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自己紹介のようなもの或いは(書き込まれていることの)読書感想文

 ある透徹さを、わたしは幼いころより変わらず見えて感じています。物心ついた時に感じていた実感としての、光と善に満ちた世は、いつか理想と堕ちたようでしたが、それは夕暮れと夜を過ぎて、眩い朝となり復活しました。人の世は、どうしてこれほどに厳しいのかと、俯くことから上げれないことがありました。傷は大きな空洞になって、真っ黒な闇の隙間が今も消えません。けれど、越冬の末に春が巡るように、その言葉は遂に現れました。遍く響いている光の波のような、きらきらとした粒のような言葉たち。いつも傍にあり、降り注いているのでしたが、わたしはそれから目を背け、耳を塞いでいたのでした。しかし、抗えないほどに震えるような感動が鳴り響くように訪れます。一人の電車の座席にあって、涙が止まらないのです。街の片隅で立ち止まり、音楽の詩に、絵画の彩りに、テキストの隠れた意味に、押し寄せる深い意味の塊がわたしを呑み込み、深い所へ連れて行くのです。
 これは病気なのでしょうか。或いは、欠陥なのでしょうか。それともこれは詩人の魂が大いなる言葉に震える作用なのでしょうか。時に生活に支障をきたしそうになる程なのです。まるでゲリラ豪雨のように、言葉が土砂降りに落ちかかってくるのです。わたしを透り抜けていくこの言葉たちは何処からくるのでしょうか。そして何処へいくのでしょうか。このことを解き明かすために、わたしたちは在るのでしょうか。しかし、そのように対峙するのではなくて、この言葉たちと溶け合うことで、わたしたちは分かり合うために在るのだと知ったのです。
 きっと、これには小さなわたしの時間では足りないでしょう。しかし、千年或いは五千年、もっと果ての一万年後には、人類はこの言葉たちと溶け合うことが出来ていると信じています。今、宇宙科学では、様々な事実が見つかっています。わたしたち命の起源は太陽系の外からやって来た可能性が大きいと考えられていて、このことは我ら人類と同等かそれ以上の知性と文明を持つ、生命がいる可能性を示唆しています。いつかこの先の未来で、異なる高度な知性と交流したとき、お互いの知識と知見を共有したとき、爆発的に人類は知性は進化するはずなのです。
 わたしたちには、想像の限界があります。それをを超えるためには、考えもつかない刺激が必要です。それを齎してくれることを求める、知的好奇心という特性を、人類と異なる知的な生命体が有しているだろうことは、想像の範囲内なのです。知は共有を求め、更なる知を求めます。これが命の大きな意味の一つだとわたしは感じています。この先にあることは、無限の時間への知へと続きます。わたしがこれを想像できるということは、これがわたしたちの可能性の内にあるということであり、宇宙にこのことが含まれているということです。こんなことをきっと、遠い未来に、あたりまえのように語られているだろうと、私は今、想像しています。
 もやもやとした想像の限界点の向こう側へ。そこへ至るための手段が必ずあることを、わたしは聞きました。それを求め続けることで、宇宙は広がることが出来る。もっと遠くへと、遥か果てまで広がるために、知の想像の限界を超えるために、言葉は大いなる言葉より呼ばれています。そしてそこへ向かって憧れと祈りを届けるために、言葉たちは放たれるのです。わたしたちはそこからやって来たと、わたしは感じています。そしてそこへ還っていくのだと。全ての命も、そして消えていった人たちもまたそうであるのだと。
 沢山のことが、書き込まれています。とても言い尽くせそうにありませんが、わたしの時間の限り、言葉を続けていくことが、わたしに与えられた意味であると感じています。だから、拙くとも出来るだけ続けていくつもりです。いつか、今は理想と呼ばれる光の世が、あたりまえに語られている遠い未来を信じて。


おまけ
画像は、【▲ 恒星「TRAPPIST-1」を公転する7つの系外惑星を描いたイラスト(Credit: NASA/JPL-Caltech)】です。
「地球外生命」発見はもうすぐ?!
<https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/shinyabin/oK82jpO7t.html>

発表から今年で5年、地球サイズの系外惑星が7つもある恒星「トラピスト1」
<https://sorae.info/astronomy/20220223-trappist1.html>