映画Yes!プリキュア5 鏡の国のミラクル大冒険!

プリキュア映画は以前もnoteにしており、今回が2作品目になる。

前回はじめて観た時の記事はこちら。

前回はざっくり言うと「正義とは何か?」「幸せとは何か?」といった、この世から無くならない悩みや理不尽に対して、彼女たちはどのような答えを提示することができるのか? というところが見どころだったと思う。あとラストの演出。


だが、今回のプリキュアに関しては全然違う観点からみて面白かった。

キービジュアルはこちら(予告編が見つからなかった)。

画像1

色々と面白い作品だった。その中でも特に面白かったのはシーンの密度の濃さ

まずこの映画、最初から悪役側(シャドウ)のシーンで始まる。明確に「敵はこの人です!」と伝わる。

これがあると導入で多少モタついても「ああ、きっとこいつが絡んでいるんだな」とわかるので、場面の流れが容易に理解できる。これで回りくどい説明シーンを省き、重要な要素の描写や心に響くセリフに時間を割くことができるようになる。周到である。

そしてシーンはプリキュア5人に移り、テーマパークに行く話をする。そのタイミングで「白雪姫」の話が出てくるのだが、これもれっきとした、この物語の説明である。

有名な「鏡よ鏡よ鏡さん~」の話から始まることで、「ああ、今回は鏡を主題にするのか」ということが明確になる。あと、鏡がわんさか出てくる展開の違和感が(多少)なくなる。ついでに最初の悪役のビジュアルが、白雪姫に出てくる魔女をイメージしたものだったのか、ともわかる。

こんな最序盤のシーンから要素をちりばめており、シーン一つで伝える情報量が多くなっている(後述するが、この作品にはどうしてもこうしなければならない事情がある)。


そして、テーマパークに行ってからもキーとなる要素が怒涛の勢いで展開される。

まず開始10分くらいのシーン。

プリキュアと王子たち(プリキュアシリーズによくいるファンタジーな他国のイケメン。元は動物っぽいが人間の姿にもなれる)がテーマパークに出かけるのだが、そこで顔がよく注目を浴びている王子たちの姿を見て、キュアルージュ(赤)が

「あ~あ、あれが本来の姿だったらなぁ~」

と言うのだが、メインであるキュアドリーム(ピンク)は、その発言を完全スルーする。そして、王子たち(「ココ」と「ナツ」)が来る方向を見て、わずかに微笑んで画面から外れます。

これ、めっっっちゃくちゃいいシーン。

これだけでもいいから見てほしい。空気感が最高。素敵すぎる。

「私はあなたがどんな姿であったとしても好きだよ」ということを、仕草と目線だけで表現してる。プリキュアシリーズの主人公って活発なのに、このシーンではとても大人びて見える。すごく素敵な考え方を持ったキャラクターなんだな、というのがわかる。

そして、思ってたあいづちが来なくてキュアドリームを見る、キュアルージュの目線もいい

「あれ?」って顔するんです。一瞬だけ。でもこの一瞬の小さな仕草がこのシーンをとても際立たせている。この「本来の姿」についての考え方は、キュアドリームが普段のコミュニケーションのテンポ感をずらしてでも大事にしたいものだ、ということがわかるんですよ。派手な思想のぶつけ合いが無く、とってもスマートなのにわかる。

このシーン、ほんとにすごいと思う。芸術。天才。「神は細部に宿る」とはまさにこのこと。


そのあとにキュアドリームが仕掛けるいたずらを読んでいたココが

「どこにいても存在を感じるよ。わかるよ」

と言うシーンもかっこいい。これについては直後にある鏡の迷路の場面でキュアドリームからアンサーがあり、これもとても空気感がいい。

「僕が違う姿になったり、どこかにいなくなったりしても、見つけてくれる?」

「・・・見つけるよ! ココがどんな姿になっても、どこにいても」

いや、なんていいセリフなんだ。しかもこのセリフは嘘ではないことがすぐに証明され、偽物ココが悪さをしようとする手を、キュアドリームが自信をもって止める。

もうね、これだけで純愛映画のクライマックスになってる。

だって、「君の名は」における主人公とヒロインの絆も「見つける」ことが重要な要素だったじゃん。

”この世界のどこにいても、必ず探し出して見つけてみせる" 

って、現代的に言う"月がきれいですね" なんじゃないだろうか。

しかもこの「自分のパートナーが偽物だとわかる」とかって、普通はクライマックスや山場でやるシーンだと思うんですよ。でも、この映画は開始15分そこそこでやってしまう。ペースが速いよ!

