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どこにいても、何をしてても、忘れちゃいけないこと

最近、鬱々とした感覚が続いていた。原因は色々あると思うけど、私は色々考えたり気分が落ち込むと、すぐに布団の中に引き籠ってしまうタイプだ。だからこそ布団の中に引き籠る→リフレッシュしない→また引き籠る、という負のループになっていた気がする。流石にこれは良くないよなと思い始め、週2~3回行ってたジムに久しぶりに行く。

ストレスの解消には運動が良い、というのは本当にその通りだ。特にコンピューター関係の仕事になると、ひたすら机の上での作業になるので身体的な体験や経験がないまま、悶々としてしまうことが多くなる。だからこそ、体を使って運動して、汗をかくことが、かなり重要だったりする。(しかも夜はめっちゃ寝れるし)

今日はジムに行ったら、私一人しかいなかった。しかも、窓を開けているだけでも風が通って気持ち良い。この風の中にどれだけPM2.5が入っているのかは考えないようにして、私は機嫌よく有酸素運動を始めていく。

いつもはジムに誰かしら人がいるので、適当にお話ししながら自分の音楽を聞きながら、トレーニングをしている。しかし、今日は一人だったこともあり、大好きなBABYMONSTERの「BATTER UP」もいつも以上に音が聴ける。わりと頻繁に聞いているこの曲でも、メロディーラインだけじゃない、リズムの刻まれ方やベースの音、アレンジまで今日は聞こえてきた気がした。「この隅々まで感じ取れる感覚久しぶりだなぁ」と思いつつ、そういうことが出来ている今、この瞬間にすごく充足感を覚えた。

たぶん自分が持つ繊細さはスリランカにいても滋賀にいても変わることはないし、結局は些細なことでも発見し続けられることが自分にとっての幸せなのかもしれない。しかし、スリランカでは24時間365日繊細さを持って生きることは、現時点において難しいと思っている。少なくとも渋谷区のタワマン(自分の家)の近辺でそんな事をしてたら、すぐに車に轢かれてしまうだろう。ぶっちゃけ車だけじゃない、外国人だからか絡んでくる面倒な若者、しつこく声を掛けてくる人、仲良くなったと思ったら「お金ちょうだい」と言ってくる人。全てに想いを馳せてしまうと、私が何人いても足りないと思う。それは大変よろしくないので、ガラスのハートは一旦棚に閉まっておきながら、いつも生活している。
しかし、そんな生活をしていると、自分がついつい繊細であることを忘れてしまうことがある。だからこそ急にビアードパパの前で泣いちゃったりして、店員さんを困らせてしまうのだ。正直、それに対応する方法は無いのだが、まずは自分の持つ繊細さを忘れちゃいけないし、大事にしていきたいと思った。

とは言え、この繊細さというか感受性の豊かさというかを、どう生かしていくのが良いのだろうか?文章を書くってのも1つの手なんだろうけど、もう少し表現できる手段が増えたほうが良い気がしなくもない。
なんかこう…ラップでもやってみようかな?とにかく、スリランカにいる間に一芸を身に付けようと思った。ラップかどうかはさておき…。

そんな事を黙々考えながら、たった一人のジムで星野源を歌いながらバイクを漕いでいた。やっぱり星野源って素晴らしいな。私たちには終わりがあるってことをちゃんと知ってる。それは人間だけの話ではない、私たちが作り出した大抵のものには終わりがある。忘れてしまいがちなことだけど、「どこまでもいつまでもなんて無い」ってことが逐一歌詞に盛り込まれている。まるでスパイスみたいだ。


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