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お弁当工場でアルバイト(2)

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作業場に到着すると、もう既に作業が始まっており、私はパスタの麺を計量するように言われた。そして、男の子は計量したパスタを容器の中に綺麗に入れる。作業場では、ラインを囲むようにして人が配置され、流れ作業で一つのお弁当が完成するシステムになっている。例えば、パスタなら、パスタを入れる→ソースをかける→具材を盛り付ける→蓋をする→完成、のように。そこのラインの責任者は外国人の女性で最初はぶっきらぼうな印象が強かった。

食品工場と言っても、ひたすら同じ作業を繰り返す訳ではなかった。ある一定の数を作り終えたら、今度はまた別のお弁当を作り始める。その度に、麺が何グラム、野菜が何グラムと変わり、盛り付けの写真を見ながら、新たな作業をこなしていく。
とは言え、こんな事を誰かが教えてくれる訳でもなく、急に終わったかと思えば、掃除をして、また新しい作業になるものなので、最初は訳も分からず、言われたことをやるまでだった。
何度かその流れを経験すると、少しづつ何をするのか分かってくる。同じ作業場にいた私と男の子以外の人は、ほぼ外国人で基本的に業務の会話以外は各々の現地の言葉で喋っている。その人達の会話に入り込むことは、ほぼ不可能だったが、それでも外国語が飛び交う中でひたすらレタスを入れる作業はかなり興味深いものだった。
それでいて、当初インパクトが強かったラインの責任者は外国人の女性は時間が経てば、経つほどに、めちゃくちゃまともな人であることが分かってきた。責任感がある故に、何かが起こったらすぐにその場に駆け付けるし、時間管理、作業効率まで考えている。だからこそ、ラインの責任者を任されているのだろう。最初のインパクトは、ただ日本語が少し強く聞こえてしまっただけだったのだ。

男の子は大学生ゆえの生意気さなのか、責任者の女性の指示に対して「OK、OK」や「はい、はい」と返事をする。それは外国人であるなしに関係なく、相手に対して失礼ではないか?と思いつつも、私は2人の様子を見ていた。すると、責任者の女性は男の子に対して「はい、は一回で十分!」と言い放ち、またしても責任者の女性のまともさを感じていた。
一括りに外国人と言えど、アジア系の人もいれば、フィリピン系の人もいる。日本語の上手な人もいれば、そうでもない人もいて、一緒に作業する中で会話をする時も、中々相手が言っている意図が汲み取れず、別の人が丁寧に補足してくれたこともあった。
私はやはり手先が不器用なせいか、流れているラインに作業が追い付かないことがあった。そんな時も、周りの人が機転を利かせて手伝ってくれた。申し訳ない反面、ここまで来ると、外国人とか外国人じゃない、なんて関係ない事が身に染みて感じて、いかに自分の見ている世界が狭いかが分かってくる。
食品工場のアルバイト、と聞くと、ただひたすら同じことを繰り返す単純作業のように思っていた。しかし、実際はそんな事もなく、周囲の様子を見ながら、自分の作業を行う為、気付けばマルチタスクになっている事も多々ある。例えで言うと、単純作業+その前段階までの作業の間違い探しをしているようなものだ。正直、私はそれだけでも大変だったが、ベテランの作業員は両手で異なる食材を盛り付ける荒業をこなしており、ここまで来ると職人だな、と感心してしまった。なぜなら、ただ食材を置くだけではなく、規定された量の食材を置く必要がある為、食品の重さを手で感じ取り、必要であれば量を調整し、そこから盛り付けることになるからだ。ひええ、ここはとんでもねえ世界だ、と何度も感じた。
しかし、そんな事をじっくり考えていると、手のスピードが遅くなってしまう。色々感じることは山々だが、ここは堪えて目先の作業に徹した。

一緒のラインで作業していた男の子は持ち前の生意気さとコミュニケーション力で、責任者の女性と臆せず会話をしている。たまに、隣で作業をしていると、ちょっと機転を利かせたことを報告してくる。その度に、学生の男の子ってこんな感じなんだな、と思いつつ「さすがやん」とか「すごいやん」とか「出来る子やん」と返す。
彼は基本的におしゃべりなようで、隙を見付けては会話してくる。しかし、作業員の人達が現地語で喋っているのとは訳が違う為、「これって喋ってるの全部聞かれてるんですかね?」と言ってきた時に、「そうやろな、私達もおしゃべりするならフランス語とかにした方が良いかもしれん」と言った。すると、「俺、フラ語得意っすよ」と彼は言った。「ほんまか?」と言いかけた言葉を堪えて「へ~、すごいやん」と流してしまった。

今回の食品工場のアルバイトはあまりにも面白い体験だった。私たちが普段食べているであろう食品がどのように作られているか、知ることが出来たのだ。さらに、あまり実感を持てていなかった移民の話も、私が見ていた世界が狭かっただけで、現実問題としては既に存在していたのだ。(そもそもどこのラインから移民と規定するのかによっては、日本に住んでいる人のほとんどが移民になることだってある)一緒に作業した学生の男の子も、普段見ないような人間だけに、観察対象として大変興味深かった。私達が安易に外国人や移民に対して抱いているイメージを彼は、生意気に行動を持って具現化していたからだ。そこそこ良い大学に在学しているであろう、要領が良くてしっかりした大学生の行動は、「外国人」や「移民」に対する社会の姿勢を映しているように思えた。私自身それに対して反省したり、考えさせられるきっかけになったと同時に、まだまだこの社会は多様性とは程遠いように思えた。

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