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泉ケンタ氏の提言を読んで(こちらには余談はない)

泉ケンタ氏の提案についても3点批判してみようと思う。

1 子育て支援

前回の民主党政権時にも子育て支援は目玉政策の一つであった。残念ながら、民主党政権は子育て支援を公約通り実施する事はできず、逆に自公に攻め込まれて中途半端に終了せざるを得ないという結果になった。この提案に挙げられている子育て支援の額は一人月額一万五千円という事であるので18歳未満人口を2千万人としても年間3.6兆円で済むとは言える。今後少子化が進むので負担は減ってゆくことも予想される。しかしながら、3兆円といえば生活保護費と同程度である。少し増えて5兆円になれば文科省の予算や防衛費に近くなる。それだけの予算をどうやって捻出するのかという点については具体的に提示しないと、かつての「埋蔵金」騒動と同じことになるのではないか。子ども手当は単年度のものではなくて継続する性質のものであるから恒久財源を当てないと持続不可能になるのである。能天気なリベラル様なら「ピコーン!防衛費をゼロにしてそのまま子ども手当にしよう」くらいのことを言い出すかもしれないが、それは自衛隊員を全員無職にするつもりなのかということになる訳である。もちろんそういう無茶は論外ということになる。ここまでいうのは何しろ、「経済」領域ではコロナ禍収束までという期限付きながら消費税をゼロ%にして、給付金を再度支払うという大盤振る舞いをした上で財政再建を目指そうという提言である。むしろインフレターゲットでもやって、負債を圧縮する方が早いのではないかという気もするのである。議員の数を少々減らしたり給料を下げたりするくらいでは到底追っつかないのではないか。

2 男女共同参画

政府も男女共同参画は推進しているじゃないか、何の問題があるのだ、と言いたい人もいるかもしれないが、むしろどう推進するのかということである。男女共同参画という事は女性ー妻ー母を専業主婦にせず、企業等に就労させる政策ということになる。仮に子供が3人いたところで月4万5千円では専業主婦を選択するのも苦しいかもしれない。そうなると、誰が子供を育てるのだということになる。一般には保育園であろう。そうであれば、児童手当として各家庭に出すのではなくて、保育園・認定こども園や学童保育の整備や職員の待遇改善に使用した方が良いのではないか。先日も待機児童が1万2千人ばかりいて、その早急な解消は困難だということである。例えば待機児童だけにお金を支払うことにすればずいぶん負担は小さくて済むのではないか。子ども手当を復活させたいという気持ちはわからないではないが、男女共同参画は当時よりもっと進んでいるので子供のことだけではなく、女性のエンパワメントについても考慮すべきなのではないだろうか。

まあ、男女共同参画を掲げるとリベラルやフェミニズムの人は喜ぶだろうことはわかるのだが、皆、それぞれの都合の良い未来ばかり思い描くので、実際、男女参画が進んでも「私の求めているものはこんなものじゃない」と文句を言う人ばかりが増えそうである。例えば、男性の生涯未婚率の増加ではおそらく、もう25%程度の人は50歳時点で結婚歴なしということになっているが、担当部署は「ご、50歳で未婚でも、その後に結婚するかもしれないからもう「生涯未婚率」って言う言葉自体ナーンセーンス!」って逆ギレしていたと思うけれども、野党としては「みんなが結婚するような、結婚できるような政策を提言しよう」と言うのか「うは、男カワイソス、女性さえエンパワメントできれば良いから男は死ぬまで未婚でいろ、アハハ」と問題を無視するのかどちらなのだろうか。

3 安全保障・憲法

これを一まとめにしたのはやはり集団的自衛権の問題がある。憲法には「集団的自衛権は持たない」という文言はなく、政府解釈により集団的自衛権は行使しないとされていたものを安倍政権で政府解釈の変更が行われたという理解である。どこかに「日本国憲法の正しい解釈」というものがあるわけではない。憲法に抵触するような不利益な事象を受けた人が最高裁に訴訟を起こすことでその判決が最高裁による憲法解釈ということになる。一方で政府の憲法解釈はあくまで政府独自の解釈でしかない。政府の憲法解釈を変更することにも法的な制約などの大きな障壁はない。

