悪癖

黒塗りのハイヤーが送迎にきたので、私は観念して渋々乗り込んだ。

これから向かうは某有名ホテル。
さる財閥が主催する令嬢のお誕生日会に招待された。
来賓客は政財界を牛耳る重鎮から、芸能界、スポーツ界で華々しく活躍するスターまで多岐に渡る。
集っただけで新聞の一面を飾ってしまう著名人ばかりだ。
 
正直いきたくない。
令嬢とは友人でもなければ、顔さえ知らないし、なにより私は来賓客のような輝かしい功績のある優れた人間ではないのである。
滅多に髪を切らないので髪はぼさぼさであるし、銭湯代をけちっているせいで頭を掻いただけで粉雪のようなフケが舞う。
こんな不潔で怠惰な輩を招待するとは嫌がらせにも感じる。

一般庶民である私がなぜ令嬢のお誕生日会なんぞに招待されたのか。
夏のバカンスで、ある島の旅館に宿泊した際、宿泊客同士でちょっとしたトラブルが起きた。
被害を受けた男は令嬢の父親であり、私が手助けしたことでえらく気に入られてしまった。
揉め事につい顔を突っ込みたがるのは私の悪い癖だ。後悔してもしきれない。

私はハイヤーの座席に凭れて深い溜息を吐いた。
出発する前に嫌な噂をいくつか耳にした。
どうやら令嬢も彼女の父親もあまり良識人ではないようである。
来賓客たちは媚びへつらう笑顔をつくりながら、各々腹の底では怨恨と謀略が渦巻く。
彼らは財閥一家の寝首をかくタイミングを推し量っている。

それに、お誕生日会では家宝であるシロナガスクジラの涙と謳われる巨大なダイヤモンドがお披露目されるらしい。
某有名ホテルは最近、赤いジャケットがよく似合うサル顔の男と元サーカス団の曲芸師だった男をボーイで雇ったそうな。
いよいよ頭痛がしてくる。

「この仕事は長いんですか?」
 
私は気分転換にハイヤーの運転手に話しかけた。

「いやね、わいは本当は運転手ちゃいますねん」

「どういうことですか?」
 
運転手の不可解な言動に私は首を傾げた。

「先日まではまあまあでかい企業の社長をしてましてん。
それがちょっと経営傾いてしもてな。
財閥はんに資金援助を申し出て、条件として運転手をさしてもろてますのや」
 
バックミラー越しでにこやかに話す運転手の瞳が暗く煌めいたのを見逃さなかった。

「それは……そうですか……お疲れ様です」
 
私はうんざりして口を閉ざした。
 
私の明晰な頭脳が、袖をまくって意気軒昂とシュミュレーションをはじめた。
 
豪奢なパーティー会場で、乾杯の音頭が挙がる。
その瞬間、ブレーカーが落ちる。
真っ暗な闇の中で轟く悲鳴。
ものの数分で電気は復旧する。
明るくなった場内の壇上で倒れ伏す令嬢、もしくはその父親。
もちろん、シロナガスクジラの涙はどこぞかへ消えてしまっている。
会場はどよめきに包まれる。
 
ああ、こりゃ起こるな。確実に。
 
最早、逃れることはできないだろう。
今のうちに犯人の目星でもつけておくのが賢明だ。
 
申し遅れたが、私はしがない私立探偵である。
そして、今向かっているのは、さる財閥令嬢のお誕生日パーティーである。
我ながらこれ以上、最悪の組み合わせはない。
 
私は髪を乱暴にわしわし掻いた。

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