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宮崎駿制作中・ジブリ新作映画「君たちはどう生きるか」と、同名の小説(原作:吉野源三郎)と、"山本有三"との深い関連性。

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三鷹駅から吉祥寺駅までの帰宅道中、庭園が併設された人気のない記念館を見かけた。駐車場も駐輪場もまばらで、自分以外の来客者はいない様子。

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ここは、今ふらっと立ち寄らなければ、今後一生立ち寄ることがない場所かもしれない。

そういう場所ってあんまりないなと思い、なんの記念館かも知らず、好奇心だけで入場。

「山本有三」という、大正時代から昭和にかけて活躍した、作家・編集者の方が昔住んでいた邸宅。そこを改装して作られた記念館とのこと。

作品を読んだことも聞いたこともない方の記念館は、色々なものが置かれていたけれど「むかしの人のおうち」という印象以上に何も得られず、それはそれで虚しくて良いなと思い探索していた。

ある企画部屋の一角に、強い見覚えのある展示物があった。

今、スタジオジブリにて制作中の宮崎駿監督新作「君たちはどう生きるか」

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その作品の原案・同名の小説(原作:吉野源三郎)の初版本が、そこには置かれていた。

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現在流通しているこの本の「原作」欄には「吉野源三郎」と書かれている。

しかし、展示されていた当時の発売告知チラシには「原作・山本有三」と表記されていて、初版本には「共著・山本有三・吉野源三郎」と表記されていた。

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これはどういうことか。

同企画部屋に解説が飾られていた。

「この本は、当初山本有三が書く予定だったが、目の病を患い、文字が書けなくなった山本が、自分の弟子である吉野源三郎に執筆を託した作品。なので、発売前は山本有三本人が作者として発表され、発売後は共同作品として発刊されたが、今は実際に書いた吉野源三郎のみの原作表記となっている」とのこと。

「未来の日本を背負っていく、少年少女たちに向けた本を」
という強い思いで、
山本有三が当時企画・編集した「日本少国民文庫」シリーズ
("少"は少年少女を意味していたとのこと)

「君たちはどう生きるか」は、その最終作。山本有三にとっても集大成となるものを書く予定だったはずだ。しかし、本人は完成させることが叶わず、一番弟子に完成を託した。

それを見た瞬間、宮崎駿との関係性を、強烈に感じた。



宮崎駿は、多くのインタビューや書籍で「子どもたちに向けた映画を」というメッセージを繰り返しに話し、残している。それは決して、勧善懲悪のわかりやすい作品や、単純簡潔な作品をって意味で使われる「子ども向け」ではなく、むしろ真逆。

「おもしろいものは、この世界にいっぱいある」「どうして生きなきゃいけないのか」「複雑なものを複雑なまま描く」「憎悪や殺戮のさ中にあっても、生きるにあたいする事はある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る」なんていう、自身の創作につながる強固な価値観。そして彼は、それをこそ「子どもたちに向けた映画」と捉えていた。


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「本へのとびら」という本がある。宮崎駿が、自らが強い影響を受けてきた児童文学と、その挿絵の世界について熱を持って解説してくれる一冊だ。

−これらが、子どもに必要なもの。これらこそが、自らが学び影響を受けてきたものだ−

と、数々の作品を、自分の作品や創作論と関連付けながら解説してくれる。読みやすく読み応えのあるライトな名著だ。


そして、「君たちはどう生きるか」

重ねて記録する。
この本は、本の内容だけじゃなくて、生まれた背景に強いストーリーがある。

少年少女の為の本を作り続けて、
その最高傑作を書く最終段階で病に落ち、
弟子に託した"山本有三"

まるで、誰かそっくりじゃないかと思う。

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80を迎えようとする今、最後の作品として取り掛かることを決めた宮崎駿。「風立ちぬ」の頃も(その前も何度も)、「これが最後です。本当に引退です。体力的にも頼れるメンバーの余力的にもこれ以上は難しいです」と言っていたけれど、今回は本当に、年齢や制作メンバーっていう理由以上に、「君たちはどう生きるか」を題材にしたことそのものが、これが最後の作品になるんだなってことに、想像と合点がいく。

