ジェンダー平等の日本には弱者男性とかネトウヨなどいない。いるのは男の性役割を果たす高給取りのかっこいい推しだけである

こういうのを見ると、女性やフェミニストの考える「ジェンダー平等」とは単に男を奴隷とか種馬にして女性が自由を得るというシステムなのだと思う。男に自由など必要ない。男は女性のために命をかける性役割分担をもっと強化せよ。男なら死ねい、葉隠でも武士道は死ぬこととみつけたりと書いてあるではないか。楠公精神で死んでくるのが男の役目、そして残った財産は女性が丸儲けになる。夫婦別姓にしたらその財産は自分の実家の両親に胸を張って「男から分捕ってきました」ということで実家の財産に組み入れられることになる。

そういうことに対して文句を言う男は徹底的に叩け、男がもう諦めて「男には人権など不要です」というまで叩けということである。

こういうお父さんはもう悪人として首を切り落とせというのが彼女たちの正義である。

共同親権など狂っている。まるで父親が人権を持つ人間ではないか。別居親など人間ではない。それはもうモノであるから人称をつけることすら相応しくないのである。まあ女性はそれでも養育費など払う必要はないし、黙って子供と会えばいいのである。問題は男である。男のくせに金を払わないとは何事だ。自分が生きるために必要だとは男の分際を弁えていないのではないか。男など生きる必要はない。餓死すれば良い。飲まず食わずでホームレスになれ。自宅は母子のために明け渡せ。男ならそれで働き続けて金だけガンガン母子によこせ。その金から離婚弁護士の報酬も出るのである。

男は生きなくても良い。徳川家康も「男は生かさぬよう殺さぬよう」である。死ぬ寸前まで切り詰めて金を払えということが社会の正義である。前明石市長様もフローレンスの人も男は金を払えと言っているのである。男が親など笑わせることを言うなである。男は金を払う機械である。母子の貧困さえ救えたら男が貧困であっても一向に構わないではないか。

それが日本社会の正義である。父母共に親であると言うのは日本以外の多くの国ではそうかもしれないが日本では当てはまらないのである。母親は親であるが、父親は親でも人間でもない。それがジェンダー平等ではないか。女性に性役割分担を押し付けてはならない。性行為も女性の同意がなければ行ってはならないのである。つまり、女性が主、男性が従であると言う原則が日本のジェンダー平等である。

ジェンダー平等なのだから男は家族を養うためにガンガン働かなければならないし、家事育児のアンペイドワークも全部引き受けろ。長時間労働は嫌などと言うのは甘えに過ぎない。ガンガン働いても体の弱い女性と違って、男なら24時間でも48時間でも休みなく働けると言うべきである。男が休息を取るのがまずもっておかしい。休息は女性のもの、男は仕事というのがジェンダー平等であろう。過労死とか過労自殺という言葉は女性には適用すべきだが男ならそんなのへっちゃらというのが性役割であろう。男のくせに弱音を吐くべきではない。女性に性役割を押し付けてアンペイドワークをさせるような男はジェンダー平等に反する。男なら睡眠も食事もなくても故障なく永久機関として働き続けられるというのがジェンダー平等であろう。

それが嫌という男性はもう男性から降りて結婚とか生意気なことを言わずにインセルとして一生結婚せずにシングルの生活を送るべきなのである。フェミニズムを理解しないような愚かな男はもう男ではないしジェンダー平等とも無縁である。そういうのを弱者男性という劣等なネトウヨどももいるがそもそもネトウヨも人間扱いすべきではない下等生物である。そういう劣等種はもう人間ではない。弱者男性などいないし、ネトウヨもいないのである。存在するのはきちんと男としての性役割をわきまえた家族を養う賃労働とアンペイドワークをガンガンやって自分は睡眠も食事も取らないジャニタレとか韓流スターのようにかっこいい推しだけである。

男の3割近くは50歳まで一度も結婚していないのである。

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