半年たったのでVRC振り返り

※twitterに画像で上げた文章の再掲です。書いた文章を公開して保存しておきたい欲求のあらわれです。

VRCを始めて半年以上たったので少し振り返り。

一番感じる変化は、精神がすっかり社会化されたことですね。twitterを眺めて自分の話題が出ていると喜んだり、自分のいないところで盛り上がっていると少し妬いたり、気を惹くためというか関係性を構築しようとするために、感情的に強い言葉を意図的に使用したりといった、以前は別の生き物の習性だとばかり思っていた俗っぽい振舞いを自分でもやるようになりました。他人という定義しがたい影響力の強さを感じますね。考え方や振る舞いがすっかり変わってしまいました。特に変化を感じるのが、何にも集中していないときに自分の頭に浮かんでくる事柄がVRCでのフレンドのことばかりになったことですね。以前までは自分しか関心がないような問題について自分自身とずっと対話してました。そして度々罵倒してました。

「twitterは人間が社会的な動物であることを利用したハッキング」との言葉を知りましたが、まさにその通りだと思いました。どーでもいいようなtweetでも、近しかったり仲良くしたいと思っている人間のtweetであれば、興味や熱量を持って頻繁に確認しに行きたくなります。他人との繋がりを構築したくなる欲求を上手くハッキングされてますね。VRCで直接会いに行けるため他人との関係性の構築のハードルが低い分、twitterの影響はより顕著な気がします。フレンドに他のフレンドが沢山いるように見える現象や、自分がINしてない日の写真が普段の倍ぐらい楽しそうに見える現象、といえば分かりやすいでしょうか。意識的に関係を保つ努力をし続けないと、置いてきぼりにされるような漠然とした不安感に駆られながらtwitterやらVRCを続けて病んでいくような予感を少し感じたことがあります。

「他者との交流は心安らぐもの」だと思うようになってしまったのですが、瞬時に自分を癒してくれるインチキな装置に依存するようになるのは堕落だと思う気持ちが付き纏います。宇宙への殺意を滾らせ、足元に広がる虚無の上を歩くための足場を、自分自身にのみ根拠を持つ価値観を、苦痛にのたうち回りながら築き上げる営みの苛烈さこそが真正である。といった感覚が萎んでしまうのは厭だなァと思います。

感情の振れ幅を保ちたいのが最近の目標なので、凝り固まった表情筋と死んだ目をしたド陰キャライフに戻りたいわけではないですが、俗に振り切りきって他人という定義しがたい影響力に呑まれるのも危険やなァというのが所感です。心の涼やかさを保つには極端が最大の敵なのです。

私的で公共性のない問題を考え続けることに否定的な態度を示し、何を言っても二言目には「人と人との繋がりが大事なんじゃ!!」などと宣り、他人という否定し辛い理由付けを振りかざして雑に相手の事を否定するような、かつての私が心底軽蔑していた愚鈍な大人に自分がなってしまったら悲しい。そうなったら昔の私に刺されちゃいますネ。

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