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僕たちのビートルズ

ビートルズについて考える時にいつも思うことがある。  

それは、
僕たちはあまりにもビートルズの曲を聴きすぎたせいで、どの曲が本当にいい曲なのかが分からなくなっているんじゃないか?
という事だ。  

例えば「君が代」がいい曲なのかどうかなんて、もはや誰にも分からないように
「Let it be」や「Help」は、本当にいい曲なんだろうか?  

もちろん、いい曲の定義は人それぞれだ。
曲の構造が優れている、ハーモニーが素晴らしい、コード進行が斬新だ、云々。  

でも僕が言いたいのはそういう話じゃない。テクニックの話じゃない。
胸を打つ度合いの話だ。エモーションの話だ。
いい曲は、単純に、シンプルに、胸を打つ。  

ジョンの歌声に最後に胸が震えたのがいつだったろうか?アビーロードB面に最後に感動したのはいつだったろうか?
思い出せないほど遠い昔ではなかろうか?  

それでも僕たちはビートルズを最初に聴いた時の衝撃が今だ忘れられずに、今日もまたラバーソウルに、リボルバーに針を落とす。  

そしてそこで鳴っているのは
噛みすぎて味のしなくなったスルメのような「In my life」だったり、
経年劣化したデザイナーズ・マンションのような「Tomorrow never knows」だったりする。  

これらはもはやいい曲なのかどうなのかとか、そういった次元ではない。  

ただただ無意識に、記号としてのラバーソウルを、記号としてのビートルズを、いってみればひとつの「習慣」として聴き続けているだけではなかろうか。  

・・・そう、ふと思い出したのだけど
僕は子供の頃に生まれて初めてカップ焼きそばを食べた時のことを覚えている。
こんなに美味いものが世の中にあるのかと思った。あの体験はまさに魂の震えだった。  

だから今でもたまに、特に食べたくもないカップ焼きそばを無意識に買ってしまうことがあったりする。  

要は、そういう事なのである。  

でもこうも思う。
ジョンとポールとジョージとリンゴ。
4人が残してくれたのは色褪せてしまった名曲たちだけではない。  

レンタルショップで借りてきたホワイトアルバムをいそいそとテープにダビングしたあの時間。

リマスター発売された時にインナージャケットに写っていた、初めて見る4人の写真の眩しさ。

ジョージが亡くなる直前、ポールは彼のもとを訪ね、昔話を延々と語り合ったという逸話。

そういった諸々を含めたものがビートルズの魔法なんだ。

#ビートルズ #beatles

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