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「生きよ、墜ちよ。」について

「生きろ、堕ちよ」ーー坂口安吾、堕落論より抜粋

時代を超えて残り続けるこの6文字。
このたったの6文字の中に、人生に必要なことが全て詰まっているのではないか、と自分は思います。
今日は、そんな「生きろ、堕ちよ」について、お話ししたいと思います。

【坂口安吾 堕落論】

本は、いつの時代も人々に影響を与えてきました。それはいい影響もあれば、悪い影響もあります。そしてこの本は、『堕落論』という名に反して、前者です。

 
「人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。」

 
人間は生きていく以上、絶対に堕落することを免れ得ることはありません。
そしてそれを嘆くことも、否定することもあってはならない。生きて、堕落すればいいのだ。正しく堕落することによって、人間は正しく生きられる。そういう意味だと自分は解釈しています。
戦後間もないころにあって、誰も彼もが大事な人を失い、「生き残ってしまった」という意識を持っていた時代。心理学的に説明するならば「サバイバーズ・ギルド」に陥る人間が多かった時代にあって、この言葉はどれほどの人の救いになったでしょう。「別に、生き汚くても堕落しようとも、生きているんだからいいじゃないか。生きるとはそういうことだし、それを否定したって始まらない」。そんな当たり前のことを、この6文字は多くに人に教えたのではないでしょうか。

では、現代ではどうでしょうか?現代では、この「生きよ、墜ちよ」に代わる言葉は産み出されているのでしょうか?
 
人間は、生きていかなければなりません。それは大事な人を失った人が多かった1940年代も、神も仏もなく希望が持てなくなった2010年代も同じ、どうしようもないこと。
今も昔も、産まれ落ちてしまったものは、死ぬまで歩き続けなければいけないのです。
最近人気の曲の中に、こんな歌があります。

「産まれ、生き、死に、 たったみっつのことなのに
2番目が どうも僕には 難しいのさ」
嘘つきサルヴァトール【小南泰葉】

 「立ち止まるなんて無理だよ この星の上で生きてる限り
だって猛スピードでこの星は 僕の体を運んでるんだよ
立ち止まって見たければ時速1400キロの速さで精一杯地球逆回りに走らないとね」
グラウンドゼロ【RADWIMPS】

『生きている』というには存外大変なものです。だって、毎日何かをしなければならない。何もしなければ生きていられない。誰かを傷付けようとも、誰かに傷付けられようとも、何かをしなければならないのだ。それはとても当たり前のことではあるのでしょうが、とても大変なことでもあります。

例えば、少し前にこんなツイートが物議を醸した。
「過労自殺とかなんでそんなバカなことするんだろう?辞めればいいじゃん!」という人に対しての言葉でした。

 
「「過労自殺するなら仕事辞めろって言うけど
仕事辞めて市役所行って国保の手続きして毎月国民年金払って
毎日毎日金がなくなるのに仕事は見つからなくて家で一日中求人を眺める日々を送って
自己嫌悪に苛まれても誰も助けてくれなくて社会は必要としてくれなくて
そんな地獄味わうくらいなら自殺する」」

正しいか正しくないかは置いておいて、理解できる意見ではあると思います。
簡単に言うならば、生きるって辛いのです。
 
では生きる理由を誰かが与えてくれるのかというと、そんなことはありません。神も仏もない時代、『産まれてきた理由』を説明できるのはよほど信心深い者だけでしょう。宮沢賢治も、「生まれてきた理由は自分で見つけるもので、誰も教えてくれない」という言葉を残しています。
 
生きることは、辛いことばかりです。

それに対して、多くの小説が答えを出しています。
森絵都の「カラフル」では、登場人物の一人である「天使」が主人公に向かってこう言い放ちます。

 
「借り物の人生だと思って、気楽に生きていけばいいじゃないか」

 【森絵都 カラフル】
無責任だな、とは思いますが、案外そんなものでいいのかもしれないですね。「生きよ、墜ちよ」だって実は無責任な一節です。

「別に堕ちたって構わないのだよ。だって生きるってそういうことなんだから」。
安吾は無責任にそう言って、酒に溺れて女に溺れて薬に溺れました。しかし、文豪の多くが選ぶ「自死」は選ばなかった。「生きた」のです。

そして自分は、低俗なライトノベルではありますが、西尾維新の「恋物語」の一節をこそ、ここで紹介したい。なぜなら、「生きろ、堕ちよ」と全く同じことを、西尾維新も述べているからです。

 
「千石、俺は金が好きだ。
なぜかといえば、金は全ての代わりになるからだ。
物も買える。命も買える。人も買える。心も買える。幸せも買える。夢も買える。ありとあらゆるものの代用品になる、オールマイティーカードだからだ。
とても大切なもので、そしてそのうえで、かけがえのないものではないから好きだ。
逆に言うと俺はな、かけがえのないものが嫌いだ。これがなきゃ生きていけないとか、あれだけが生きる理由だとか、それこそが自分の生まれてきた目的だとか、そういう希少価値に腹が立って仕方がない」

 
物語の悪役(詐欺師)が、主人公に振られて自暴自棄になっている女の子に対してこう言い放つのです。
そしてこう続けるのです。「『今が初恋』でいいじゃないか」と。

「阿良々木と付き合うなんてかったるいことは、代わりにどっかの馬鹿がやってくれるってよ。
だからお前は、そんなかったるいことは終わりにして、他のかったるいことをやればいい。やりたいこともしたいことも、他にいくらでもあるだろ?」
 

どんな励まし方だよ、と思っちゃいますよね。でも、真理です。死ぬほど絶望したって、悲しくたって辛くたって、続きが気になる漫画もあれば公開が楽しみな映画もあります。
人間が「生きる」理由なんていうのは、実はその程度でもよかったりするわけです。
生きる理由とか、やりたいこととか、そういうのは「取っ替え引っ替え」でもいいし、「あれがダメならこれで行こう」で何にも問題がないのです。

この点においては、堕落論の中でも述べられています。

「戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。」

どんなに時代を経ても、この真理は変わらないのではないでしょうか。

さらに、詐欺師はこう続けます。

「唯一の人間なんて、かけがえのない事柄なんてない。人間は、人間だから、いくらでもやり直せる。いくらでも買い直せる。」

 
何かのために自分の人生を賭けられる人間がいます。そのために全てを捧げられる人間がいます。
それはいいのです。問題は、『その人たちは失敗した後どうなるか』です。
そこで「ああ、自分の人生を賭けたのに失敗してしまった、もうダメだ」と考えるのか、「まあ、こういうこともある。辛いけれど、次に活かそう」と考えられるのか。
『大切なものを持たない方がいい』というわけではありません。大切に思うものを作って、それに打ち込んだり、時間を費やしたり、それは意味のある行為です。
でも、『かけがえのないもの』がなくたって、人間は生きていける。

「生きてりゃなんか、いいことあるんじゃねえの?」

この物語はこんな詐欺師の言葉で幕を閉じます。あまりにも無責任で、あまりにも当たり前の、だからこそ希望に満ちた言葉。

【アレクサンドル・デュマ モンテ・クリスト伯】
アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」のラストでも、

「待て、しかして希望せよ」

という一節が最後を飾っています。
全てに裏切られた男が最後に行き着いた結論が、この言葉だったわけです。
 
もしかしたら、「生きているだけでいいことがある」とか、そういう「当たり前のこと」が、世の中における真理だったりするのかもしれません。
 
「生きるのが辛い人たち」にこそ響く一節が、時代を超えて存在し続ければいいな、と願わずにはいられません。

 

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