海岸線の開拓、あるいは詩の言語について

陸地:既存の言語で確定した意味が与えられている言葉たち。あるいはその陳腐な組み合わせ。(例:カレー、蜘蛛、楽しい人生、不幸な乞食)
海岸線:既存の言語の新奇な組み合わせで表現できる言葉たち(例:凶暴な優しさ、爽快感で脳がソーダになる、)
:未知の概念。(例示不能)

詩の言葉が海岸線に属する言葉であって、それは使い続けられ生き残ることができればやがて陸地になる。たぶんその意味で詩人は世界の非公認の立法者と呼ばれる。海岸線の開拓が最近の一番の関心ごとです。
海のほうに寄りすぎていて、陸地で長く暮らしていた私のような人間には辿り着けないような言葉を見ることがある。いつか泳いでそこまで行けるようになってみたい。
陸地っぽいけど実は崩れた崖のような言葉。つまり既存の言語の陳腐な組み合わせであるが、客観と呼べるほどの意味が異なる個人間で確定していないような言葉もある。文法的に正しいがゆえに有意味なことを述べているようで実質が無い概念。崖を修復したり、崖を歩けるように整備する営みを哲学と呼ぶのは正しいでしょうか。

「楽しい」という言葉を知らないくらい幼いころは、現在「楽しい」と呼んでいる経験全てを別々にとらえていた。(しかしその時代はそれらを表現する言葉を持たなかった。)
「楽しい」という言葉を知ることによって、別個だったはずの経験が同じ言葉で語られるようになり受け取る感覚の繊細な淡いが失われた。
自分の感情をなるべく実態に近い形で、既知の概念に経験の方を合わせようとするのではなく表現しようとする営みが、原初の純真さに立ち返るための手段となるはず。それが私がやりたい海岸線の開拓作業です。


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