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人口問題

一つ前のエントリーは無論冗談で書いたものであるが、大体、統一協会信者(や嫌いなネトウヨ)をツボとかいう奴らにそもそも人権感覚などないのである。彼らが持っているのは狭い自己愛しかないのであるからそもそも議論にもかかりはしない。これは幼稚園児に微分積分を教えても無駄ということに近い。彼らが成長するかどうかは誰にもわからないが、彼らが幼年期の終わりを迎えて新しい視野を獲得するまで辛抱強く待たねばならないということである。(彼らが新しい視野を獲得する保証はないけれども)

人口問題でも同じである。日本の少子高齢化を真に解決するためには少子化の解決もさることながら高齢化の問題を解決しなければならないわけである。これはまず無理である。今でも高齢化率は3割近い。つまり、定年退職して働かなくなった人たちが人口の三分の一いるわけで、それを三分の二の生産年齢人口が支えなきゃならないということになる。残りは子供である。

この高齢化率はこれからどんどん上がってピークでは4割を超えかねないということである。そうなるとほぼ一人の生産年齢人口が一人の老年人口を支えるということになる。もう地獄絵図が現出するであろう。多くの人は老人の介護なんて真平ごめんと言いたいだろうが、強制的に老人介護を求められるわけである。しかも、ある一定の人は縁もゆかりもない見知らぬ老人のケアをしなければならないのである。

そういう事態を防ぐには一つは定年の延長である。今は65歳で定年になる企業が多いが、これを70歳に延長するわけである。そうすれば老人人口は定義上は減少する。5年分の人が老人としてケアを受ける立場からケアする方に回るわけだから若者の負担は減る。70歳まで頑張ってもらえれば男の平均寿命は80歳である。あと10年だけ何とかケアすればお迎えが来てくれるわけである。

けれども、高齢者である。長年の使いいためで体にガタが来ているかもしれない。入退院を繰り返すようになれば仕事はできないのである。元気に生活できる期間を健康寿命というが平均して健康寿命は平均寿命の8年前だと言われている。70歳を定年すると健康寿命に引っかかって働けなくなる人もそれなりに出てくることが予想されるのである。

そうなると姥捨、もしくは強制自決によって高齢者の数を強制的に減らすという方法くらいしかなくなるのである。多分、この話をすると団塊の世代の人が「わしらを殺すのかァ!」って暴れ出すかもしれないが、実際のところ、団塊の世代は既に70歳を超えているわけである。もう何年かすれば嫌でもお迎えが来る。その数年を縮めても効果は少ないだろう。それよりも医療費の自己負担分を増加させて不必要な受診を控えてもらうことが重要になるであろう。病院の待合室を軽症老人たちのサロンにしてはいけないのである。

むしろ強制自決を迫られるのは今の70万人台の赤ちゃんが成人する20年後に高齢化する団塊ジュニアの世代であろう。団塊の世代はいずれにせよ団塊ジュニアが支えられたのである。けれども団塊ジュニアが高齢化した時には彼らを支えてくれる若者はいないのである。そうなると、その時の若者が支えられるように保険や年金は縮小せざるを得ないであろう。多くの高齢化した団塊ジュニアは当然のように老骨を鞭打って70歳以上まで働かされるだろう。それに耐えられずに病気になった人たちは医療難民になるであろう。そこで死ねればまだいいわけである。下手に生き残ってしまうと減額された年金ではとても生きてゆけないかもしれない。

病気で働くこともできず、年金もなく、貯金も尽きてしまった人たちはもうどうしようもなくなるわけである。先に「若者は縁もゆかりもない老人を介護しなければならない」と書いたが、老人の方がそこまで恥知らずに見知らぬ若者に寄生して生きるだろうか。若者はもしかすると「自分の人生を潰しても、本来育てるはずだった自分の子供を諦めてもあなたをケアしますよ」と言ってくれるかもしれない。

それは日本の将来を食い潰すことに他ならない。団塊ジュニアは彼ら団塊ジュニアが支えてくれたおかげでワガママが好き放題言える今の団塊の世代とは違うのである。

むしろ日本の将来のため、自らの食を絶って即身成仏を目指さなければならないのがこれからの団塊ジュニアであろう。そういう状況であればアロマンスとかアセクシュアルのような人たち、不妊である同性愛の人たちは議論の外にやられる。国民が生きるか死ぬかの状況では子供を産み育てない人たちは自分たちだけで生きてゆくしかないわけである。

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