、当時画壇の主流であった権威主義的なアカデミズム絵画の潮流を激しく嫌い、貧しい民衆の中に入って、『ジャガイモを食べる人々』に代表されるようなありのままの民衆の姿、ありのままの自然の姿を描き続けようとした。
https://media.thisisgallery.com/works/gogh_11

画家としての技術をほぼ独学で身につけていくにあたり、ゴッホは頑固すぎるほど頑固に素描にこだわり、油彩に着手したのは大分後になってからだった。
我が道をゆく自分の才能と成長を信じ切っているのだけれども、そのすぐ裏側には暗い不安が横たわっているような姿は、手紙からも痛いほど伝わってくる。

●「一つだけ、理由の分からない感情がある」

VoTで贋作家の物語の鍵となる、4つの白い絵。
それぞれの絵が対応している4つの感情のうち、唯一、ゴッホの作品のタイトルになっているものがある。

それは「悲しみ」(Sorrow)。
贋作家のアトリエに飾られている絵のテーマと同じ。
https://www.vincentvangogh.org/sorrow.jsp

油彩ではなく素描作品。欄外に書かれているのは「捨てられて、ただひとり女性がこの地上にいるなんてことがどうして起こるのか」というジュール・ミシュレからの引用。
ハーグ時代に出会って共同生活をしていた、貧しく病んでおり子どもを持つ妊婦の女性・シーンをモデルとして描かれたもの。

ゴッホはこの「悲しみ」をテーマに素描を描き進めていた時の感情を、ミシュレの本からの引用で手紙に記している(二見、2010)。

だが、心の空虚が残る
何をもってしても充たされぬ空虚が

ギャラリーの封筒によると、VoTの4つの白い絵は、「怒り」「喜び」「悲しみ」「恐れ」の4つの感情を伝えようとして少女が描いたものとされている(たしか)。その中で「一つだけ、理由の分からない感情がある」と書かれている。

これについて、以前フォロワーさんが書かれていた考察に、なるほど!!!!!と思ったものがある。

・「理由の分からない感情」とは「恐れ」であり、一般的なイメージと合わない「恐れ→緑色」は、緑の部屋を表している。
・少女は富豪に買われてから、従順な奴隷にしたい富豪と人体実験をしたい医師によって、輪廻を無理やり摂取させられていた。
・医師が「何か酷い経験をしたのだろう」と言っているのはそのこと。
・少女は緑の部屋も訪れたことがあり、未来から来た女を見て「恐れ」を抱いた。それが緑の絵に反映された。
(うろ覚えなので正確でなかったらすみません。。)

この線はかなりあると今でも思っている。
根拠のうちの一つを挙げると、たとえばエンディング冒頭部分の振り。
鑑定士を皮切りに皆が次々に立ち上がってステージ側へ向かうシーンの動きは、オープニングでneomoteを外しにバーカウンターへ向かうシーンの動きと鏡のような関係になっている。と思っている。

この2つのシーンでは、いくつも意味のある動きがある。
OPでもEDでも、医師とシェフは握手をする。OPではシェフが富豪の手を払いのけ、EDでは医師が鑑定士の手を払いのける。写真家はOPでは一人離れて踊り、EDでは護衛とにらみ合う。

この中で、EDに少女が医師の肩に手を添え、それを医師が見てそっと払うような動きがある。
最初気のせいかと思ったけれど何回見てもどのキャストもやっている。上の考察のような医師と少女の関係を前提にすると、しっくりくるのかなと思った。

それから、仲間外れの感情の色が「緑」、というのも根拠として挙げられる。ここがゴッホとの関係。
ゴッホはほぼ独学で色彩学の体系的知識を習得した。自らの色彩論を長々と披露するテオ宛の手紙が残っている。以下、手紙からの引用。

古人たちは黄、赤、青の三原色しか許さなかった(中略)事実、それら三色のみが分解不可能、かつ、還元不可能なものである。(中略)「原色」という名称が、これらの色のうち混合色である三つの色に適用できないことは明らかである。なぜなら、(中略)緑は黄と青の混合により(中略)得られるからである

(新関、2011)

つまり黄(=喜び)、赤(=怒り)、青(=悲しみ)は還元不可能な原色だが、緑(=恐れ)だけは混合色なのだ。「仲間外れ」と言っても差し支えないように思える。
また、同じ手紙でゴッホはこうも書いている。補色について述べた部分。

緑を作るために黄と青を結合すれば、この緑は赤の真近か【ママ】に置かれることによって強められるだろう

(同上)

「恐れ」の緑を抱いた奴隷の少女は、「怒り」の赤を象徴する富豪の間近にいる。
なんだかゾクゾクしてきませんか。

さらにちなむと、この色彩論のお手紙の書き出しはこう。

親愛なるテオ 色彩についての興味深い文章、つまりドラクロワが信じた大原則を同封しておく

(同上)

ゴッホは自身の色彩論を、ドラクロワから学んだものとして咀嚼し書き起こしている。ドラクロワの名前はゴッホの手紙には何度も登場しており、大きな影響を受けていたことがわかる。

