生まれた子供は大事に育てよう

タックスペイヤーとタックスイーター

本質的な点を言うと、現役世代と高齢者はタックスペイヤーとタックスイーターという相反する立場にいるので対立が深まりやすいわけである。つまり、高齢者にしてみれば現役世代からより多くのカネを奪えば自分たちの生活が豊かになるという関係になる。だからこそ、老人たちは子育てに甘えるな、もっと税金を払え、子育てと結婚は別だろう。子持ち様とかおひとり様とか笑わせるな!もっと老人に金を出せ!ということになるわけである。

昨今の少子化問題についてもコストがかかる子育てのお金を奪い取れば老人は勝ちなのである。少子化になった子供たちが成人する時にはもう多くの老人たちは棺桶に入ってこの世からオサラバしているわけである。だからこそフェミニストさんやサヨクたちをけしかけて「お前ら敬老精神こそ重要じゃろが。子供に金を使うなんて無駄なことをするな。子供なんていない方がいいぞ。そんな無駄金を使うくらいならさっさと老人によこ、いや違った。子育ては大変だからやめといた方がいい。それより同性婚だったら子供は生まれない。別姓婚にして子供が産まれてもさっさと離婚すればいいんだよ」と煽りまくるわけである。

一方で言うと、同年代の現役世代における子持ち様とおひとりさまは本質的には戦友である。なぜなら彼らが年老いた時に税金を払ってくれるのはその子供たちである。現状で少子高齢化が問題であるのは高齢者に対して現役世代が少なくなりすぎるのでいくら現役世代が税金や年金、医療費を払っても間に合わない可能性があるからである。

少子高齢化の将来ー年齢差別をなくして生涯現役へ

そうなると、高齢者たちは引退しようとしても政府からは「お金ないです」と言われて今の団塊の世代のように優雅には生活できないわけである。いや、今の老人ほど恵まれていないものはない、軍事費反対!教育費反対!防衛省と文科省の予算を全部老人に突っ込むべき!と団塊の世代の人たち、サヨクたちは言うかもしれないが、多分、今の団塊ジュニアたちがこのまま高齢化した時には生活費がないのでそのアパートが姥捨山になりかねないわけである。わざわざ姥捨山に捨てて強制自決!とか言わなくても老人が生活費が足りなくても政府も「ない袖はふれぬ」と見捨てるしかないかもしれないわけである。

だからこそ政府は「年齢差別などおかしいですね。米国には定年なんてありません。日本でも65歳で定年なんておかしいでしょう。今後は70歳でも75歳でも働けるだけ働きましょう。」と言い始めているわけである。一応、何年か前の試算では定年を70歳に伸ばせば問題は乗り切れると言う話であったが、少子化の進行が早すぎることはすでに明らかになっている。それで乗り切れるのかどうかは実際にその時になってみないとわからないかもしれない。タックスイーターになっても食べるべき税金自体がないとそこは姥捨山と同じになるので、死ぬまでタックスペイヤーとして働き続けなければならない世界も妄想ではないかもしれないわけである。

家父長制・家制度の廃止

本来的には日本は家制度、家父長制という制度で子供を産み育てる理由づけをしていた社会である。その家制度、や家父長制はoccupied Japanの時代に破壊された。法律的には長男子相続が家制度の根幹であるが、GHQによる「新しい憲法」をもとにした新しい民法では兄弟均等相続が原則になったわけである。それでも戦中世代が生きていた昭和時代には民法など無視して長男子相続が行われていた。

けれども戦中世代が次々に寿命でいなくなり、「新しい憲法」下で育った人たちが増えてくる平成時代になると兄弟均等相続の要求が増え、裁判所も(当然ながら)兄弟均等相続を支持したわけである。こういうのは当時土曜日のお昼にやっていたNHKの「生活笑百科」という法律相談の番組でも遺産相続の兄弟争いというテーマは繰り返し放映されたと思うのである。

名古屋では愚か者、馬鹿者のことを「たわけ」と称するらしい。これは農民が兄弟にその田圃を分割して相続させると耕作面積が少なくなって一家を養うだけの収益が得られなくなるからだという説がある。つまり、「田分け」ということである。

