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【複数の言語で手刷りした「愛した方がマシ」に込めた思いについて】

「ありのままで生きるくらいなら愛した方がマシ」というテーマで、
新しいアイテムを発表した。
古着再構築で作った過去作品を「再加工」して完成させたアイテムが主なラインナップだ。

そのテーマを選んだ理由は別の投稿に書かれてるからはぶくとして、
英語、フランス語、ヘブライ語、韓国語、中国語、アラビア語といった
「複数の言語で手刷りした理由」について、
3つの昔話を交えて説明したいと思う。
少し長いので、ひまなときに読んでもらえたらうれしい。

1,
僕は高校卒業後、20代前半で単身イスラエルに向かい、半年間留学生活をした。
現地で住み込みで働きながら、現地の若者たちと会話を重ねることで、
日本にはない環境や体験の中、創作のインスピレーションを得ながら、
同時に英語習得もできるんじゃないか、という目論見だった。

当時画家になることを目指していた幼い自分は、
美大に行くよりも、こっちの方が勉強になるはずだと、
これを「留学」と名付けていた。

僕が尊敬する画家やアーティストは皆口を揃えて、
知識や技術よりも、どうしてもこれを描きたいと思う感動や衝撃の方が大事なのだ。
と述べていたことからも、この判断への確信はあった。

けれど帰国して、大したものを得てない自分に気が付いた。

生活することや環境に適応することに精一杯で、
僕が得たものは、知らない人や環境相手でも意見を伝えるための少しの図々しさと
日常会話程度の英語と、挨拶程度のヘブライ語(イスラエル公用語)
絵なんて、1,2枚程度しか描いていなかった。

2,
それから10年の歳月が過ぎて、僕はファッションデザイナーになっていた。
身近な人にすら認められることなく、一年に一枚売れたら幸せだったくらいの自分の作品は、
海を超えて山を超えて、アメリカやヨーロッパからオーダーや問い合わせをもらうことも少し増えた。
そして、あの頃は生活することで精一杯だったイスラエルからの問い合わせも。
嬉しかった。届けたい、伝えたい先が増えていく。身近な人を振り向かせたいって思いを原動力にしてきたけれど、
その身近が広がっていく。一ヶ月のヨーロッパ放浪も経て、そんな思いが膨らんでいた。

3,
2023年夏頃、とある考えが頭にうかんだ。
どうあがいても、どんな美辞麗句を並べても、ファッションとは「選別と加工」の文化だな。ということ。
ありのままの姿を肯定したいとか、赤裸々な状態すらも肯定するブランドにとか、
そんな思いでテーマに決めた「nisai(青二才=未熟者・半端者を意味する言葉)」だった。
終わらない服を、いつまでも続く服をと、思いを込めて取り組み続けた「古着再構築」という手法だった。
けれど自分の中でいつも小さな矛盾を思っていた。
SDGsという言葉を使いながら、すでにあるものを量産しつづけようとする、
各企業やベンチャーの発信にも引っかかるところが多かった。
自分は一体、彼らとどこが違うと言い切れるだろうか。
日々悩んでいた。

結論,
僕は、ファッションは「選別と加工」の文化だ、ってことに、目を背けるのをやめることに決めた。
僕は、服を作る上での古着素材を、吟味して選ぶ。
僕は、1000着見て、1着だけ選ぶこともある。
僕は、SNSでよく流れてくるような、同じような切り替えのリメイクTシャツは絶対に作らないと決めてる。
僕は、自分の服が、他と違うものになることを大切にしてる。

ありのままでいい、環境に配慮していればいい、そんなことを、思わない。
いいものでなければ、作る意味がない。
元々の素材より価値となるものじゃなければ、解体する意味がない。

僕は、選別と加工をしてる。
けれど、愛情と責任と覚悟をもってる。
好きなだけで、楽しいだけで、服を作らない。
微妙だな、と思ったものが出来上がったら、また壊して、もう一度加工を重ねる。

それがnisaiだ。その思いそのものが
「ありのままで生きるくらいなら愛した方がマシ」というテーマだ。

そしてこんな思いこそが、
僕以外だって誰もが抱えているような「ありのままと加工の間で悩む状態」にとって
普遍的な優しさをもったメッセージになるんじゃないか、と思ったのだ。

-It's still better to love than live myway-

20代前半に放浪した、イスラエル(ヘブライ語)
最多渡航回数、台湾(中国語)
色彩感覚において自分が一番大きな影響を受けたパウル・クレーが愛した国、チュニジア(アラビア語)
現代ファッション表現に取り組む以上無視できないエリア・パリ、韓国(フランス語、韓国語)
そして多くの国で通用し、コミュニケーションしてきた、英語。

この言語を使った先に届けたいと思う人や場所が、
明確にイメージできる
それが、この六言語を選んだ理由だ。

そして、日本語だけは、訂正前をそのまま残す形にした。

「ありのままで生きるくらいなら死んだ方がマシ」
って思いの向こうへ
いつでもアクセスできるように

退屈に生きるくらいなら、壊してしまおう
壊しておわるよりは、愛していこう


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