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大河ドラマ・ポリプロピレンのケースシリーズ

自分には、
「自分にとって重大なことを、気分を軽くしようとしてジョークっぽく他人に説明すると、その『気分を軽くしよう』という気持ちを叩き砕くくらい、ひどいことが現実に起こる」
というジンクスがある。

簡単に言えば、
「いやー今度結婚するんですよ、めんどくさいから自分の代わりに自動車事故の実験に使うダミー人形でも置いておこうかなぁ」とか言っていると、まったく別の理由で破談になってしまう、というようなことである(ちなみにこれはあくまで例で、縁談が破談になったことはない)

2024年現在、「オタク」というとアイドルオタク、アイドルファンを呼称することが普通になっているようだが、90~2000年代のアニメ、特撮、マンガ、ゲームが好きだった「おたく」の中には、

「どんな辛いことでも軽口で乗り切らなければならない」
と信じている人が、なぜか大勢いた。

このことは、80~2000年代にかけての「おたく論」でもあまり重視されてこなかったように思う。しかも、「軽薄短小の時代」と言われた80年代ならともかく、2000年代になってからもそういうメンタリティの人が継続して存在していたことは、語られることが少なくなった。

この傾向について普通に考えられる理由としては、70年代中盤頃までの「シリアスな政治思想語りの時代」に対する反動として、80年代初頭からおたくたいちはわざとそういう言動をしていたという点(いわゆる「面白主義」)。
このことは80年代初頭の「ロリコンブーム」にもまったく同じことが言える。80年代初頭にガチのロリコンでなおかつヤバい人(最近、某進学教室で少女たちを盗撮していたような)は、顕在化していなかった。

大半の80年代初頭の「自称ロリコン」は、
「男性は成熟した女性を愛するべき」
という当時の物言いに反発的だっただけである。単なる反抗的発言だったから、そういう発言者の大半は普通に結婚して、今頃、孫の一人や二人いるかもしれない。

(一方で、「男の子が性的に好む女の子のルックスを二次元に落とし込む技術や、それを表現したいという衝動」が解放され、「南原ちずるとか魔女っ子メグちゃんって、なんかちょっとエロいよね」とコソコソ話す感じではおさまりきれなくなる。そういう意味で、二次元の世界では大きなパラダイム変換が起きるが、厳密に言えば80年代当時の「自称ロリコン」とその話はまたちょっと別なのである。)

コミケの評論ブースなどで、「詐欺にあいかけた話」とか「交通事故からすんでのところで復帰した話」、「大病から生還した話」、「横暴な親と戦った話」などがエッセイマンガなどで出ることが少なくない。
が、これらは「不幸な実体験」を一歩引いて「ネタ」として見て、笑い飛ばしてやろうという、やれ二次元美少女が好きだの、好きなことには金払いが極端にいいだのと言った「いわゆるおたく」の「属性」としてはあまり語られず、なおかつ重要な部分だ。

芸人が自分の不幸を笑いに変えようとすることは、よくあるが、それと同時並行して芸人でもなんでもない人たちがそういうスタンスで生きて行っていることは、忘れ去られてはならないと思う。

一方で、本当は悲しいのに、苦しいのに、無理をして「笑いに変えよう」としているおたく仲間もたまにいて、そういう人は痛々しく感じてしまう。「無理しないで」と思うことがある。
タレントの谷啓の家が火事で全焼し、友人たちがかけつけると、焼け跡にマージャン卓を置いて谷啓がマージャンをやっていてみんな驚いた、というエピソードがあるが、そこまでできるのは彼くらいのものだろう。
多くの人は、みんな一人の小さい人間なのだ。

でもね、「けし粒の生命でも、私たち瞬いている」んですよ!(急に「星間飛行」)

そんなわけで、私は自分の不幸を面白おかしく語ったりしない。
不幸は不幸だ。

ポリプロピレンの箱に荷物を入れて、現在、整理と大掃除をしているが、古くから使っていたポリプロピレンの箱が荷重に耐えきれず、割れてしまった。
これは今朝のペットボトルのごみ出しの日に、ごみ屋さんは持って行ってくれるのだろうか?

そのことを考えると、不安で気が狂いそうになる。

私が今言いたいのは、それだけだ。

おしまい



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