ぼくのかんがえるさいきょうのツイッターとBlueskyの違い論(SNSにソーシャルディスタンスを!)

新聞などに雑な感じでツイッター対抗馬とか書かれがちなSNS「Bluesky」が従来の招待制を廃止したことでとくに日本から大量のユーザーが流入したとか。招待制といってもブルスカの招待コードは週2ぐらいのペースでにょきにょき生えてくるので俺などは最初の頃ツイッターでどうぞどうぞタダであげますからもらってくださいむしろもらってくださいと有り余る招待コードを必死に配ったものだが全然誰も関心を寄せてくれなかったので何十枚も溜まっており(※複数アカウントを運用しているため)いや招待制廃止した途端にそんなに増えるんならなんであのときお前ら招待コードもらってくれなかったんだよと別に損をしたわけでもないのにクッと思ったりした。

まそんなことはどうでもいいのだがブルスカ、いいんじゃないですか。招待制を廃止して誰でもユーザー登録ができるようになったとはいえ分散型SNSを標榜するブルスカなので未だテスト段階で本サービスは実は開始されていない。今「Bluesky」と呼ばれているのはbluesky.socialというサイトもしくはサービスで、将来的にはブルスカのシステムを使ってたとえばbluesky.japanとかdogsky.socialみたいな感じのサイト/サーバーがたくさん建つ予定。ユーザーとしてはそのたくさんあるサイト/サーバーの中から自分に合った好きなものを選べばいいわけで、これらブルスカのシステムを用いたサイト/サーバー群全体を指して「Bluesky」というわけですね。

なので基本的にbluesky.socialしか動いていない今はまだテスト段階なのですが、半年ぐらい使ってみた結果、うんこれはよいとおもいます。そしてたしかにツイッターの代わりに充分なるものだと思う。ただしそれは「ツイッターみたいな」SNSってことじゃあない。ブルスカはその設計思想からいっても「ツイッターではない」SNSで、「ツイッターの問題点を改良した」SNSとも言えるかもしれない。そういうことをここ数日考えていたので覚え書き的に少し書きたいと思う。


ツイッター炎上はカネになる(※あくまでもツイッターにとって)

で、じゃあ具体的にどのようにツイッターとブルスカが違うのかというと、ツイッターでツイート=コンテンツがどのように生産されるか、という点から考えてみたい。

フォロー/フォローバックによって各ユーザーが「人」と「人」の繋がりを増やしていくことでツイッターのコンテンツは生産される。もしあなたがフォロー0でフォロワー0だとしても完全な独り言としてツイートをすることはできるし、それはツイッターのコンテンツになるのだが、こうした1×αのコンテンツ生産はフェイスブックやmixiのような旧来のSNSが行っていたことで、ツイッターではこれよりも遥かに多くのコンテンツが生産される。

次のようなプロフィールを持つ三人のツイッターユーザーがいると仮定しよう。

①横山さん
興味のあるもの
・犬
・電車
・死体

②メアリーさん
興味のあるもの
・犬
・うまい棒
・コーヒー豆

③ヌガバンダさん
興味のあるもの
・コーヒー豆
・政治の話
・マジック:ザ・ギャザリング

一般的に、ツイッターユーザーが他のユーザーをフォローする動機は趣味嗜好の一致にある。現実世界では犬の話をしたい人がわざわざ政治の話をしたい人に話しかけにいかないように、ツイッターにおいても犬の話をしたい人は犬の話をしている人をフォローする。上の三人の場合は横山さんとメアリーさんが「犬」に関心があるため相互フォローの状態になり、メアリーさんとヌガバンダさんが「コーヒー豆」に関心があるため相互フォローの状態になるとしよう。

ここで上のプロフィールに更なる情報を付け足してみよう。これは一般的に、他のユーザーからは見えにくいものである。

①横山さん
興味のあるもの
・犬
・電車
・死体
嫌いなもの
・政治の話

②メアリーさん
興味のあるもの
・犬
・うまい棒
・コーヒー豆
嫌いなもの
・死体

③ヌガバンダさん
興味のあるもの
・コーヒー豆
・政治の話
・マジック:ザ・ギャザリング
嫌いなもの
・うまい棒

ここで何が起こるかというと、たとえばこのようなことが考えられるわけだ。横山さんは死体の話が好きなので犬のツイートに混ざって何気なく死体のツイートをして、それが相互フォロワーであるメアリーさんのタイムラインに表示された。またあるときヌガバンダさんが何気なく政治の話をツイートして、メアリーさんが何気なくそれをリツイートしたことで、横山さんのタイムラインにメアリーさんのリツイートしたヌガバンダさんの政治の話ツイートが表示された。メアリーさんは横山さんの死体ツイートをイヤだなとは思いつつもとりあえずスルーしたが、横山さんはメアリーさんのリツイートしたヌガバンダさんの政治の話ツイートに対して何か一言自分の見解を述べたくなり、なにかしらツイートした。

