たぶんもうだいじょうぶ。

2022/8/21深夜。

なぜ声をだすのか。

それは「欲しい」から。
聞いて欲しい。
わかって欲しい。
仲間になって欲しい。
そばにいて欲しいから。

「欲しい」は「期待」だ。

たぶんもうだいじょうぶ。
君にはぎせいになってもらった。
期待するのはやめにしよう。
もう必要ないだろう。
期待するのはおわりにしよう。
君がしょうめいしている。
きっとだいじょうぶ。

それでも声をだす。

聞いてくれなくたってよい。
わかってくれなくたってよい。
仲間にしてくれなくてもよい。
そばにいてくれなくてよい。

じゃあなぜ声をだすのか。

まだ「期待」してるのか。
だれも見向きもしないのに。
歩く方角もちがうのに。
ただそこにいただけなのに。

ちゃんと絶望しよう。

だから声をだそう。
その絶望はきっとあたたかいものだ。
すこし気持ちがいい。
その絶望はきっと愛おしいものだ。
美しいものだろう。

大きな声をだすのなら笑い声がいい。
歌う声がいいだろう。

ただそこにいただけでいい。

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