今回は、今までのジブリの作品と違って「納期を設けない」「完全に納得できるところまで作りきってもらう」と、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫が発言を残している。

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NHKで放送されていた「君たちはどう生きるか」の制作にまつわるドキュメンタリー内で「これで途中で亡くなったら伝説になりますね」と二人が笑う数秒だけのシーンがあった。

当時僕は、それを、その言葉それだけの意味でしか捉えられなかった。

でもそれは、ふたりがただ冗談を言い合ってる微笑ましいだけのシーンじゃなかった。

「君たちはどう生きるか」がどういう内容か、ではなく、どういう風に生まれた作品か山本有三がどんな人だったか、基礎知識があってはじめて見えてくる、色々な意味を含んだ二人ならではの冗談・やりとりが、あのシーンには宿っていた。

この記事は、別に、そうか、ということは、宮崎駿本人が、山本有三みたいに制作途中・道半ばで弟子に託すつもりの表れなんだな!って言いたいわけじゃない。その発見をしましたよ!って分が核にある話じゃない。

宮崎駿が師匠として生涯追い続けていた監督・高畑勲が亡くなって、宮崎駿全作品で「色彩設計」を担当していた保田さんも亡くなって、上の年代、下の年代問わず、大勢の仲間たちと別れを経てきた本人の系譜と、原案となっている「君たちはどう生きるか」の系譜を関連付けると、宮﨑駿が、そのくらいの覚悟をもってして決めたものなんだなと、想像が強固なものになる。

「宮﨑駿の新作」って意味だけでしか捉えてなかった「君たちはどう生きるか」が、もうちょっと想像や妄想の余地が生まれて、イメージが広がって、頭の中にあった意味をもたない断片が、意味と役割をもつパズルのピースになって、少しずつハマっていく、その想像が、過程が、楽しかった。出会いだった。散歩、いいなって思った。そんな日記だ。

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ふらっと立ち寄っただけの記念館にて、記憶の中のとある数秒のシーンが、忘れられない永遠に変わった。

それだけで、十分な収穫。

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魔女の宅急便が一番好きです



※2021.7.20 追記

無意味な断片が、意味と役割をもつパズルのピースに変わる瞬間。その楽しさは、自分がやり続けている「古着再構築」の楽しさにもつながるかもしれない。

真に楽しいことは、「組み合わせる段階、完成する段階、認めてもらう段階」じゃなく、それよりもっと前の、「ピントを合わせなければただの無意味な断片に、ピントが合う瞬間、別の用途を見出し、それを粉砕することなく、出来る限りそれをそのままに、別の意味や役割や用途へ、翻訳できた瞬間」それそのものなのだ。

「死んだら伝説になりますよ」という言葉が、その言葉だけの意味じゃなくなること。青空が、青い空だけじゃなくなる瞬間。異性が、ただの異性じゃなくなる瞬間。そういうことが、嬉しいし、生きてる実感になる。

空に浮かぶ雲をなにかの生き物のように見出すことや、名前をつけること、何気ない景色や、観光地でもなんでもない場所や駅にふらっと降り立って、それでもそこに、なにかの魅力や見るポイントを見出す力。そういうことを、ひっくるめて愛してる。どんな場所にも、愛はある。周波数が合えば、交流できる。海でも、雲でも、空でも、月でも、名前も知らない作家の記念館でも、意味をもたない単語でも、だ。
そして、交流できれば、友達になれる。友達になれば、楽しいし、ときめく。ときめきとは、生きがいだ。

見る力を鍛えること。周波数を合わせるための波長サンプルを集めること。そうやって断片と向き合って作る服のことを、恋愛をテーマにした服、と呼んでいる。


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