同じことを100回も書くエヴァの話

1995年の晩夏、おたくたちがただらぬ雰囲気を漂わせていた。
新アニメ番組「新世紀エヴァンゲリオン」が始まるからだ。

当時の私はガイナックスの存在をまったく知らなかったので、「エヴァ」の前評判も知らなかった。
実際、放送されて、いろいろな意味で話題を呼んだのは周知のとおり。

しかし同じことを100回も書くが、執拗に「エヴァ」という作品をけなし続けている評論家みたいな人が、本放送当時から、一部でいた。
私が名付けた「(同世代のおたく勝ち組としての)庵野秀明を憎んでいる人たち」の一人であった。

今でも覚えているのは、その人と別の映画監督との対談の中で、映画監督の方が、
「敵の怪物や怪人なんて、牙が生えていてツノとコウモリの羽が生えてて『ウガーッ』とか言ってりゃいいんで、『使徒』みたいにデザインにこだわる必要はない」
と言っていたこと。

まあ、後々のウルトラ怪獣を観ても、意図的にぶっとんだデザインにしたものを除き、確かに「恐竜っぽいベースにツノ、牙、羽」みたいなデザインが多いことは多い。

しかし「(使徒は)カッコつけて個性を出そうとして、凝りやがって」みたいな物言いには、90年代でもさすがにウンザリした。
というか、積極的に「恐竜っぽいベースにツノ、牙、羽」みたいなデザインで行きたい!」というのならわかるが、
「この程度でいいんだよ」
みたいなことをクリエーターから言われると、心底ガッカリする。
失望しすぎて、その言動が忘れられない。

というか、何かに失望したときに、この言葉を思い出す。

別の評論家みたいな人が言っていたことで忘れられないのは(エヴァとは関係ないが)、
「『鉄人28号』の世界に入れるとして、正太郎くん側か、敵側かと問われたら断然後者。後者の方が楽しそうだから」
という90年代当時の発言だ。
一見、楽しい「鉄人」ばなしの、楽しい架空トークのようにも思えるが、この人の他の言動からして「正義」側には意地でも付きたくない感じだった。
90年代サブカルがそういう逆張りの時代だったとしても、逆張りにだって「作法」はある。なんでもめちゃくちゃ、善と悪だったら悪に味方しろ、みたいのはやっぱりおかしいと思うのだった。

だいたい、「鉄人28号」は正太郎と鉄人がいなければ、まったく、ひとつも成立しない世界だ。みんなヒーローを軽んじないでほしい。

おしまい

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