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序列の外にいる外国人は今日もスーパーでヨーグルトを買う

ここ最近、職場の同僚の子ども(5歳、男児)に悩まされている。

以前からその5歳児には精密ドライバーでカバンを傷つけられたり、しょうもないちょっかいを掛けられることが増えていた。しかし、相手は同僚が溺愛する一人息子だし、同僚もあまり怒る気配がないことから、自分がいくら怒っても仕方がないように感じていて、物理的に5歳児とは距離を置くように心がけていた。
そこから1か月ほどの月日が経ち、そもそも5歳児が職場に来る回数も少なかったことから、私は快適に講師たちが使う休憩室でPC作業が出来ていた。しかし、それが今回の油断に繋がってしまったのだ。

その日は休憩室の隣の教室で同僚が授業をしており、5歳児もその教室にいた。休憩室とその教室はドアで繋がっているので、簡単に行き来出来てしまう。しかし、根本的に部屋は違うから、わざわざ他の部屋に移動しなくても良いだろうとと思い、私は休憩室で授業の資料の確認等を行っていた。
本来なら、それで1日が何事もなく終了したはずだ。しかし、この日の他の講師たちは会議が近かったせいか、休憩室に色んな講師が来て、その度に同僚も休憩室に来て、しばらく話す状態が何回か続いた。

当然、同僚が来たら5歳児も一緒にやって来る。しかし、母親が他の人と話している時、当の本人は暇である。だから修理する予定のPC本体に乗って大人の注意を引こうとして母親に怒られたりする。さらに、何度も私の所に来ては、キーボードを叩いたりして邪魔しに来る。しかし、反応しても5歳児が喜ぶだけなので、完全に無視した。そして何回か5歳児の襲来をフル無視し続けた結果、ボールペンでキーボードに落書きをされた。

落書きをされた瞬間、咄嗟に大きな声で「エイ?(なぜ?)」と言った。すると本人もビックリしたのかヘラヘラ笑っていた顔が驚いた顔に変わった。そして、その場にいた同僚もビックリした顔をしていた。私は腹が立ってしまい、すぐに荷物を持って休憩室を出た。

キーボードカバーをしていたことが不幸中の幸いであった。しかし、だから良かったねという話ではない。(だいたいスリランカではこの時点で良かったね、になる)もし、キーボードカバーをしてなくてPCに直接落書きをしていたら?約10万するノートパソコンの傷付けて、それを弁償するお金も支払えないくせに、なぜそんなことが出来るのかも分からないし、その場にいる母親がなぜ注意しないのかも理解できなかった。というか、それ以前に人のものを叩いたり、傷付けたりしちゃいけないのに、それすら理解できていない子どもを職場に連れてきてほしくない。

しかも、こんなことをされるのは私だけで、他の同僚やディモ達(TA)にはそんな素振りを見せなかった。これは私の推論でしかないのだが、5歳児にとっての外国人はスリランカの序列ピラミッドから外れている存在なので、何しても良いと思っているのだろう。

元々、スリランカ社会では年功序列の価値観が根強い為、年上の者は年下の者にティーやご飯を与えることは当たり前だし、年下の者は年上の者を敬うのが常識としてある。だからこそ、血縁関係ではなくとも年上の仲の良い人を「アッカ(お姉さん)」「ナンギー(妹)」と呼び合う風習さえある。
しかし、これはあくまでもスリランカ人同士の感覚であり、どうやら対外国人には適用されないらしい。例えば、地方に住んでいる友人の場合だと、知り合いの8歳子どもに最初は呼び捨てで名前を呼ばれたらしい。しかし、その現場を見た子どもの母親がすぐに「アッカ(お姉さん)と呼びなさい」とその子に注意したそうだ。

スリランカで外国人として生きているからこその経験だと思うが、やっぱりどこに行ってもスリランカ社会の制度、序列からは常に外れている存在なんだと、友人と話す中で感じる。
スリランカで生活し始めてしばらく経つが、首都コロンボに住んでいるということもあり、社会に馴染んだ感は全くない。バスに乗った時は常に子どもにガン見されるし、中には〇ッキーを見付けたかのように嬉しそうに真正面から指さしてくる子もいる。街を歩けば、自転車に乗った男の子達に歩行を邪魔されるし、「ニーハオ」とか「アニョハセヨ」とニヤニヤしながら言ってくる人もいる。

何というか、彼らは自分が安心安全な所にいると勘違いしている気がする。

一応、私もあなたと同じ地面を踏んでいるんですよ。
一応、私も3食スリランカカレー食べているんですよ。
一応、私もこの国で働いているんですよ。
一応、私もこの国の公用語の一つであるシンハラ語を喋るんですよ。
一応、私もスリランカ家族と一緒に暮らしているんですよ。
一応、私も同じ人間で、嬉しいとか悲しいとか感じるんですよ。

やろうと思えば、指さしたその手を掴むことだって出来るし、行く先を邪魔する自転車を倒すことだって出来る。(それ以上のトラブルになるからやらないだけ)それを知っているのか、知らないのか、ただ無自覚なのか分からないけど、なに言ってもいい、なにしてもいいって思われている気がして、いつもそういう場面に出会うとモヤモヤする。(100歩譲って子どもは仕方ないと思う)

恐らく、これはスリランカならでは問題ではなく、世界中のどの国でもある多数派によって作られた大衆の中で生まれる問題なんだと思う。しかし、一番の問題はこの問題そのものが多数派の中にいる時には気付くことすら出来ないことだ。
無自覚に少数派の者をコンテンツとして見てしまうし、扱ってしまう。例え、それが同じ国に住む同じ人間であっても、スーパーで何を買ったのか、飲み物は何を飲んだか、毎回購入するヨーグルトは何なのか、だけでも話題になる。まるで私は歩く〇ッキーだし、大衆はそれを見て消費する観客のようだ。

ぶっちゃけ、この話には終わりはないし、ダラダラこのことを考え続けたって意味はない。今はこの歩く〇ッキー状態を楽しむしかないし、日本に帰国して多数派になった時は本当に気を付けようと思う教訓が出来た。その上、無自覚な多数派というものは日本に限らず、どの国でもいることを知れたのは、個人的に収穫である。
そして今、私に一番必要なのは、そんなモヤモヤを抱えながらも荒ぶらずに、いかに自分の中で整理して、素敵に振る舞えるかどうかである。相手と同じ土俵に立つことは簡単だ。相手と同じことを同じようにやればいいのだから。しかし、それで一時は気が晴れたとしても長期的にみると私はハッピーではない。自分がちゃんと納得できるようなラブリーで素敵な立ち振る舞いを戦略として、考えていきたい。

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