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産後うつと男性育休

いや、イクメンプロジェクトもあるし、育休男子が増えることは悪いことではないんだよ。けれども、女性が大変な育児が男性にとっては何のストレスもなく行えるなんてことはない。育休男子が増えると、女性の負担が減って女性の産後うつが減るかもしれないけれど、その分、育休男子に負担が増えて男子の「産後うつ」が増えるかもしれない。もちろん高齢者層では「男が家庭を支える」という性的役割分担は強固だから、「あそこのお父さん、失業したのかな?いつも育児をやっているよ。生活費はどうしているのだろう。」という陰口を近くのおばさま方が聞こえるようにこっそり言うかもしれない。

自殺における男女差

もちろん、フェミニズムの観点から言えば、「これまで男性が恵まれ過ぎていたのだから男どもは大いに産後うつになって自殺でもすればいい。ザマアミロだ」と言いたいかもしれない。

現状では自殺者の70%が男である。これが80%、90%になれば「それは女性の自殺者が減ったと言うことだから純粋に喜ぶべき。男の自殺は男の問題だから女性に文句を言う筋合いではない。むしろ後始末をする女性の苦労を思いやってほしい。男も残される女性のことを考えて、生命保険を満額かけて死ぬことを忘れないでほしい。」と言うことかもしれない。

虐待における加害者の実母→実父への傾向

というのも、「元々、虐待の加害者は実母が多いのだが、最近、実父の割合が増えてきている。これはイクメンプロジェクトの結果であり、今後、「虐待の加害者は実父」ということになれば長年の母親の不名誉が返上されます!」とある講演会で講師の某教授が叫んでいたわけである。

https://www.zenkyokyo.net/児童虐待/2142

どうやら警察発表では児童虐待の加害者は実父が多いという報道が出ているようで、彼女たちにしてみれば「悪いのは男!」と声を限りに叫ぶことができるようになったので、虐待予防を考えるよりも今の「男が悪い」状況の固定化を図るのではないか。

彼女たちフェミニストにしてみれば「男が悪い」状況であればいくら虐待事例が増えたとしても、それは男を非難する得点になるだけなのでwelcomeなのであろうと思う。

私は加害者の罪を糾弾するより虐待件数を減らすことの方を望んでいるので、「虐待加害者は母親じゃなくて実父よ、父親を叩きましょう」というフェミニストたちの意見に賛成はしないのである。もちろん、父親の加害者が多いということが母親による虐待、加害を免罪することではないことも付け加えておかねばならない。

重要なことはそれぞれの家族が虐待やDVを起こさずにいくらかは波風があったとしてもそれなりに平和に子育てを完結できる社会にしてゆくことであって、やれ母親が悪いとか父親が悪いと断罪することではないのである。

核家族は善か?

産後うつについても同じことが言えると思うが、この場合、敵は「核家族至上主義者」であろう。母親のワンオペが大変ということであれば父親のワンオペも大変なのである。じいちゃんばあちゃんの力も頼ろう!近所のおっちゃんおばちゃんの力も頼ろう。もちろんお互い様である。してもらったことはお返ししよう。こういうことを言うと、「核家族至上主義者」は「いえ、憲法24条で示されているように家族とは両親と子供です。子育ては当然、両親だけで行うのが当然です。祖父母と言えども他人です。」と言い出すわけである。

私が思うに、「産後うつ」の真犯人はこの「核家族至上主義者」たちであろうと思う。新米のお父さんお母さんは本当に些細なことで深刻に悩まなければならない。子育ての経験があると瞬時に答えられるようなことも、ただ育児書を読むだけではさっぱりわからないのである。新米のパパママは悩んだ挙句に覚悟を決めて病院に来る。そうして人生の重要ごとを打ち明けるように悩みを打ち明けるのである。答えは大体1秒で終わる。パパママは「こんな簡単なことだったなんて。1ヶ月近くも悩んでいたのに」とほっとした顔で帰路につくわけである。

つまり、経験者にしてみれば非常に些細なことに新米のパパママが悩んでいるのである。経験者なら「そんなの育児書に書いているじゃん」で終わることが彼らの悩みの種なのである。我が子の行動が育児書に記載されている事項と本当に同じなのか、それとも違うものなのかということに悩み続けなければならないのである。

元々、そういうことは新米ママが自分の母や姉に聞けば一気に解決していたのである。けれども、女性の社会進出の進行で母も姉も勤めに出ている。訊こうと思っても相手も忙しいから聞いてはいけないんじゃないか。それよりも、核家族なんだから親の自分が一人で解決しなくちゃいけないんじゃないかと一人で悶々と悩み続けなければならない。いや、そういう時に子育て支援センターの存在に気づけばいいんだけれどね。大体、悩んでいる新米ママは一体それが何をするところかわかっていなかったりするし、鬱になる前はもうくたくたなのでわざわざ外出して行こうとも思わないかもしれないのである。うまくセンターにつながればいいのだけれど、そうならなければ悩みは続く。もちろん、保健所の乳児健診も一つのつながりになることがある。

行政の努力=公助だけでなく

もちろん、行政も努力していないわけではない。結局、それらの制度にうまく乗れない人たちが悩みを解決できなくて「産後うつ」になるのであろう。新米ママに経験値がないのは新米パパも同じである。フェミニストたちの言うように父親に育児の負担を背負わせれば母親の代わりに父親が「産後うつ」「育児うつ」になるだけのことである。

実は国ももう20年も30年も前からお題目はとなえていたのである。

この平成6年の基本方針は今でも生きているのである。つまり、根本的な問題は何も解決していない。

政府広報は

こんな調子である。子育て支援の相談制度が保育園の後になっているのはかつて「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人たちや保育園に行きたくてもいけない東京や大阪の待機児童を持つ家庭に配慮しているのかもしれない。

もちろん、「産後うつ」の問題は保育園以前の問題で、新米のパパママが抵抗感なく相談できるシステムが必要である。

多分、製作としては新米パパママを中心としてきめ細やかに行って行く必要があるが、時に上の子が「イヤイヤ期」などで親の負担が増えたところに乳児の世話が付け加わってお手上げ状態になる場合もあるから、そのような家庭をもぜひ早期に発見できるシステムが欲しいところである。

野党の皆さんは公助公助と叫ぶが、子育て支援においてはできれば実家の母や既に子育てベテランの姉や従兄弟などに相談しやすくするシステム(核家族至上主義者がきっと眉を上げて叫び出しそうになる)や地域社会の助け合いシステム(共助)も支援して再構築していかなければ生きにくさは解消しないと思う。そりゃそういう社会のシステムがキツすぎると束縛を感じて生きにくかろうことは確かであるが、全部壊してしまうとそれもまた生きにくいということではないか。

重要なことはお題目やスローガンを叫ぶことではなくて、どうすればもっと生きやすくなるか、他人を踏みつけたり、全責任を背負わせたりすることなく、それぞれができるだけ生きやすくなるためにはどうすればよいか、それぞれが考え、お互いが議論することではないか。もちろん、重要なことは妥協である。お互いが歩み寄って合意できる点を見つけることが重要なのである。

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