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怪盗マドレーヌ 



今日の仕事も成功だ。
午前4時、アジトに到着すると私はやっと確信できた。

宝石どろぼうは非常に高度な仕事だ。
読者の皆さんのご想像以上の知識と経験が必要で、綿密な計画と大胆な決断力を要求される。なおかつちょっとしたミステリアスな要素と、権力に一泡ふかせるようなエンターテインメントの要素があってこそ成立する仕事だと自負している。

今日は、裏家業で暗躍しているカネモーティ家の金庫に保管されていた、20カラットのダイヤモンドをいただいてきた。欲深いカネモーティが元の持ち主から手品のように奪ったものだ。

緊張から解けた私は、仕事着から部屋着に着替えるとキッチンに向かい手を洗った。今日のご褒美に自分のためのおやつを作る。これは私のルールで次の仕事をスムーズに運ばせるための必須のおまじないだ。
冷蔵庫を開けると、バターを塗って小麦粉をはたいた状態のブリキ製の焼き型と、しっかり休んだ生地が入っている。私はそれらを冷蔵庫から取り出し、スプーンでブリキ型のシェルに生地を落とした。

オーブンは170度に余熱。生地を落とした型をそっと天板に乗せると13分に時間を合わせる。私のオーブンは火の回りが早い。少しタイマーを控えめにセットする。この間にお湯を沸かして茶葉からきちんと入れる紅茶の準備をした。紅茶が入り、朝日を見ながら食べる焼きたてのマドレーヌは最高だ。この至福の時間のために難しい仕事をこなしているようなものだ。

おやつを満喫した後、テレビジョンをつけると、ニュースが流れていた。「実業家カネモーティさんの自宅に何者かが侵入。総額5億円ほどの貴金属が盗まれる。」
「この数年同様の被害が届けられており、警察は他の事件の関連性を調べている。」
ふふん。似たような他の事件も私が起こしている。
私は「怪盗マドレーヌ参上」と呟いた。

夜にはまた仕事が待っている。次のご褒美のために生地を準備する。
卵・粉砂糖・小麦粉・ふくらし粉・レモン汁とレモンの皮のすりおろし・無塩のバター。後はこれを手順に沿って混ぜるだけ。ただそれぞれの材料と向き合って一つ一つ丁寧に確実にに混ぜ合わせていく。

まずは下準備だ。
最近は耐熱のシリコン型などもあるけれど、クラッシックにこだわりたい私はこのブリキ製の貝が六つ連なった型を使ってマドレーヌを焼く。やわらかくした有塩バターを型に塗り込んだ後、型に均一に軽く小麦粉をふりかけ、余分な粉を落とし冷蔵庫に入れる。

次は生地にかかろう。バターを湯煎(ユセン)にかけ溶かし始めた。
卵をボールに割り入れて、泡立てないように攪拌(カクハン)する。白身と黄身が混ざり合って一色(ヒトイロ)の液体になったら粉砂糖を入れる。ふんわり仕上げるには溶けやすい粉砂糖でなくてはならない。そこにふるい合わせておいた小麦粉とふくらし粉を入れて、ゴムベラを立てて切るように使い、ボールの底の方からすくうように混ぜ合わせる。粉を混ぜていくと生地の表面にツヤが出てくる。このツヤは粉がきちんと生地に混ざった知らせになる。
レモンの果汁と皮のすりおろしを入れ、最後に溶かしておいたバターの温度を60度と確認して、(そうでなければそうなるように必ず調整して)生地にバターを流し込み混ぜ合わせる。

もったりとした質感の生地に仕上がったら、ボールにラップをかけ冷蔵庫にしまう。
私の生地は最低3時間、できれば一晩ほど寝かしてから焼成すると美味しく出来上がる。きっと材料同士が生地として馴染んでくるのだと思う。さて、一眠りしよう。次の仕事の為に。

深夜2時、私はあるお屋敷に忍び込む。
ここはある貴族の邸宅で以前は裕福な暮らしぶりだったが、当主を失ったのち今は、老マダムが一人でひっそりと暮らしている。私は長く手入れをされていないだろう庭に忍び込み、建屋に入った。
使われていない様子の多くの部屋の一番奥がマダムの寝室だ。その横に、以前は使用人が使っていたキッチン付きの部屋があり、今はマダムの主な生活のスペースになっている。私はその部屋の片隅で亡くなったご主人とマダムの幸せそうな写真を見つける。マダムの指には20カラットのダイヤモンドの指輪が輝いていた。

翌朝、マダムは大切な思い出の品と再会できただろうか。そのそばのふんわりと焼けたマドレーヌも見つけているだろうか。そんなことを考えながら明るみ始めた空の下、今朝のおやつのためにアジトへの道を急いだ。

この先の怪盗が作るマドレーヌのレシピは有料です。

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