贋作家―ゴッホ―ドラクロワ―ショパン―医師/未来から来た女。全部がつながって見えてくる。
(ショパン/ベートーヴェンと医師/未来から来た女の綺麗な構図については、 https://fusetter.com/tw/LFA33mXT に)

●「この異常なまでの色彩感覚……あなたはもしや、シナスタジアか?」

ゴッホは、シナスタジアだったと考えられている。
シナスタジアとは、一つの刺激に対して別の感覚までもが働く症状のことだ。そう、例えば色。by医師

ゴッホはいつも色を音と結び付けてとらえていた。音色のグラデーションについて理解を深めるために1885年にはピアノを習い始めたが、レッスン中に彼が音を色で例え続けたためにピアノ教師から頭がおかしいと思われて長続きしなかった、という逸話がある。
手紙の中でも、物事を様々な色で例える表現がたくさん出てきた。

発病後のゴッホは、1890年5月、最後の70日間を過ごしたオーヴェール=シュル=オワーズで、新しい主治医と出会う。それが精神科医のポール=ガシェ。
ガシェ医師は熱心な美術愛好家で、アマチュアの画家でもあった。ゴッホの才能を賛美し、後に互いを理解し合い深い友情で結ばれるのだが、初対面の印象は緊張感もありあまり良くなかった。手紙からの抜粋。

ガッシェ博士にあったが、かなり変わり者のような印象を受けた。しかし、医者としての経験から、神経症と戦いながら精神の平衡を自分自身で保っているのに違いない

(新関、2011)

ぼくはガッシェ博士を絶対あてにすべきではないと思う。第一、彼はぼくの見たところでは、ぼく以上に病んでいるか、ぼくと同じくらいだ

(新関、2011)


「触るな」から始まって「やっぱり、俺の心を理解してくれるのは、妹(→弟)だけなんだ」で終わる贋作家アトリエでの医師との会話が、初対面の日のゴッホとガシェ医師の間で本当に繰り広げられていてもおかしくない、と思うのは飛躍しすぎか?

ガシェ医師をVOIDの医師と重ねて考えられる要素は他にもある。

後に2人が友好を深めた後にゴッホが描いた医師の肖像画「医師ガシェの肖像」。
https://media.thisisgallery.com/works/gogh_27

テーブルの上に、花をつけた植物が置かれているのがお分かりいただけるだろうか。
これはジギタリスという植物で、当時は薬草として有名だったが、毒性があり副反応が強いため、今日ではあまり使われなくなっているという。医師を象徴するモチーフとして描かれた。今は色あせているが、元々は赤紫色だったらしい。
毒性のある薬草……あの花……「あの日見た花の名前を僕達はもう知ってる。」

ガシェ医師はゴッホの死にも立ち会った。

そして、ガシェ医師の墓はパリのペール・ラシェーズ墓地にある。そう、ショパンが眠っている墓地だ。
VOIDの医師が敬愛するショパンの、「肉体」が眠っている場所。

●拳銃

ゴッホは1890年7月、オーヴェールの麦畑付近で、「拳銃」を用いて自殺を図った(とされている)。傷口が銃創であったことは間違いない。しばらく意識はあり、弟テオが駆け付けたときにもまだ会話ができる状態だった。2日後、テオに見守られながら息を引き取った。37歳。

テオは妻宛ての手紙に書いている。

オーヴェルに着いた時、幸い彼は生きていて、事切れるまで私は彼のそばを離れなかった。……兄と最期に交わした言葉の一つは、『このまま死んでゆけたらいいのだが』だった

(新関、2011)

そのテオも、その後急激に体調を崩し、半年後、ゴッホの後を追うように死去した。

エンディングでゴッホと同じように身体を拳銃で撃ち抜かれる贋作家が、黄色エンドで少女(と招待客)の願いが通じて息を吹き返すのだとすれば、それは常に心は兄とともに在ったテオの願いが通じてゴッホが生き延びた世界線、という構図にも見える。
ゴッホとテオの生涯を追ってからあのシーンに出会った時に、そういう見方も重なってさらに神々しい光景に見えた。

参考文献

・H.アンナ・スー『ゴッホの手紙 : 絵と魂の日記』(西村書店、2012年)
・新関公子『ゴッホ契約の兄弟 : フィンセントとテオ・ファン・ゴッホ』(ブリュッケ、2011年)
→この本がすごく面白かった。従来のゴッホ研究にとらわれず、一次資料を厳密に検討してゴッホ兄弟の生涯を描き出す。ゴッホのものとされている有名な作品にも贋作が交じっている、として、それを論理的に考察していて説得力がある。VoT関係なく、考察好きには是非おすすめしたい一冊。関係ないが、図書館で借りたこの本にシャネルのムエットが挟まっていた。しおりお洒落すぎない?
・二見史郎『ファン・ゴッホ詳伝』(みすず書房、2010年)

・ファン・ゴッホ美術館 書簡全集 ウェブ版 https://vangoghletters.org/vg/letters.html
→とっても便利。現存するすべての書簡の原文と英訳が無料で閲覧可能。註も豊富、キーワード検索もできる。英訳版を”void”で検索したら4件ヒットした。

(2022年3月30日(ゴッホの誕生日)投稿 元記事@ふせったー

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