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少年院卒がいじめについて考えてみた

私はいじめる側もいじめられる側も経験した。

どちらも小中学生の頃だったけど、高校の入学式でギャル4人組に目を付けられて入学早々もめたこともある。

昔から良くも悪くも目立つ子ども(人)で、少年院にいる子たちに似た感覚を感じた。

今日はそんな話をつらつらと。


結論からいうと学校であれ会社であれ、いじめられたら被害届を出して法的に解決するのが正しいと私は思う。

まずいじめは学校だけの話ではなく、会社にも存在する。大人になっても何も成長しない可哀想な人間は一定数いるからだ。


学校でも会社でもいじめ問題が起きると、ほとんどの人が「まぁまぁ穏便に…」「子どもがやることですし…」「先のことも考えるとね…」と言い始める。

第三者としてニュースで見ると引くのに、自分が当事者か近しい人間になると「そんなこと起こるはずがない」と言う。


いじめっていうのは単なる身内の悪ノリじゃない。

そもそもいじめが犯罪だという認識をしていない人が多すぎるし、最終的に自殺や他殺を招く可能性も大いにある。

他人の物を捨てる、壊す、隠す。

他人に暴力を振るう、お金を奪い取る、脅し取る。

他人の個人情報をSNSやネットに晒したり、事実無根の噂を流す。

これらが犯罪じゃないなら何なのか、納得できるように教えてほしい。私にはいじめは犯罪にしか見えない。


文字にすると冷静になるのに、学校や会社というコミュニティー内でいじめが起こると人の意識は変化する。

おかしいと思わないだろうか。

社会でも会社でも学校でも家庭内であっても、理不尽な暴力や精神的苦痛はきちんと第三者を挟んで解決した方がいい。

素人同士の“口約束“で終わらせれば、いじめた方もいじめられた方も必ずしこりが残る。

法的に解決すればそれが自分の思う結果でなくてもほとんどの人は事実を受け止めることができるし、法的な結果によって自分で終止符を打てるようになる。


正直、刑罰なんてどうでもいい。

自分の子どもや友人をいじめ加害者に奪われた人からすれば、例え死刑でも納得なんてできないはずだ。

ズタズタのボロボロに傷つけてやりたいだろうし、安全な場所で三食食べていることすら腹立たしいんじゃないだろうか。

それでも自分を納得させるために必要なのは、現金でも物でも謝罪でもなく、法律によって裁かれた結果だと思う。それ以上はこちらの罪になってしまう、最上の結果。


裁判がすべて正しいとは思わない。

ニュースを見て「迷う必要なんてない、死刑一択」と思ういじめっ子が懲役刑で済まされるのを見ると、腑に落ちないことも多い。

けれど、裁判で答えが出ればそれ以上の結果はないという“結果“を出せる。


私がいじめる側だった時、大した理由はなかった。

暇つぶし、なんとなく、そこにいたから、たまたま目に入ったから。誰でもよかった。

いじめる側の人数が増えるといじめは加速していった。学校に行くのはいじめるためであって、勉強でも部活でもない。

時間の過ごし方や考えること、友人と話すことがいじめになれば感覚はどんどん麻痺した。


誰かをいじめた時の記憶より、自分がいじめられた時の記憶の方が鮮明に覚えている。これはいじめを知る人なら共通じゃないだろうか。

私もいじめられた時のことはさっきのように事細かく覚えている。

風景というか景色?が色濃く感じる。

私は自分にまつわるいじめを法的に解決しなかった。

いじめる側だった時は数ヶ月もしないうちに私が不登校になって、いじめられる側だった時もまた学校へ行かなくなった。

家に引きこもるわけでもなく外へ出て遊んでいたから、ある意味、それが私なりの解決方法でありストレス発散や現実逃避だったのかもしれない。


いじめられていると人に証明できるものがないなら、興信所を使って証拠を集めればいい。未成年でお金がないなら直接警察に行くかマスコミやSNSを利用すればいい。

日本は島国だから未だにどこか“臭いものには蓋“の精神がある。

同調圧力は大陸の国々に比べると強いと思うし、実際、右向け右しておけば平穏無事に過ごせると思っている人は多い。

だからといって、誰かが傷つくことは許されないし身内の悪ノリにも度がある。


いじめは人間が存在する限りなくならない。年齢に関係なく、他人と接点を持つ限り永遠について回る問題だ。


木を見て森を見ずで簡単に人は殺せる。

のめり込めばのめり込むほど、大抵のことは悪化するのがこの世の常だ。


逮捕された時の生活を思い出すと、蟻地獄から完全に抜け出せない状態だった。抜け出す方法も抜け出した後のことも何も分からず、ただそこにいるしかない日々。本当に苦しかった。

けれど冷静になって思うと、あの時、警察が私の生活にストップをかけてくれて助かったとさえ思える。

人をいじめるようなクソ野郎でも、一歩引いて自分のしたことを見る機会があれば自分を省みることができるかもしれない。

あくまで可能性の話でしかないけど、親や先生、上司や会社が丸め込んですませるよりずっと彼らの可能性を潰さずに済むと私は思う。


最後に過去いじめられてた人から、今いじめられてる人へ。

今すごく辛いなら、現状を打破したいなら、ネットを活用したらいい。

炎上、炎上、大炎上。

意外と世間は人情深いよ。















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