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(主に父親の)死について。

BGMにどうぞ。(僕は富良野出身です笑)


「ありがとうございました。悔いのない人生でした。」

僕は言えるかな?

「死ぬのが楽しみなんだよね。」

姉と僕は繰り返し聞かされた言葉。神社仏閣や仏像が好きで仏教マニアだった父親。死んだ後、さてその先に死後の世界はほんとうにあるのか?それを見に行くのが楽しみだと。

何度も何度も聞いたので、2人の子どもはある程度、死を受け容れるようになった。

反対に母親は死が怖い人。小さい頃に父親(我々の祖父)が病院で、深夜に苦しんで死ぬのを一人で見てしまったから。まだ緩和ケアが普及してなかった時代。

この話も僕たちは何度も聞かされた。両親は子どもに話している風で、ほんとうはお互いが会話をしていたのではないか。

「親の死に目に会えないような奴になるなよ?」

やがて成長した子どもたちに父親は繰り返し言った。死を、見せたかったのだろう。

たしかに「老人」と言われる人に残された仕事はそれなのかも知れない。老人と言うには74歳は今の時代、若すぎたが。

「余命半年だってさ。」
「入院は改めてってことで、旭川からの帰り花見したさ。これが最後の桜だな〜って笑」

4月、北海道から東京に連絡が来て、僕は見舞いに行った。

父親は笑っていた。母親も笑っていた。

もっとニコニコしていたのだが「写真撮るよ」とスマホを向けると、哀しみと覚悟を帯びた笑顔に変わった。

最期まで、笑って過ごしたという。

「抗がん剤で禿げるって言うからさ、悔しいから先に坊主にしたわ笑。」送ってきた写真には、やはり哀しみと覚悟が滲みでた。

「         」(失念)

そろそろ半年だな〜見舞い行かなきゃな〜と思っていたある朝メールが届く。珍しく父親自身で打ったことは文面からわかる。それは、おはようの後に続くにはあまりに寂しい言葉だった。

死期を悟った人の言葉だった。

その最高のパンチラインを僕はなぜ忘れてしまったのか。パクって歌にでもしたいのに。しかしその言葉には、自分で到達すべきなのだということだろう。

僕はすぐに羽田に向かった。

飛行機を降りてスマホの電源を入れると母親からメールが。「危篤、急げ」電報かよ笑。

バスを諦めタクシーを走らせる。病室に駆けつけ「父さん!父さ〜〜ん!!」って泣けたら良かったのに、酸素量を上げてケロっとしていた笑。

こんなん職場あるある(僕は介護福祉士である)やんけ。「死期、悟ってたんちゃう?」と聞いたら「間違っちゃった」て笑ってた。テヘペロじゃないのよ笑。

でも僕は介護士としてソコソコの経験をしているから見ればわかる。

もう、一週間も持たないだろう。

タチ悪いのが、それが今日なのか一週間後なのかは分からないという所。

ためしに一晩泊まってみるというのが妥協案として浮かびやすいのだが、その日、東京に大型台風が迫っており、一晩泊まると帰れなくなるのは自明であった。

「親の死に目に会えないやつになるなよ?」リフレインする。僕は迷った。

帰れないとなると、仕事のシフトに穴を開けてしまう(もちろん有休を貰うことは出来るのだが「シフトに穴を開けたくない」という拘りを持つ人になぜか育った。恐らく「必要としてもらえる」ことに弱いのだろう)。

東京では当時、同棲していた子が家で独り、台風に怯えている。「ジジイちゃん(と呼ばれていた)もう二度と帰って来ないんじゃないかって…」ありもしない妄想もしている。

「親の死に目に会えないやつになるなよ?」再度リフレインする。

僕は優柔不断だ。昼から夕方までずっと迷っている僕を見かねて親父が言った。

「お前の人生だ。お前が決めろ。」

僕にとってはそれが、親父の最期の言葉。

僕はだいじな事が決められない。子どもの頃、夢を語ると全て母親に否定された。進学先も全て言いなりだった。それは戦後の貧乏から脱出して公務員になった自身の呪いと成功体験がそうさせるのだろうけど、子どもが自身で何をしたいのか分からない決められない呪いにかかるには充分な教育だった。

親父は、最期にその呪いを解く呪文を唱えてくれたのだ。

「わかった。帰るわ。」

親父の顔をみた。哀しみと覚悟に、少しの嬉しさと慈しみの混じった顔をしてた。

「そうか。元気でな。」

握手した。

それが全て。親父との挨拶は済んだ。葬式など阿呆臭い。死んでから行ってどうする、死ぬ前に会いに行け。

そういう価値観だと言うのはバレている。「礼服を買い与える。葬式には出なさい。」遺書にはそう書いてあったし、さいしょに見舞いに行った時に旭川で買って貰っていた。「どういったものをお探しで?」「ん〜と、そろそろ親父が死ぬんで〜笑」店員さんリアクションに困ってたな笑。

葬式、出てみたら「儀式っていいものだな」という感想は得られたので良かったし、職場から花束貰えるならどんなに嫌いな職場だとしても貰っといた方が良いとお勧めしておく。「東京で何してるかも分からんアソコの息子」から昇格できるので。

葬式の間はずっと笑顔で過ごした。儀式はいいものだけど挨拶は済んでいる。その笑顔はちょっとした僕の抵抗だったのかも知れん。

死とはなにか?

宗教のお勉強してないから知らんけど、例えば「救済」だと言う人がいる。それはその通りだと思うし、なんなら「祝福」するべきものだとすら思うが、万人にとってそうかと問われると「無念」だった人もあろうし「理不尽」だった人もあろう。でもそれで命が「無意味」になるわけではないし、遺された人で「意味」をやっていくしかない。

なんにせよ忌み嫌う悪ではないことだけは確かだと思ってる。映画の終わりのようなもの。さてその先に物語は続くのか?それを見に行くのが楽しみなんだよね。

なんていう死生観は受け容れられることは少ないので、人には言わないほうが良いことなんだろうな。

20年前に作った替え歌。

要約すると「僕は人の痛みが分からないから、ちょっと死んでみてくれない?」と歌ってるわけなんだが、死んでも分からんかったわ笑。もう一回お願いしていい?笑

あ、母親は、貴方に変わって看取れたらいいなと思ってます。よろしく。

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