ちなみに道中にも、合わせ鏡の話、鏡の向こう側に世界がある話など、このものがたりの前提になる世界観のヒントをちりばめてるんですよ。もうね、開始20分までのシーンの密度がすごすぎる。


さて、最初の悪役を倒して物語は第二幕へ進む。

ここで対面するのがプリキュア個人のコピー(悪役との戦闘中に準備される)。プリキュア5人がそれぞれ、自分自身を元に作られた相手と戦うことになる。

自分のコピーと戦う話はよくあるけれど、ここで面白いのは、各々が対面するコピー(闇のプリキュア)が完全な写し物ではないこと。

コスチュームの白が黒になっていたり、髪型が微妙に違うのは些細なものとしても・・・最大の特徴は、闇のプリキュアと元のプリキュアの声優が違うことだ

これは間違いなく「あえてそうしよう!」 と思わなければ絶対にやらないこと。

そしてまず、キュアドリームと闇のキュアドリームが対立したときのやり取りが面白い。各々が一対一の戦場に行った時の最初のやりとりが


「どうして?」

「ん?」

「どうして笑っていたの?」

「へ?」

「教えて・・・? 仲間といるとき、あなたはいつも笑っていた。・・・どうしてなの」


そう、この闇のプリキュアたち、自我がちゃんとあるタイプのコピーだ(ミュウツーの逆襲と同じタイプ)。元を模倣してできた新たな命。

そしてこれにキュアドリーム、容赦なく返す。

「どうしてって・・・ あなた、そんなこともわからないの?」


いや、これはバトルするしかないですわ。

そのあと、各プリキュアも各々の闇プリキュアと対面していくことになる。他のプリキュアたちは、各々の過去の考え方や、心の片隅に抱えている後ろ暗い部分が強調されたような感じで、キュアドリームよりはコピーっぽい。声優はみんな違うけれど。ちなみに、「弱さの元になる心は無く、疲れない体を手に入れた」というのが闇のプリキュアたちの共通点になる。

もちろんプリキュアたちは、心があるが故に強くなれること、夢のために成長できること、古い(コピーされたときの)自分に勝てることを力にして、闇のプリキュアたちを倒していく。


そのころの別場面として、お助けキャラ的なミルクが、最初の敵役で今は案内役になったミギリンとヒダリンを一喝するシーンになるのだけど、けっこう重いことを言う。滅ぼされた母国の話をして「自分の国を守りたいならちゃんと考えるミル!」と言う。言うことの重さがすげえよ。


そしてキュアドリームの戦闘シーンに戻り、「なぜ強くなるのか」という闇のキュアドリームの問いに対して、「大切な人がいるから」と返す。友達への友愛と、ココへの愛情の両方をこめた言い方で。

当然闇のキュアドリームは反発するのだが・・・その眼には涙が浮かぶ。大切そうなものを持ち、自分より強いキュアドリームに対して涙を浮かべながら戦う。敵側が泣くのだ。

さて各々のプリキュアたちも、自分の心を強くもって闇のプリキュアを倒していくのだが・・・このシーン中のBGM、とても暗い。敵方を倒しているのに悲壮なBGMが流れる。仲間との死別シーンか? って思うくらいには暗い。


さらに闇のプリキュアたちは声優がとっても豪華なので、消滅するときの悲しさや無念さが非常に強く伝わってくる。

そして極めつけは、闇のキュアドリームが最後の一撃の前に語るセリフ。

「あたしは、シャドウさまにお前を倒せと言われたんだ! 私はそれしか知らない・・・楽しくて笑っちゃうとか、一人がさみしいとか・・・大好きな人が大切だとか、そんなのまだ習ってないよ!」

友情と愛情の区別を理解できているのに、そのどちらも手に入っていないことを自覚している。なんとせつないことか。

そしてBGMが止まり放つ最後の一撃を、簡単にはじくキュアドリーム。他のプリキュアたちとは違って手を差し伸べ、一緒に戦闘空間を出ることができた二人。

「ヒロイン:闇のキュアドリーム」誕生の瞬間である。

ちなみに、ここまで駆け足に説明したように思えるかもしれないけれど、体感的には映画自体のテンポもこんな感じです。


さて、第三幕。ラスボス(シャドウ)と対峙のシーン。割としょうもない敵方のチョンボによりシャドウの策略はうまくいかず、すぐ戦闘になり、キュアドリームをかばった闇のキュアドリームが瀕死の状態になってしまう。

