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(特に小さい子供にとっての)愛着の重要性

子供が入院した時には病院での付き添いを母親などの家族にお願いすることが多い。母親にしてみれば子が退院するまでは仕事を休んで付き添いせざるを得ないため非常に苦しい、誰かに代わってもらいたいという声があるのも承知である。

けれども、特に年少児の入院において母子分離が行われてしまうと、愛着障害が発生してしまい、子供の心理状態にマイナスの影響が出ることはいくつかの実例や研究で明らかになっている。

親からみれば入院中の子の介護についても育児にしても、他の誰もがやっていることだし、看護師さんの方が上手にしてくれるかもしれないという考えに至ることは稀ではないかもしれない。忙しいのだから子供も聞き分けて看護師さんにケアしてもらいなさい。私がやっても看護師さんがやっても同じでしょう。

こういう考えはしかしながら親の視点からの考え方である。子供は母親、せめて父親や祖父母など、親密な関係の者がいてはじめて自分の愛着関係を確認できるし、そこで安心できるわけである。

これが家族がいないとさすがに10歳を過ぎるくらいになれば我慢もしていようが、未就学児のおチビちゃんはずっとベッドで泣き叫んでいることも稀ではない。看護師さんがあやしても「ママがいい」というのが常である。

そういう小さい子にはもう母親や家族がいないことは逆境体験になってしまっているのである。こういう逆境体験が心理的トラウマになって思春期以降に問題を引きずってしまうことも稀ではないわけで、母親のちょっとした油断が子供にとっては過酷な状況を生むのである。

ジェンダーの人やリベラルな人から最近よく耳にするのは「親や家族からじゃなくても誰かから愛情を注いで貰えたら、それでいい」という言葉であるが、それは完全に親の都合であって、子供にしてみたらそんな話聞いていないよの世界であろう。家族の形は現代では様々なんだよといくらリベラルな親が説明してもそんなこと知ったことじゃないというのが子供の偽らざる気持ちであろう。

こう思うのはこども家庭庁が成立して「子どもまんなか」とか言いながら、いきなり「入院児の付き添い代行サービス」なんて言い出したからである。そりゃそういうサービスがあれば親も楽だろうというのはわかる。けれども子供にしてみれば見知らぬ人が「お母さんの代わりですよ」ってやってきて付き添うわけである。子供にしてみれば「この人だれ?お母さん、ママを呼んでよ」という気持ちになるだけだろう。とてもじゃないが「子どもまんなか」なんてこの時点で吹っ飛んでしまっているわけである。

近年は特に長期入院児の兄弟姉妹つまりは同胞の問題も取り上げられている。長期入院で必死で闘病している自分の同胞のために母親が必死で付き添っているのである。自分がわがまま言うわけにはいかないではないか。けれどもたまには自分もお母さんに甘えたいよなあという心を必死に我慢しているわけである。その無理する心がストレスになっている。つまりはヤングケアラーである。

もし付き添い代行サービスをするなら家に残されている入院児の同胞、お兄ちゃんやお姉ちゃんのケアをするサービスの方がいいと思うけれど、こちらも大人からは見えていないことが多いからケアの必要性が認識されにくいので、潜在的ニーズが顕在化しにくいかもしれない。

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