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正しさの先

こんにちは。
コンプライアンスというものが流行っています。日本語訳すると法令遵守なのですが、日本人のいじらしいかわいらしいところで、拡大解釈が横行していて窮屈な思いをしています。

コンプライアンスを聖人君子のような振る舞いへと昇華させていこうとしているようで、だれかに突っ込まれる可能性があるならやめておこうという突飛な場所まで行っているような気がします。
それが悪影響を与え、自分が正しくて他人が間違っているということを無記名で糾弾する風潮が年々ひどくなっています。

自主規制、自粛といった形でやらないことを善とするような状況がどんどん進行すればその先には良い悪いのいずれかしか残らないような気がしてきています。

良い悪いというのはある一つの視点から見た場合の価値観なので、視点を変えればよい悪いは反転します。
視点次第でどうとでもなるのですが、人は自分の視点にこだわりますから、自分と違う人を攻撃してしまうのです。
メディアも悪乗りしますから、少数派が糾弾されたり、尋常でないことをやめたり、拡大解釈誇張をして世界を人方向に誘導していっています。

多様性という言葉がわざわざ出てくるということはこの世には多様性が減ってきているということになります。
性の多様性なども定義することで区別と差別が生まれ人によっては攻撃材料にもなります。

本来世界というものはグラデーションでできていますから、ゆったりとして、愛を持って暮らすことができる場所だと思います。

今の世界はだんだんと方向をそろえていますから、言論に自由が減ってきています。
だからこそ敢えて間違いを許容する環境を必要としているのです。

間違いというのは正しさの逆ではありません。正しさとは価値観を基準にしたあいまいなものです。
間が違うだけですから、それは新しい音楽であるとも言えます。

個人の意見を発信することが可能になったということは糾弾されやすくもなったわけです、が、私は勇気をもって自分の信じていることを発信していく人たちを尊敬しています。

こどもたちが一つの価値に比重を置くことなく、軽やかにボーダーレスに生きられる社会のため、大人が今一度執着を手放す努力ができればと思います。
小さなでも数が増えれば流れができますから、気が付いた人たちから順に柔らかい心で世界を拡げていってほしいものです。

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