もし、司法が一定の憲法解釈を保持し、現実の問題に憲法解釈を適用させるならばいちいち最高裁にお伺いを立てるのは恐れ多いことだというならば独立した憲法裁判所を設立して「正しい憲法解釈」を保持する必要がある。問題は司法は日本国憲法で規定されているので、憲法裁判所を設立するためには「改憲」が必要であることだろう。護憲の立場からは「改憲なんて却下」というしかないのであろうからジレンマになるかもしれない。

次に、安全保障にも言及しなければならない。綱領にもそうなのだけれど、安全保障について、日米関係しか言及されていないってあまりにお粗末じゃないかと思うのである。憲法前文でも「諸国民」って書いてあるのに。でも、とりあえず、まずそこは棚上げして日米地位協定の問題である。恐らく米国は「日本の司法制度は被告に対して恐ろしく不平等ではないか。起訴されたら有罪率90%以上って、在日米軍の兵士を日本の司法に任せたらどんどん有罪にされちゃうじゃないの」って言ってきたときにどういう対応をするのだろう。「日本人だってみんな有罪になっているのだから諦めて」って言って納得してもらえるのだろうか。日米地位協定の改正の条件として司法制度改革を求められた場合、どうするのだろう。

日米同盟を重視するのは、一般に軍事同盟は攻守同盟であるから集団的自衛権を前提とする。集団的自衛権を前提としない、つまり片務的な軍事同盟を結んでくれたのは米国だけである。いや、米軍においてすら、「日本人は血を流さないのに米軍が血を流して日本を防衛しなければならないのはアンフェアだ!」と米軍兵士のお母ちゃんたちが騒いだ事があってトランプ大統領も一緒になって「思いやり予算を増やせ」と言い出したのだけれど、もう日米同盟と心中しますということなのだろうか。それでは足下を見られるから日米地位協定の改正ってずっと遠のいてしまうと思うのである。

日米同盟以外に目を向けると、近年、クローズアップされてきたのは尖閣の問題である。今年は尖閣諸島近辺の日本領海内に中華人民共和国の艦船がずっともう100日以上も侵入してきているのである。中華側は一切譲歩するつもりはなく、すでに尖閣は核心的利益とまで言って日本の領海内で中華漁船を取り締まるなどの越権行為すら行い始めているのである。このような侵略行動は南シナ海で既に前例があり、中華側は他の東南アジア諸国の領土主張などお構いなく、九段線を主張し、暗礁に土盛りをして人工島を作り、そこを軍事要塞化しつつある訳である。同じことを東シナ海で行ってくる可能性は十分にある。

今日本が行うべき事は日米同盟を強化するとともに、他の環太平洋諸国、東南アジア諸国と一定の集団的自衛権を行使してこれ以上の中華の膨張を抑制してゆくことではないだろうか。中華は周囲の諸国とのhot warは望んでいないであろうが、膨張の意思は隠す事なく、また止むことなく継続しているのである。この期に及んで、もはや日本は一国平和主義などと言って自国に閉じこもってやり過ごす事はできなくなっている。中華の目的は西太平洋への進出であり、日本の周囲の海つまり日本海と太平洋を「中華の海」にする事であろう事はもはや明らかになりつつある。

能天気なリベラル様は「いいじゃないの。日本が中華の勢力下に入っても。日本が中華に占領されたらもう日本人ではなくて中華人民共和国の人民だ。国民じゃなくて人民だぞ、その方がかっこいいだろう。優秀な日本人ならきっと中華で頑張れる。北京で実力を発揮すればいいんだよ」というかもしれないが、今、中華で行われているのはそういう周辺民族への漢化政策とその周辺民族の抵抗である。

しばしばチベットやウイグルが取り上げられるが、内モンゴルでも同じ事が起こっている。この列に日本も並びたいのだろうか。

中華においては、先の民主党政権時代にも尖閣諸島近辺の漁船とのトラブルがあったが、現状では香港の一国二制度が暴力的に破壊され、次は尖閣諸島、台湾が狙われてくる可能性が高い。「いや、取られやしないよ。そうならないように現実的に対応すればいいんだよ」というかもしれないが、その「現実的対応」をどうするかというのが重要な判断になる事であろう。

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