おそらく、その時に齟齬が生じたということであろう。老親は長男に老後の介護をお願いするのは当然のことだと信じていたわけである。けれども、遺産相続では次男三男以下にも均等分割が原則だというトラブルになると、長男も「そんなに少ない遺産しかもらえないのになぜ老親の下の世話までしなければならないのだ、せめて遺産をもらった兄弟たちで分担すべきだ」という気分になったであろうし、次男三男にしてみれば伝統的に長男が面倒ごとを一手に引き受けるものだ、次男三男は金だけもらうのが権利であって親の面倒を見る義務はないという気分が濃厚だったということだろう。

だからこそ当時の女性は「長男の嫁にはなるな」が合言葉になったわけである。

上野千鶴子先生のような先鋭的なフェミニストたちが家制度反対、家父長制壊滅!と叫んだことは大きな問題ではなく、現実は金ももらえないのになぜ親の面倒を見なきゃならないのだと考える子供世代、長男が増えたということだろう。そのため、多くの戦中〜団塊の世代までの老人たちは自分の貯金をはたいてもしくはもう子供が同居してくれない自宅を売って老人ホームに入らざるを得なくなったわけである。

結婚へのインセンティブの消失と介護離職

そういう老人にとっては氷河期時代はむしろ幸せだったかもしれない。自分の年金を餌に無職の、あるいはブラック企業でヘトヘトになった子供を離職させ介護させることに成功した老人は少なからず存在したであろう。いわゆる介護離職の問題である。介護に数年以上従事した子供世代は親が死んで介護が終了した後は当然ながら年金は打ち切られるし、かといって再就職することも困難になり、問題になったわけである。そのため、厚労省も「介護離職予防」を打ち出したわけである。

そういう時代を経て、もう長男は結婚するインセンティブも子供を産み育てるインセンティブもなくなった時にフェミさんたちが「結婚を全ての人に」キャンペーンを始めたわけである。この結婚は主に同性婚を目指したもので、それゆえに子作り子育ては禁忌とされている。結婚とは単なる二人の結合でしかなく、子供などは結婚には関係ないというのが彼らの「新しい結婚」である。つまりそこには子供などは不要というメッセージが強烈に込められているのである。

新しい「結婚」には子供は含まれない

彼女たちの考える結婚とは単に二人の結合でしかなく、子供は関係ない。子供はリプロダクティブヘルスライツなのであって女性だけが持つ特権である。男はそこでは奴隷に過ぎないので、人権を持つのは女性だけであり、人権を持たない男は奴隷として養育を担い、一方では財布として金を献上せよという役目を下賜されるわけである。彼女らが中絶の権利として求める配偶者の同意なしで中絶する権利はつまりは子供はご主人たる女性の子であって、配偶者であったとしても男には何の権利もないので子供の生殺与奪の権限は全て母親のものであるということである。

こういう状況で他国の男たちは共同親権に向ったのであるが、日本では男たちは無意味な結婚から遠ざかったということである。まあ、男が権利など主張するとフェミニストかぶれのマスコミやサヨクさんに叩かれるもんね。なので男たちがとった先方は静かな逃散ということであろう。結婚しなければ離婚はないのである。女性たちは倫理観が強烈なので事実婚については拒否的である。婚外子は日本では全出生の2%に過ぎないと言われる。つまり、男は法律婚さえしなければ女性とのトラブルに巻き込まれることはなく過ごせることになる。フェミニストたちが「家父長制反対!」と叫ぼうが「リプロダクティブヘルスライツ!」と叫ぼうが、静かに(私には関係ないけど)「頑張ってくださいね」と呟いていればいいだけなのである。

今は「結婚なんて嫌だ!」とか駄々っ子のように叫ばなくても「いい出会いがないものですから」と言っておけば余計なトラブルは避けられる。フェミさんが「同性婚バンザーイ!」と叫んできても「同性婚、いいですね。私にはゲイの性的志向はないですけれど」と言っておけばよい。

生涯未婚率は増加し続ける

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