2018年4月4日

土曜日が雨という予報がどうも変わらなそうなので、予定していた『gs/wh』の中止を告知する。次回は18日になる。そのことを考えると、毎週でなくなるというのは大事だ。その分、準備もできる。

季節が夢をみる、ということを考えた。季節は何かしているが、まさか、人間のようにあくせく働いたりしていないだろう。何かしているとすれば何だろう、と考えたわけではなく、この思考はあとづけだが、季節は夢をみている。季節は夢をみている、というフレーズが先にあって、思考をあとづけたら昔の人が神様をつくったというか、神様という形に凝集する考え方があるということに気づいたときのようなことになった。

荒川修作が小林康夫に「月にも春はあるかねえ」と訊ねた。ということが書いてあるというか、対談形式だから、正にそのときのこととして書いてある本を読んで、僕は春という季節は「ある」のかどうかを時々考えながらずっとやってきた。論理的に考えるのではない。思い出すということはすでに考えることのうちで、そうやっているとそのうち思いつくことがある。だいいち論理的に考えるなら書きながらか話しながらでないと人間には無理で、手も口も動かさないで考えられることなんてたかが知れている。

月に春はあるかといえば、僕は「無いかもしれない」と思う。しかし、「春そのものは『ある』」と思う。春は人間がつくった一種の決まりでもあるし、そうではなくて「ある」ということも、同じようにまた、ある。「月には」無いかもしれないが。

こういうことを考えるのもこのところすこし暑いくらい暖かくて、家の植物が芽を吹いて、育苗している土もすぐに乾いて、蛙が夜に鳴くからだ。と、書けないこともないが、これは嘘だ。嘘というほど嘘でもないだろうけど、全くここに書いたことだけでもないはずだ。過去のぜんぶがわたしに入っている。

今日は鉢上げと挿木床用の土づくりをやった。

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