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(詩論)振り向かず詩文の時は消えていくまるでどこにもなかったように

詩で表そうとするテーマは、固有の時を持っている。それは砂時計の落ちる砂のように次第に減っていき、完全になくなってしまえばもう戻ることはない。詩文のテーマはメタファーとして表れ、イメージをひと時脳裏に留める。読み手の中の像が消えてしまうまでに、詩は尽きなければならない。もはや薄れて消えてしまったテーマを追うように、いたずらに詩文を連ねるべきではない。この短い時に消えていく潔さこそが、詩文の透明性を担保する。それ故に、長く文を連ねる詩は、テーマを繋いでいる。物語のある叙事詩に近づいていくだろう。散文詩がテーマを持続しやすいのは、散文の持つ粘着性によって、テーマを長く保持できるからである。しかし、明滅して表れては消える影絵のような、次々と表れる関連のあるようでないような複数のテーマたちが、抽象画のような不可思議な詩を作り出すことがある。それは整然と並んだ意味の不可思議なキーボードを見ているような、観るよりも打つためにある詩であるだろう。言葉の奥にある感情の萌芽に耳を澄まし、海面を盛り上げようとしている波の暗い始まりを感じる時、裏側にあるテーマが音無く語り始める。まるで隠された名があるように、誰にでも固有のメタファーを持っている。移ろい変化しながらも、決して消えることのない孤独なテーマがある。すべての銀河の中心にブラックホールがあるように、わたしたちの中心にも何かがある。それを表す言葉はなく、それ故に個の中で固有のテーマは消えることがない。言葉にならないこのテーマをなんとか表そうと試みて、詩文は続く。表に表れているテーマを依り代として、真のテーマの輪郭を曳いている。しかし、読み手にそれを伝えることは難しい。だから、依り代がまだ息をしている間に、詩文を書ききってしまう必要がある。語り終えることは遂にないのだから、焦る必要はない。本当のテーマは消えない。今見えているそのテーマには、メタファーとして書き手だけのテーマが宿っている。だから、浮かんだテーマが新鮮なうちに読み手へと伝えるために、適切な文字数で提供することが最良だと今は考えている。

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