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ありのままの姿見せるのよ

流行りましたね「Let it go.」。今回は「ありのまま」についての記事です。

ちょっと固めな章

私は今、中学校内の居場所づくり支援員をしています。様々な理由で教室に入ることができない子どもの居場所をつくるお手伝いです。詳しく知りたい方はこちらから。

居場所づくり支援員なので、居場所というのはなんぞやということが大切です。そのままの意味は「いるところ」です。しかし、単に場所を提供するだけではないのはおわかりかと思います。

居場所の先行研究をまとめた西川絹恵さん(2021)は「物理的な場所だけでなく、心理的側面が主として注目されるようになった」と言っています。そして、則定百合子(2008)さんは心理的居場所を「心の拠り所となる関係性、および、安心感があり、ありのままの自分が受容される場」と定義しています。

漢字がいっぱいで難しそうですが笑、最後の「ありのままの自分が受容される場」というのが一番分かりやすいのかなと思います。はい、出てきました。ありのまま。

居場所づくりとは、ありのままの自分が受容される場をつくるということになります。そして私の仕事があるということは、ありのままの自分が受容されないと感じている子どもがいるということです。

考えたいのは「なぜありのままの自分が受容されないのか」です。

意地悪

私は教育にその一因があるのではと考えています。

小学校の教員を11年間してきました。教員という人は、目標と振り返りをさせるのが大好きなんですね。常に高みを目指せ。というメッセージの表れです。

テストが90点なら次は100点。次は2連続。次は連続記録をどれだけ伸ばせるか。

勉強だけでなく、運動も頑張りなさい。部活はレギュラーだ!次はエースだ!次は後輩を育てろ!

運動だけでなく友達関係も。クラスの人とは友達に。次は異性とも仲良くしなさい。次はクラス全体を考えなさい。次は学校全体を。

今思い返すと、子どもに成長の要求をしてばかりです。なんなら前回と同じ点数だと、成長できなかったと感じる子どもさえいました。

教育は人を育てることである、と文部科学省さんは言っています。育てるというのは今よりもよくするということです。それに沿って教員は指導をします。

でも、これを意地悪に捉えると、「今のあなたはダメだからよくなれ!」ともとれるの分かりますか?つまり、「ありのままのあなた」の否定。

もちろん屁理屈です。でも、そう捉える人も少なからずいるし、思い返すと私自身がそうです。

だから私はこの仕事をしてから、教育という言葉に違和感を覚えるようになりました。

「じゃあ、成長なしでいいの?」

そんな風に思うと思います。当然です。私も思います笑。

理論的には、子どもが主体的に学べるような経験や問いを与え、子どもが学習課題を自分事として捉えさせればいいのです。子どもが知的好奇心をもとにした学習はまさにありのまま成長をしています。

つまり、「成長させる」のではなく、「成長しちゃった」となれば、ありのままを否定せず成長につながります。

ただ常にそんなことをするのは無理があります。100歩ゆずって教員にできたとして、親御さんにはできません。教員は仕事ですから、ある程度意識も高く持ち続け、長い時間も掛けられることでしょう。

子の教育の第一義的責任は、親御さんです。親御さんができなくては困ります。

じゃあ親御さんもできることはというと、「否定しない。」尽きると思います。

子どもはいろいろな場所で、いろいろな人に出会い、いろいろな経験をします。たくさんの刺激を受けることでしょう。教育されなくても日々生きているだけで、いろいろなことを考えます。

それまでの経験や知識で、子どもなりにいろいろ考えています。時には認識が甘いときがあるでしょう。時には、方向がずれているときもあるでしょう。

でも、違うなと感じる親御さんの感覚も違うかも知れません。絶対に正しいとは言い切れないかも知れません。

もし仮に子どもが自分の思い通りにいかなかったとしても、結果論です。結果がでたから分かっただけであって、結果が出る前は分かりません。だって分からないからその選択をしたのですよね。

結果云々よりも、その過程自体が成長です。だから、「否定しない。」

まとめ

子どもは所詮他人です。理解できないこともあるでしょう。知らないこともあるでしょう。認められないこともあるでしょう。

でも、過程すべてが人をつくり、人を成長させています。ありのまま受容するだけでよいのではないでしょうか。という提言でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

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