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「役に立つ背景情報陳列罪」

この汚濁にまみれたSNS世界に産み落とされた邪悪のツールである「コミュニティノート」に対して、リベラル系のマスコミ関係者やら、知識人による怨嗟の声が続いた。その怨嗟の声にすらコミュニティノートで背景情報が追加されてしまう。なんという無慈悲な悪魔のツールであろうか。


「見てる限り口汚くないクソリプって感じ」
「コミュニティノート支持の人々を見ていると、ああやっぱり」
「ニセ情報か言葉遣いの丁寧なクソリプってやつだ。」
「ただのネトウヨコメントが公的な装いで表示されていて、まさに今のツイッターを煮詰めた感じ」

「正義のジャーナリスト」の津田大介氏などはコミュニティノート的なラベリングは、「嫌がらせに使われるに決まってるだろ」と断定した。


そうなの? 追加情報が必要です。

Twitter公式は「コミュニティノート」についていう。「Twitterで誤解を招く可能性のある情報に遭遇したユーザーに、役に立つ背景情報を提示することを目指しています。ノートが協力者により『役に立った』と評価されると、対象のツイートに直接表示されるようになります」というものだ。


もちろん「完璧なシステム」など存在しないのは当たり前ともいえるが、特に「ジャーナリスト」を自称していたり、記者の肩書をもつマスコミ関係者が、この「コミュニティノート」に「恐慌状態」に陥っているのが特徴的なのだ。ひたすら「クソリプだ!」「嫌がらせだ!」「ネトウヨだ」「名前を出せ!」と怒っている。

いままでだってマスコミ関係者には、直接リプライや、引用リプライ等で多くの異論反論つっこみが寄せられていた。
いかにも不穏な感じのするツイートの引用欄をクリックしてみれば、多くの人々によって「デマです」「事実に基づかない」「偏った情報だけ与えてる」「ミスリードを誘っている」「風評加害はやめろ!」「偏見を煽ってる」「はいダブスタ」といった系の、”悪のネトウヨどものクソリプ”によって大変な惨状を呈していた。どうして”悪のネトウヨ”どもは、事実や根拠の正確さなどどうでもよくて、正義を行うリベラルの尊さがわからないだろうか。全く嘆かわしい。

だから多くのマスコミ関係者はリプライ制限や見えてほしくない返信を「非表示」にして自分たちについた「クソリプ」を見えないようにした。

では、コミュニティノートの何が彼らにクリティカルになっているのか。

いままでだってマスコミ関係者に、引用リプ等で多くの異論反論つっこみが寄せられていたのに、なぜいま彼らがコミュニティノートに戦々恐々となっているか。具体的な違いは?といえば、要するに彼らのツイートに付着して、コミュニティノートが表示されるからとなる。彼らのツイートがRTされて拡散されたら、コミュニティノートの「つっこみ」も一緒に拡散される。つまり、彼らは「見えなければそれでよい」と考えてた証拠なんですよ、という話になる。

だが、この「みえなければそれでよいもの」とは「違った視点の情報」「偏ってない背景情報」とかいう意味であるならば、実は違う。

彼らがコミュニティノートによって崩壊させられてしまうのは「付加された不都合な情報」で「自分たちがイデオロギー優先で適当なことを放言し、嘘ばかりついてきた」ことがばれることではない。

もっと「残酷な事実」自体がこの「コミュニティノート」で歴然となるからだ。ちょっと驚くような内容かもしれないが、この意味を理解すると、「彼ら」にとって何が「クリティカル」なのか理解できてしまう。
以下、明確に言語化するが、これは現代リベラルの弱点そのものでもある。


私達は、彼らが「コミュニティノート」を「クソリプだ」「ネトウヨだ」と錯乱することで一体なにを本当は怒っていたか、彼ら自身も気づいていない「無意識」を知る必要がある。

この「無意識」を知れば、あなたは「あ~!」と思うであろう。この「コミュニティノート」が一体なにが彼らにとってここまで「クリティカル」になるのか、「単に(不都合な)事実をつきつけられた」とは別種の脅威である。


それは、「彼ら」には絶対に認めてはいけないことであるが、

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