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「趣味に救われたこと」ってないなぁ、からの自己暗示の話

深夜番組で、懐メロ(といっても5、6年前か?)をアイドルが歌っていた。そして「ご本人登場」となり、
「この歌で救われました!」
とアイドルたちが「ご本人」に口々に言うのだが、それを観ていて、私、音楽に救われたことないし、趣味全般に「救われた」ことてないなあ、と思ってしまった。

むしろ、最初楽しかったのにどんどん辛くなったり、人間のイヤなところを思わず観てしまったりといったことの方がずっと多かった。

そして愚痴れば、「辛いならやめればいい」とすぐに言われる。
でもそんな簡単にやめられるなら、逆に「趣味」として自分の中に定着できないだろう。

趣味全般の話にすると収拾がつかなくなるので、「音楽」のことに話を絞るが、自分は「人生応援ソング」みたいのにぜんぜん興味がない。
そういう曲を聴いて救われたこともない。

ただし「人生応援ソング」が好きで、その中でも大好きな楽曲があり、それを毎日聞いて自分を鼓舞している、という人がいたらどんどん続けた方がいいと思う。
一種の自己暗示として効果的だと思うからだ。

だから私は、逆に言えばきっと自己暗示がヘタなんだと思う。

この辺のことはずっと考え続けているが、答えは出ない。

たとえば人前でしゃべらないといけない、緊張する、という場合、
「自分はできる、自分はできる」
と思い込むのが自己暗示だ。
これは「自分はできないかもしれない」という不安から自分に暗示をかけなければいけないわけだが、

自転車に乗り慣れている人が、毎日、
「自分は自転車に乗れないかもしれない」とか「自転車で転ぶかもしれない」とは思わないだろう。
だから自己暗示もかけないだろう。

しかし自転車の事故は実際に起こっている。自転車に乗っていて実際に転んだことも過去にあるはずだ。
それでも「自転車に乗るのが不安」と思わない人は絶対思わない。

今、こうしてテキストを書いている間にも、空から隕石が降ってくるとか、そこまで確率的に低くなくても隣の家が火事になる、車がいきなり家に突っ込んでくるなどの不安要素があるのに、自分はそういうことを不安に思ったことは一度もない。

不思議だ。

しかし、家の前にごみが捨ててあったら、
「だれかおれを恨んでやっているのかもしれない」
と思い、不安になる。

出て来い! 犯人。

おれと正々堂々と勝負しろ。

やってやる!!
やってやるぞ!!!!!!
(おしまい)





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