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たぶん、もうずっと「ライターズブロック」

遅まきながら、最近「ライターズ・ブロック」という言葉を知りました。

ライターズ・ブロック (英語: writer's block) とは、主に執筆に関して、作家が新しい作品を生み出す能力を失ったり、創作上の低迷を経験したりする状態である。新しい作品を書いたり作ったりする能力の喪失は、対人関係の問題や、執筆技術の欠如に由来するものではない。

ライターズ・ブロックとは - わかりやすく解説 Weblio辞書

"いつまで経ってもタイピングが進まない。"

"パソコンの画面は真っ白なままで、時間だけが刻々と過ぎていく。"

このような「書けない」状態は、割合、多くの人がぶつかったことがあるのではないでしょうか。

(案件が多すぎたり、スケジュールが詰まりすぎたりすると、心身が疲弊して書けなくなくなってしまうことも珍しくない。そんなときは思い切って休養を取ると、書けるようになる人も多いようです。)

(単純にスキル不足が原因のケースもありますよね。例えば、突然正しい文章とは何かがわからなくなったり、専門知識のない分野の執筆を担当することとなったりしたとき。そんなときは、学習することで解決することもあるでしょう。)

「書けない」状態に悩んでは、なんとなく乗り越えた気分になって仕事に戻る。そのようなループを、もう実は何年も繰り返しています。

気づき

書けない状態と書ける状態を行ったりきたりしていたある日、ふと「文章を書きたいという気持ちがなくなった」と思ってしまいました。

「書きたいのに書けないよ……」ではなかった。

「私、今、書きたくないんじゃないの?」と思ったのね。

その思いつきと同時に、そんな風に思い当たった自分自身にショックを受けていました。

だって小学生のころから、国語辞典をパラパラめくって言葉を渡り歩いたり、大好きなフレーズを書き映して持ち歩いたりするほど、言葉が好きだったかた。

自分の言葉が人に伝わることが、それだけで嬉しかったから。

でも、今はそれ自体が「やりたくない」。そんな気がしてきたんです。

原因

「書けない」と「書ける」を行ったりきたりしている間って「いつか何とかなるよ」と思えるほど気楽にはなれません。経験がある方もいると思います。むしろ、しんどい。

それで、悪あがきの一環として原因を考えたときに、ふと思い付いたのが「今の私は満足しているのかもしれない」ということでした。

もともと子どものころから、溜まった心のオリを出すのに使っていたツールが言葉だったから。

人にいうとたしなめられてしまうような言葉を、紙にぶちまけて、発散する。紙の上で気持ちを上手に表現できたら、とても嬉しい。そして心がホッとする。

紙の上で整理された意見を別の機会に言葉にすると、人から認められることもありました。

そんな経験をちょっとずつ積み重ねると、モヤモヤするときやショックを受けたときなんかは、なおさら書きたくなって、またペンを手に取る。

これまでの「書きたい」と意欲が沸くきっかけは、こんな風に、心が負の方向へ揺れ動くときでした。

中でも、母に対しての思いは多く…これは母子の問題なので、また別で書くかも。

母はわだかまりを溶かす前に死んじゃったので、後悔(?未練?恨み?)が強く、情緒が揺らぐたびによく書いていました。

しかし母の没後10年過ぎて、数年前から書かなくなっていたんです。

理由のわからない落ち込みや怒りは減っていって、ネガティブでない「書くこと」を仕事にできるようになり、それでやっと、自分の人生を生きれるようになった気分。

「書きたくないないのかもしれない」に思い当ってしまったのは、それからしばらく経ってからのこと。

それがもうずっと。実は2~3年くらい続いています。

さて

書きたいと思えないこの数年、クライアントワークで、主に「代筆」と「編集」、ときどき企画をしています。

相手が伝えたいことを、イメージから逸れないように最大限に表現したり、TPOに合った言葉遣いで的確に記載したり。その仕事の間で、とことん伝わりやすい言葉や語順を追求したり。

そういうことをやってきました。

こういうことが結構好きだなあと思います。

私は言葉を扱うのが苦なくできる。しかし世の中には言葉使うよりもイラストや形、色を使いたい人がいる。写真を使う人がいる。自分の口で話すほうが何倍も得意な人がいる。

だけど業務上、どうしても「文」が必要な場面ってありますよね。メールとかLINEとか、パンフレット、LP、プレスリリース、WebサイトやSNSなどの自社メディア…とか。

そんなときに人や企業の代弁者としてライティングに従事できるということは、本当に光栄です。

SEOライティングも苦じゃない。いかに上質なページをGoogleへ載せて、読者に見ていただけるか、という思いで向き合っています。

その経過で感じるのは、もっと「書く」を深めたい、という気持ちが消えないということなんです。

「書く」を深めたい

書きたいと思わないくせに……「書く」を深めたい。

それで皮肉なことに今、コレを書けているのが、すごく不思議で、ありがたくて感動しています。

今、書けている理由は簡単で、ある人が私の文章を「読んで見たい」って言ってくれたから。

そのとき心にぽっと火がともったような感覚になって、見えない気持ちがゆらっと動いたのを感じました。小さいけれどね。

それから何を書こうと考えてきた年末年始だったけど、noteを通して「書くことそのもの」に向き合っていければ、と今は思っています。

母子関係は私のルーツなので、もしかしたらときどき、親の話が出てくるかもしれない。そのときも、お付き合いいただければ嬉しいです。

追記

ただね、この記事のおかげでライターズブロックを壊せたとは、まだあまり思えてはいません。

壁を構成するブロックの、ほんの1個を壊せたかな。

ゼロからイチになったから、大きいような気もするけど。

またここで記事が上がったら、さらに「1個ブロックを壊せたんだね」って思ってくださると嬉しく思います。

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