作品「コロッケ(老詩人の話 其の二)」


コロッケ(老詩人の話 其の二)         
 
 
駅前の活気ある商店街から横へ
ほそい露地に入り
今年 九二歳になる
老詩人の家を訪ねた
白髪と髭は伸び放題であるが
眼は森に湧く泉のように澄んでいる
若い頃
一九三〇年代から詩を書き始め
もう七〇年以上の歳月が流れている
詩のことを考え出すと
三日ほど何も手につかなくなるので
日常の生活に困るそうだ
太平洋戦争にも参加したが
もう遠い記憶らしい
ただ 南洋の島にいたことは
間違いないそうだ
戦中は島で逃げ回るのに忙しく
戦後は生きるのに必死で
しばらく詩が書けなかった
六〇歳を越えてから
再び詩がぽつりぽつりと
夜空に見えるようになったそうだ   
最近は十年に一冊という
蝉の一生のようなペースで詩集を出している
もっとも
ほとんど売れないので
知り合いに配っているのだが
(ぼくも二冊もらった)
最近は
もらってくれる人も
ほとんどが
となりの世界にいってしまって
仕方なく
なじみの古本屋に売ったりしている
そこで得たお金で
好物のコロッケを買うのが楽しみらしい
ぼくが
 詩がコロッケになったのですか
 それとも
 コロッケが詩なのですか
と訊くと
 コロッケは
 コロッケだよ
という答えだった
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



『歩きながらはじまること』(七月堂)
『フタを開ける』(書肆山田)

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