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「Colabo指定記者によるインタビュー記事の最大の問題とは何か」

abstract


げにも恐ろしきものをみてしまった。――見なかったことにして記憶の辺獄リンボ にポイと捨てようと思ったのだが、書いておく。

虐待・性搾取等の被害若年女性を支援する(という)一般社団法人「Colabo」と、その総帥の仁藤夢乃氏問題であるが、私は公金がどうしたとかいう話は興味がなく話題を全く追っていなかった。

この仁藤夢乃氏の名前が一気にメジャー化したのは、彼女が出張先で「温泉むすめ」のパネルをみて、「(こんな男性願望を再現したものに)税金が使われている地獄」「少女を支配して楽しむ人権意識の低さそのものを表している。 そして現実の性差別・性搾取・性犯罪と本当に地続きの切実な問題です」と訴え出して炎上させたからである。

https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1460060377379602434
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1460467598324211712

もちろん、彼女は非常に影響力がある社会活動家であり、またこのツイートはものすごいリポストされた。そのため「炎上」の中、影響された人々により「温泉むすめ」とコラボしている温泉街への業務妨害案件まで発生した。それも温泉街スタッフを「性犯罪者」扱いするようなものまでもだ。

仁藤夢乃氏は自分が育てた若年女性支援保護団体Colaboに対する公金の不正使用疑惑の「デマ」や妨害工作により「深く傷ついた」というが、一方で「温泉むすめ」を作り支えている人々も、仁藤氏に「性犯罪と地続き」といわれ、同じ思いになったのではないだろうか。それを想像したことはあるのだろうか。
彼女のいう「性犯罪と本当に地続き」であるが、普通に解釈したら「温泉むすめは性犯罪を誘発している!」と決めつけている。では実際に性犯罪を有意に誘発した実例や、エビデンスはあるのだろうか?
「暴力的なフィルムをみせられたら人が暴力的になる、ポルノフィルムをみたら性犯罪おこす!」などは、とっくに終わった強力効果論である。まして「ちょっとエッチな少女たちのキャラクターを描いた萌え絵を見ると人々は影響され性犯罪をおこす」などは、「学術的には誰も研究する人がいないレベルの珍説」ではなかろうか。

つまり「温泉むすめ」に対する「自己の単なる不快感」を、それらしい「社会正義」に結合させて排斥しようとしたのである。

温泉むすめのクリエイターやファンたちは、なんの根拠もなく「性犯罪者(または予備軍)」扱いのレッテルをはられ石を投げられたことになるのだから、問題の闇は深い。

 

このように「温泉むすめ騒動」と「Colabo公金疑惑騒動」の構造はリンクしている。

ともかくも、ふと気がつくとこれ以外も様々な言動から「彼女を敵視する人々」が指数関数的に増大した。それはネット世界の常として非対称戦に突入し、熾烈な闘争があちこちでおきていたようだ。そうして「Colabo」および仁藤氏に対する名誉毀損などの問題がもちあがり、和解に応じた人々が次々とでてきた。私が、いつものようにXをみていると、その流出した和解条件のポストが流れていて驚愕した。以下のようなものだ。

https://twitter.com/surumelock/status/1714172960834289700

通常こうした和解条件とは公開しないこと自体が条件になっていて一般人が目にすることはほぼないと私はきいていた。だから、とても興味深く読んだ。この和解条件を流出させた「スルメ・デ・ラ・ロチャ氏」(以下、スルメ氏)によるポストは、ものすごいインプレッションを記録し、反響をよんでいた。
「ハル・ノートだ」「非常識」「これ裁判して仮に負けたとしても、これより酷くなりようがない。変な条件がつけられないだけ、まだまし」「こんな条件が漏れ出したら、むしろColaboへの風向きがひどくなるとは思わなかったのか?」「私なら裁判一択です」等の声があがっていた。

とりあえず、やはりこの「和解条件」で恐ろしいのは、「Colaboの指定した記者による取材を受ける」などという項目が含まれていることだろう。

(加えて「今後Colabo・仁藤氏に一切言及しない」という項目により反論も封じられる)

一見、「インタビュー」という客観的な場にたたせても、こんな和解条件を受け入れた側が「権力関係」的に劣位になる可能性は高いし、相手側は弁護士2人も含み多人数である。一方でインタビューを受ける側は一人である。「ヤクザと話すときは多人数でいけ」とはいうが、多人数に取り囲まれたらそれだけ人間心理の自然として気圧されるだろう。

そしてこのインタビュー記事は、スルメ氏による和解条件流出とほぼ同時期に、前後してでることになった。

さて、書くか迷ったが書くことにした本題である。え?こんなことをしてしまうの?と私などは唖然として言葉を失ったのだが、ようやく今、私は失語症から回復し、書くことにした。

このインタビュー記事は、高らかに自らのイデオロギーの正しさを宣撫するために「やってはいけない」ことを共通してやっている。この記事を書いた小川たまか氏(主に性暴力の取材しているフェミニスト)、柏尾安希子氏(慰安婦問題で有名なフェミニスト)の二人がおそらく無意識のうちに「自分たちを正しく見せる」ためにはじめた「記事の書き方」「見せ方」の問題である。

すなわち彼女たちの「正しさ」を作り出す古典的なこの記事の文法自体が、むしろ「彼女たちの主張の正当性を決定的に失わせるもの」なのである。これは私がかねてより心を痛めていたことなのであるが、書かせてもらいたい。

なにしろColabo指定記者のインタビュー記事のタイトルがいきなり「【暇アノン懺悔録】『暇アノンの姫』だった40代男性」というタイトルなのだ。

このタイトルの意味するところに気づくだろうか、これすなわち――

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