笑う理由がわからなかった彼女が、最後は安らかな笑顔を浮かべながら消えていく。

この、ヒロイン誕生からヒロイン消滅までの流れ・・・5分少々である。

そして直後に、映画の冒頭にやった「どこにいてもココを見つける」と言っていた誓いのセリフについても回収する。

ここで、ミギリンとヒダリンが「プリキュアにもらった勇気」を武器にシャドウに立ち向かう。ミギリンとヒダリンも、最初はただ強いものに流されているだけだったのが、守りたいもののために勇気をもって立ち向かうことができるようになっている。

その後はプリキュア映画のお約束、劇場のみんながプリキュアを応援してラスボスを倒すシーンをやり、物語は終了。

プリキュアのコピーを作る際に使われていたクリスタルをあるべき場所に返すのだが・・・闇のキュアドリームの元となったピンクのクリスタルにだけ、大きな亀裂がある。

もちろん敵は倒したので、鏡の国は元のきれいな姿に戻りハッピーエンド。になるのだが・・・BGMが暗い。物語折り返しくらいのシリアスシーンに使うようなBGMで、ぜんぜんハッピーエンド感がない

そして最後にキュアドリームが、変身が解けた私服の姿でクリスタルの台座に行き「せっかく友達になれたのに・・・」と言うのだ。

雰囲気は完全にお墓参り。キュアドリームは敵を倒した喜びの表情よりも、大切な友達を失った悲しみのほうが強く刻まれている。

これで、エンディングアニメーションが楽しく流れて終了である。





さて、おわかりだろうか・・・

この映画、魅せ場のあるシーンが多くて、そのどれもが強く印象に残る。しかも、とっても作りこまれているし、セリフの言葉選びも素敵。声優の演技もよい。ちなみに戦闘シーンの動きも凄く、各々のプリキュアたちの戦闘はみんな別々の特徴を出している(ビーム一辺倒とかじゃない)。

個人的には好きな作品なのは間違いない。


ただ・・・そう。

この作品、主題がとっ散らかっているのだ。

一回観ただけでも、下記のメッセージが込められた作品だと感じることができた。

1.大切に想う相手のことを理解しているか? お互いに本質を見つめあうことができているか?(キュアドリーム、ココ)

2.作られたモノには無くて、ヒトにはある強さの源は何か? それは友情や夢や、成長しようとする心だ!(プリキュア5人と闇のプリキュア5人)

3.大切なものを守るための勇気があるか? 流されずに強いモノに立ちむかうことはできるか? どうしたらできるか?(ミギリン、ヒダリン、ミルク)

4.作られたモノでも心があれば、何かを守るための力を手に入れることができる。「友達」っていつから、どうしたらなれる?(キュアドリーム、闇のキュアドリーム)

上記4つはどれもすべて、深堀りすると2時間でも足りないのでは? と思う重さレベルのテーマである。

しかしこの作品、これを4つとも全部、しかも70分でやろうとしているのだ。

しかもさらに、プリキュアお約束の変身バンクや、劇場版しか観ない人たちにプリキュアたちの性格がわかるような描写も入れないといけない。

だから、一つ一つのシーンの内容を濃くしないと時間内に収まらない。まぁ、こんなにシーンの密度を濃くしても間に合うテーマの量じゃないのだけど・・・

結果、いろんな要素がちょいちょい説明不足になっていて、ちょっと駆け足なのが唯一のちょっと残念だったところ。登場キャラ個人についても深掘りする時間が無かったので、ちょっと迫力に欠けるところがある。

前に観た「人形の国のバレリーナ」のつむぎのほうがすごみが出てたかなあ。

個人的には、闇のキュアドリームがすごく好きなキャラだったので、もっと深掘りしてほしかったなぁぁぁぁ。



あと、プリキュア2作品(2014年と2007年)を観くらべて気づいたが、最初の導入でプリキュアたちが「誰かのお姫様になりたい」という話をするところが共通だった。これってどの時代でも普遍的なんですかね。最近のプリキュアとかってどうなんだろう? なんか社会学チック。(女児向けアニメ考察の社会学論文ってめっちゃありそう)

【記事終】




【蛇足的個人記帳】

映画を題材にして、物語について考えたり、自分が大事にしているものだったりが、なんとなく可視化されてきた感じがある。PCの前で一つの題材についてカタカタと打ち込む習慣もできた。

色々と書いているけれど、創作物においては、創作をできる人が一番偉い。

何かを語るのと何かを生み出すのには雲泥の差があるし、何より変にわかった感で語ってしまうのが一番よくない(自分は、比較したり目が肥えたりするうちに、どうしてもなってしまう)。

そろそろ俺も何かしないと。

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