理念上の男女平等は男女平等ではない

恐らく、フェミさんや左派リベラルの主張に違和感を抱くのは、彼らは男女の差が絶望的に差があるという信仰を持っているからだろうと思う。彼らの認識では例えていうならば男は巨人であって、女性の方々は幼児並みなのである。だからこそ、女性が全力で男を殴ったところで幼児が大きなお父さんを叩くようなものだから何の問題もない。男女平等、ジェンダー平等を実現するにはもう「巨人」である男を全力で殴っても首を絞めてもナイフで刺しても鉄砲で撃ってもまだ足りないというレベルであると感じているのではないか。フェミさんや左派リベラルの感じる絶望感はそれほど深いということだろう。

けれども実際はそんな差はない訳である。昭和の時代にはお父ちゃんというものは気に入らないとちゃぶ台をひっくり返すという信仰があるが、あれは星飛雄馬のお父ちゃんだけの特技であり、あそこの家庭はそもそもお母ちゃんはいなかったはずである。お父ちゃんと子供。星飛雄馬とそのお姉ちゃんがいた訳である。お姉ちゃんは家事育児をやっていたので今で言うヤングケアラーである。

お父ちゃんは貧乏な自分たちが貧困から脱出するために大リーグボール養成ギプスを考案するなどちょっとヤバい人である。そういうヤバい人、確かにあれはもう児童虐待一歩手前の事例かもしれない。そういう人であるからこそ、その暴力的性向を表現する一手段として「ちゃぶ台をひっくり返す」と言う表現を選んだのではないか。

もう令和の日本にはちゃぶ台など消滅しているような気もする。今の子供達は西洋風のテーブルに椅子に腰掛けて座るのが一般的になっているのではないか。西洋風のテーブルは重いのでひっくり返すにもちゃぶ台よりは大変だろうと思うのである。けれども、左派リベラルやフェミさんはそういうことは気にしない。もう固定観念の世界に生きているので現実の変化には気がつこうともしない。

なので、自分たちの自己認識も幼児のままである。自分たちは幼児のままなのでちょっとくらい悪さをしても大人である男どもは我慢しろということである。けれども実際はもうフェミさんも左派リベラルもまだ大人とまでは行かなくても中学生か高校生の域には達している訳である。もう腕っぷしも太くなりつつある。そういう人が「アタチは幼児なの!」と言いながら全力で脳天を痛打するとそりゃ男の方も脳震盪を起こしてぶっ倒れてしまう訳である。

幼児のつもりのフェミさんは脳震盪で昏倒して見えなくなった男どもが優しく「幼児だから許してあげる」と頭を撫でてくれることを期待していたのに姿が見えなくなったものだから可哀想な自分を無視して逃げやがった!この卑怯者!と怒り狂っているのである。もう躾けられていないワンちゃんが飼い主の手を全力で噛んで出血させているのに、飼い主があそんでくれない、ウエーんと言っているようなものである。

無論、現状を正しく認識することは左派リベラルにとってもフェミさんにとっても損なので、賢い人でも現実を無視して、「あーあー女性に殴られただけで脳震盪を起こす男が悪い。噛まれたくらいで血を流す飼い主が悪い。女性が全て正しいのだから男は女性の言うことに何事によらず従うのが良い」と言い続けているのである。

これでもうまともな話が通じないと考えた人は三次元女性から遠ざかるべき時に来ているのである。説得は無意味である。彼らは壊れたテープレコードのように同じことを繰り返すしかないのである。

話し合いができない女性がいないわけではないけれど、そういう人は左派リベラルでもフェミさんでもないということであろう。

男たちは少なくともジェンダー平等とか男女平等という言葉に惑わされてはいけない。もちろん彼女たちが悪意を持ってそれを言っているわけではないだろうが、そもそも彼女たちの都合のいい世界の建設がジェンダー平等、男女平等である。それは左派リベラルやフェミさんに都合のいい平等であるから男の自由や男の人権という存在は理念の上では存在しても実際には存在を抹消されているのである。

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