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キミは学年誌掲載の児童文学を読んだことがあるか。おれはない

マンガと児童文学の関係性を、自分は知らない。
犬猿の仲なのか、それともそれなりにウィンウィンでやっていきましょう、的な雰囲気なのか。

あるいはかつては仲が悪かったが、何十年もの時を経て和解したのか。
知らんがなそんなこと。

しかしこれだけは言える。
「小学館の学年誌に載っていた児童文学を、小学生時代、自分はほとんど読んだことがない」
と。作者には悪いけど。

ただし、断片的には読んだことがある。

悪い意味で印象に残っているのは、もう題名も忘れた作品の中で、主人公も含めた小学生のクラスで「たい焼き」がブームになる。
で、「尻尾まであんこが入っているたい焼きが良いたい焼きだ」と子供たちが認識し、それを察したたい焼き屋の中に、尻尾にあんこを入れる代わりに、たい焼きの頭の部分のあんこを抜いたものを売る者が現れる。

子供たちは、「頭にも尻尾にもあんこが入っているたい焼き」を「りこうなたい焼き」と呼び、尻尾にあんこは入っているが、頭には入っていないたい焼きを「りこうでないたい焼き」と呼んだ、とかなんだとかそんな「くだり」だった。

「尻尾にまであんこが入ってるたい焼きだよ!」というのは、70~80年代まではたい焼きの売り文句の常とう句だった。ドラマやアニメにも「尻尾まであんこが入ってるよ!」というセリフがよく出てきた。

しかし「尻尾にまであんこが入っている」というのはあくまで「尻尾にまで」ということ、すなわち「あんこがたい焼き全体にたくさん入っている」ことの言い換えなのは、小学生でもわかる。

実際に、「あんこがもったいないから」という理由で、頭のあんこを抜き、尻尾にあんこを入れたたい焼きをつくる、という発想自体が、たい焼き屋にはないはずだ。
それは「たい焼き全体にあんこがたくさん入っている」ことにならないからだ。

要するに、リアリティがない。

はっきり言うが、自分が小学生だった70年代、児童文学のこういうところがダメだな、といつも思っていた。
(もちろん、子供が興味を引きそうな話題を常に取り入れていた作品もある。「ズッコケ三人組」とか。)

あと学年誌だったか学研の「科学と学習」だったか忘れたが、SF小説だと必ず同学年の少年少女が主人公でね。ダサいでしょそういうの。同時期にジャンプでおじさん警官が主役の「こち亀」をやっている時代ですよ。
平井和正が「少年少女向けというと、必ず読者と同年代の少年少女を主人公にしてくれ、と編集者に言われてウンザリしていた」と小説の中でぼやいていたけど。

もちろんそういう自主規制の中でも名作はあるんだろうけれども、少年少女向けの文庫レーベルである「ソノラマ文庫」で、イラストレーターの天野喜孝が起用されるのが80年代前半頃。
ソノラマ文庫の話になるが、80年代前半頃にガラッと変わるわけですよ、いろいろと。
まあソノラマ文庫の読者の中心は小学生ではなくて中高生だっただろうけど、それでもね。

地下鉄に乗っていて、私立小学校の生徒らしき子がハードカバーの「児童文学」を読んでいると、
「ああ、マンガを学校に持ってきちゃいけないからだよな」
とどうしても思ってしまうのは、自分が小学生のころの「学年誌に載っていた小説」の読書経験からきている。何しろ学年誌に載っていた児童文学のライバルは、「ドラえもん」や「ウルトラマン」の記事だったんだから。

実際に今の子供が電車内のひまつぶしでやりたいのは「ゲーム」なんだろうけど。

それにしても「頭の部分のあんこを抜いたたい焼き」なんてあるわけねぇよなぁ!!(あったらすいません)

おしまい

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