いいひと戦略やってもメリット無いかもよ?という話

直近で中田のあっちゃんが「いいひと戦略」について動画で取り上げていて、これ、取り上げちゃうのか~と思った。というのも私、評価経済についてかなり懐疑的だからです。

いいひと戦略とは岡田斗司夫氏が提唱している、能力があるよりもいい人であることの方が評価されるよという考え方である。
あっちゃんよりもさらにざっくりと説明すると、SNSとかでプロセスが見えるようになると、最終的に結果を出したとしても、その過程で行った悪行がバレてしまうから、無理矢理結果を出して叩かれるより品行方正にしといた方が良いよという話である。
ここまでは確かにそうだと思うのだが、このいいひと社会に付随して岡田氏が提唱している考え方で、評価経済というものがあって、これがかなり眉唾なんじゃないかという気がしている。
評価経済とはSNSなどで評価が可視化されることで、評判が価値を持ち始めるという考え方で、お金よりも評判の比重が大きくなるから、その前提でいいひとでいた方が良いよという話なのである。

ここで私の立場を一度説明させていただくと、お金も評判も要らんよね?というか大体の人はその両方とも手に入らんよ。という立場である。
ネガティブ発言で話を終わらせてしまい申し訳ないが、構造を考えると、評価経済社会で大体の人が評価されないということが明らかだと思う。
先にざっくり説明するが、なぜなら、評価経済が成り立つ前提がプロセスが認知されて人々の善行や悪行が明らかになることなのであるが、結果を知ることよりもプロセスを理解することの方が時間がかかるため、時間制約的に認知されるプロセスの数は限定され、だいたいの人の善行は社会的に認知されないからである。

分かりにくい言い回しになってしまっているので、
この後、かみ砕いて説明していきます。


ほとんどの人のプロセスは社会的に認知されない

結果は一行で書けますが、プロセスは長いですよね。
ですから、SNSによってプロセスが確認可能な状態になったところで、すべてのプロセスが認知されるわけではありません。
認知されるのは、とても素晴らしい英雄譚と、ひどく激しい炎上ぐらいです。
前者の英雄譚を作ろうというのが最近はやりのプロセスエコノミーで、炎上は言わずもがなひどいものですが、
成功と失敗の両極しか沸騰して泡が出てこず、ほぼほぼほとんどの人の日常は無風です。
代表としては私のnoteですね。まさに無風笑。
ですから、評価経済で成功するぞーと言って躍起になるのはかなり危険で、何も成果が得られない可能性が高いです。
まぁ無限に時間があるわけではないですから、認知するのに時間がかかるプロセスのうち、把握されるプロセスが限られるのは仕方ないですね。

誰にも気づかれない善行を積み続けることにあなたは耐えられるか?

構造的にいいひと戦略をやっても認知されない人がほとんどの状態でも、善行を積み続けることができるのだろうか?
まぁ、人知れず良い行いをする人がいるのはいい社会な気はするが、自分が誰にも気づかれずにゴミ拾いをしている一方で、大谷が一つゴミを拾ったことを賞賛する社会にめげずにゴミ拾いを続けることができるかな?

結果生まれる3種類の人間(あっちゃんの説明とは異なる想定)

恐らく私の想定だと以下の3パターンの人間に分かれると思います。
①いいひとをやり続けてちゃんと評価された人
 評価経済社会で正攻法で勝ち上がった人物
②いいひとをやり続けたが評価されずにカルト化した人
 評価経済社会で勝てずに闇落ちした人
③始めから評価されないことを見越してただ乗りしてる人
 評価されなくてもされなくてもよくない?むしろ存在を消してただ乗りしよう

中田のあっちゃんの動画だと、評価されない人は誰からも助けてもらえないし、少ないお金で何とか生命を維持しているだけのアンダーグラウンドな存在になるみたいな脅しっぽいこと言ってましたけど、んなわけなくない?というか、そもそも大体の人が評価されてなくても好きに生きてるじゃん。散歩してアイスでも食ってたら幸せでしょうよ。
それよりも、評価を得ようと躍起になってカルト化してくる人が出てくる方が危険だろうよ。と思う。
以下で3タイプについて説明するよ。

①いいひとをやり続けてちゃんと評価された人

まぁこれが一番望ましいのだが、評価経済においてプロセスが認知される人は、プロセスを確認することで楽しい気持ちになれることが確定している人に限られてくるだろう。みんな時間制約がある中で、これを見ようと思わせるようなコンテンツを絶え間なく流しているような人しかわざわざ見ようと思わないので、ほとんどの人は参入不可能である。
だから、評価経済社会は貨幣経済社会よりもより立場を持つ人が限られてくると思われる。

②いいひとをやり続けたが評価されずにカルト化した人

上記の構造によってほとんどの人は認知されないのにも関わらず、いいひと戦略を取り続けて全く評価されずに頭がおかしくなる人が出てくるんじゃないかと思われる。
めちゃくちゃなやり方というかカルトっぽいものも最近出てきてますよね。名前をだしたら私が終わっちゃいそうなのでアレとかアレねと各々で想像してください。
(ちなみにあっちゃんとか岡田さんは割と好きですよ。今のところそんなにカルトとは思っていない。)

③始めから評価されないことを見越してただ乗りしてる人

で、結局最後はほとんどの人はこれまで通りっしょという話で、最近思うんですが、企業の社員って、会社側からしたら解約できないサブスクサービスみたいなもので、そもそもどういうサービスを契約しているか隅々まで会社側も把握してないし、使ってないサブスクがあっても別にほっとくよねっていうのがあります。だから別にそのまま契約しといてもらって、従業員としてお金もらっとけばいいんじゃない?というか大体の人はそんなもんで、いうて社会ってグダグダでしょ?
だから、評価なんかもらえなくても乗れるところに乗っかって、生きながらえていくべきである。

あとはそれぞれでやりたい趣味でもやっとけばいいんじゃないですかね?例えば私は文章を書くのが好きなので、こんなものを書いたりしていますが。

評価されなくても人生自由だぞ

私が、「③始めから評価されないことを見越してただ乗りしてる人」をやっておけばいいと思っているのは伝わったと思います。
そもそも、まともに評価されない評価経済社会で、評価を得ようとする行為は危険なので、流行りに振り回されて狂う人をなるべく減らしたいという思いがあります。

まぁ別に評価もお金もなくても、例えば青春18きっぷで2500円ぐらいで東京から大阪まで行けたりします(10時間とかかかりますが)。kindleに読みたい本でもたくさん入れて、音楽でも聴きながら電車に揺られてみたりしてはいかがでしょうか?
別に、誰からも評価されてなくても自由にやりたいことやってたら幸せだと思う。
死ぬときにいくら名声があろうとお金があろうと変わらんやろ。

そんな話でした。
以上、長々と失礼しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?