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母とのお出かけ

眩しい日差しに起こされた朝。昨晩の眠い感覚を引きずりながら、ボーっとインスタを見る。

今日は珍しく何の予定もない日で、8時半ぐらいまではのんびりしてよう、と考えていた。しばらくSNSを巡回していると、母親がやって来た。半分寝ぼけた私は、蛇のように母親の周りに巻き付く。すると、母から「今日、デパートに買い物に行くんだけど、一緒に行く?」と聞かれた。
お出かけかぁ…。そう思うながら、今日片付けようと思っていた作業を思い出す。あれと、これと、と考えている中で、たぶんこれは出かけたい気持ちがあるのだ、と気付き、「行く」と答えた。

そのまま出かける支度をして、母と一緒に家を出る。私は特になにも欲しいものなどなかったが、単純に街中のデパートをブラブラしてみたい気持ちがあった。

買い物を終えて、帰宅する途中、前から近所にあったネパール料理屋さんに行った。いつも店の前を通る度、スパイスの良い香りがしていた印象があるお店だったが、一度も行った事はなかったのだ。暑いし、インドカレーを食べたい気持ちだったこともあり、そのお店に行ってみた。

インド料理屋さんと言うと、店員さんはずっとインド語を喋っていて、テレビはずっとインド映画が付いている印象だった。しかし、店内に入ってみると、インド語を喋る店員さんはいるものの、テレビは大河ドラマが流れていた。
大河ドラマかぁ・・・と少し珍しく感じたが、これが定食屋さんだったら何の違和感もなく受け入れるだろうとふと思った。ああ、なるほど、たぶん日本のお客さんの好みに合わせたのかもしれない、一瞬それで納得した。

注文したカレーの前にサラダが運ばれてくる。机にあったお箸を取って、サラダを食べ始めた。あまりにも自然にお箸が置いてあったので、違和感なく私はその箸を使った。しかし、思い返してみると、こんなに親切にお箸を用意しているお店はそんなに多くない気がした。スプーンが入っている容器は、よく定食屋さんで見る箸箱で、この店はネパール料理を出しているけど、しっかり日本に馴染んでいる(馴染ませている?)場所のように思えた。

カレーがやって来て、例の箸箱からスプーンを取り出す。チラチラとテレビから流れる大河ドラマを見ながら、カレーを食べ進める。ずっとインド語を喋っていた店員さんが急に「山田」って言ったように聞こえた。山田って呼ばれた店員はレジの使い方を教えている。
カレーを食べ進めるにして、先ほど納得した大河ドラマ流れている件に対して疑問が出てきた。私たちは勝手に、インド料理屋さんはインド映画を好きで流していると思い込んでいた。とは言え、全員が全員インド映画を流したくて流している訳ではないのでは?と感じたのだ。恐らく、よく見るインド料理屋さんに流れるインド映画は、空間演出的な要素であって、別に好きで流している訳ではない。そう思うと、人間ってやっぱり自分の都合よく解釈するものだな、なんて自己反省をした。
実家に住んでいた頃に思い描いていたキラキラの自然や循環なども似たようなもので、結局は自分の感じたい、考えたいようにしか解釈できないものだった。それらを全部飛び越えた現実が目の前に現れると、今まで生まれてきた考えや感性なんかは全てぶっ飛んでしまう。改めて、今までのことを振り返ると、人間の力なんて本当に小さなものなのだと思う。

店内は本当に興味深くて、カレーを食べながらもつい他のお客さんや店員さんの様子を観察してしまう。ホール担当の人は常に全体の様子を見ているし、レジ担当の人はお客さんがお会計をした後には手を合わせて「ありがとうございました。Thank you.」と言う。それは一体どういう意図の演出なのか、少し読み取れなかったが、彼らにおける日本の飲食店文化との融合の結果なのかもしれない。そう考えると、きっと今まで色んな努力を重ねてきたのだろうと感じ、内心とても感動していた。
ネパール料理屋さんらしいが、箸箱や大河ドラマなどの所々で日本の飲食店らしいエッセンスが散りばめられている。しかも、そのエッセンスはどれも些細なものなのだ。さりげなく、お箸が机にあることも、お会計をした後に、ホール担当の店員さんが出口まで付いてきて「ありがとうございました。」と言うのも、すごく色んな飲食店を研究した結果のように思えたのだ。

最近、国際交流について考える機会があり、言葉も文化も異なる土地で自分がいかに生活して、行動していくのか?を考えていた。その影響もあり、日本に住む外国人が、現地の些細な文化のエッセンスを汲み取り、自分の店のモノにしている様子が、私にとっては、すごく感動するものだった。
この人たち、凄いな~と思っていると、厨房で喋っているインド語もそんなに怖くなくなってきた。と言うのも、きっと怖いと感じるのは、何を喋っているか分からないから怖いのであって、たぶんこの店の人はすごくマトモな会話をしているのだと思う。
言葉と言うものは、案外難しいもので、私たちは丁寧にモノゴトを伝えることに慣れ過ぎているせいか、ぶっきらぼうな言い方をされると、内容以上に印象のイメージが強くなってしまう。しかし、情報伝達の観点から言うと、多少ぶっきらぼうな方が、言葉の内容はダイレクトに伝わる。そんなことから、お弁当屋さんでアルバイトした体験を思い出した。

なんか久しぶりに、面白い文章が書けそうな気がして、今日片付ける予定の作業をよそにnoteを書いてしまった。引っ越し後の部屋の片づけも中途半端のままだ。それでも、このワクワク感を感じたことが嬉しかったのだ。いやぁ、キラキラ世界に戻ってきたなぁ…。

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