正しい正しくないと決めたくない夜

サカナクションの「フレンドリー」を聴いて思ったことをつらつらと。

正しい 正しくないと
決めたくないな
そう 考える夜
正しい 正しくないと
決めた虚しさ
そう 真っ暗になる

すごく普遍的な歌詞であると同時に、今の時代に反抗的な歌詞だと感じた。
SNSの世界を3歩歩けばすぐに自分と全く逆の考えにぶち当たっていざこざが起きるこの現代に、「正しい正しくないと決めたくない」なんてちょっと我儘なんじゃないか、と思った。
でもよく考えてみると、自分も結構こういうことをしている気がした。

すでに飲んで消化した本音を
ゴミに出して笑う人

本当は相手に本音を言いたいのに、「ノリ」とか「雰囲気」に流されて苦笑いしながら相手の意見に賛同して、肝心の言いたかったことはゴミに捨てる。
自分も人生で何回もやっていることで、それを見透かされているような気がして少し怖くなった。
そう考えると確かに、どちらの側にもつかずにいる方が幸せなのかもしれない、と思った矢先にこの歌詞である。

左右行ったり来たりの夢を語る君に
そう
腕を噛むんだ

曲の中で突然対象がこちらに向いてくるとドキッとする。
「どっちつかず」は、一見敵を作らないように見えるが、実際は身の回りの人たちに少しだけ不信感や敵対感を持たせることになってしまう。
意見の食い違うAくんとBくんにどっちにもいい顔をするCくんをはたから見たら「うわ〜」って思うのと一緒。多分。

しかし、コロナ禍によって社会は一変し、今までの常識が覆ったことによって、ある人にとっては正しいことが、またある人にとっては正しくないという「溝」が、はっきりとわかるようになってしまったと思う。(すごく個人的な意見ではあるが)
それは、コロナ禍が明けた今でも埋まることのない溝にまで成長してしまった。
これを踏まえた上でもう一度この歌詞、

正しい 正しくないと
決めたくないな
そう 考える夜

まるで魔法の合言葉のように聴こえてくる。

「決めたくない」と思うことも、また1つの考え方、意見なのだと思えてくる。それを肯定してもらえている気がして、心が少しだけ軽くなった。

ここまで読んでくれている人がこの世に何人いるか分からないが、初めてのnoteがこんな拙い文章でいいのだろうか、と少し不安になっている。

なるべく今後もこういう感じのエッセイを書く予定。


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