このときに、通常であれば上の各ユーザーは自分の趣味嗜好に合わせて3種類のツイートしかしないはずが、少なくとも横山さんはリツイートに対するエアリプ反論という形で4種類のツイートをしていることになり、そのツイートにうまい棒が含まれこれをメアリーさんがリツイートするならば、ヌガバンダさんもムッとしてうまい棒反対のツイートをするかもしれず、通常よりも多くのツイートをするユーザーが2人になる。

つまりフォロー制を採用するツイッターにおいて、ユーザーの生産するツイート=コンテンツは単純に(1×α)×全ユーザー数にはならず、各々のユーザーが生産したコンテンツがリツイートによって拡散され別のユーザーを刺激することで、一つのコンテンツが複数のコンテンツを生み、そのコンテンツが更に別のコンテンツを生む、という生産の連鎖反応が起こるわけである。

こうした指数関数的なコンテンツ増殖はコンテンツ生産を完全にユーザーの無償労働(ツイート)に頼っているツイッターのようなSNSの最大の強みといえるが、勘のいい人でもそこまでよくない人でも、こうして眺めればこのコンテンツ増殖のメカニズムがいわゆる炎上のメカニズムとまったく同じであることに気付くんじゃないだろうか。早い話が、ツイッターとは炎上によってお金を儲けるSNSなんである。

なぜそのように言えるかと言えば、一つには単純にコンテンツ数が多い方がSNSとしてユーザーには魅力的に映り、ユーザー増に繋がる。様々な代替案を現在イーロン・マスク体制下で模索しているようだが、いまのところ有力な代替案は見つかっておらず、ツイッターの収入源はもっぱら広告である。広告主にとって閲覧ユーザー数の多い広告枠の方が少ない広告枠よりも魅力的であることは言うまでも無い。

もう一つの理由もやはり広告である。ツイッターの広告はタイムラインに挿入されるため、タイムラインが動かない=コンテンツ生産が活発にされない場合には表示数が少なくなる。タイムラインがフル稼働している場合には広告枠がタイムラインに挿入されまくり、これは広告主にとっては理想的な状態といえる。広告主にとって魅力的な広告枠は枠獲得の競争も激しくなるため、プラットフォームの側はこれに高値をつけることができ、かつ大量に売れるというわけである。

ブルスカで炎上はカネにならない(※ブルスカにとっても、ユーザーにとっても)

ではブルスカの方ではどのようなメカニズムでコンテンツが生産されているか。それを理解するにはブルスカではフォローという概念に重きが置かれておらず、フィードが推奨されていることを知る必要がある。フィードというのは様々な条件に従ってポストを収集するもので、これはカスタムフィードなどといってユーザーが自由に作って公開することができる。

たとえば犬の画像を含むポストをひたすら見たいと言う人は既にある犬フィードを利用するか、それが不満であれば自分で犬フィードを作ることができる。条件としては「犬、dog、ワンちゃん、の語句を含む、画像付きのツイート」みたいな感じで指定すればOK(実際の書き方はちょっと違います)。これであなたの作った犬フィードには可愛いワンちゃんの画像が溢れかえることだろう。

これは一般的なカスタムフィードの作り方で、実際にはカスタムフィードの条件設定でユーザーがやっていることは簡易化されたコーディングなので、プログラミング知識のある人であればもっと様々な条件をつけて面白いフィードを作ることができる。たとえば、なんというフィードかは忘れてしまったのだが、そのフィードを閲覧した時点で閲覧ユーザーに乱数を割り振り、その乱数と同じ乱数を付与されたユーザーのポストだけを表示する…と書けば難しそうですが、つまりこれはチーム分けをするカスタムフィード。そのフィードを訪れるとはいあなたはA組です、はいあなたはC組ね、と割り振られて、同じ組のポストを見るわけです。単に特定の語句を含むポストだけを収集する、というものではないのですねカスタムフィードというのは。

で、このフィードというのがブルスカではツイッターのフォロータイムラインの代わりのようになっていて、実際ブルスカではシステム上はフォロータイムラインも「フォローしたユーザーのポストのみ表示する」というフィードの一種として扱われてるんですが、そんなわけでブルスカにおいてはフォローという行為に実はほとんど意味がない。というのも、ツイッターでユーザーが他のユーザーをフォローする動機は、先にも書きましたが基本的には趣味嗜好の一致ですよね。趣味嗜好の一致しそうな人をフォローして、そういうツイートをたくさん見たい。でも実際は趣味嗜好の一致しないツイートも当然ながら大量に発生して、ユーザーにとっては不快なそのズレがツイッター側にとってはコンテンツ生産の燃料になる。

でもブルスカではそういうことはとても起こりにくい。なぜならブルスカでは他のユーザーをフォローしなくてもフィードを使って趣味嗜好のポストを収集閲覧できるわけで、この場合にはフォローにつきもののズレが生じない、したがってユーザー間の摩擦も生じない。それではコンテンツ生産の燃料はなにかといったらこれもフィードなわけです。カスタムフィードは今数万単位で存在するので、「あ~うんこしたいな~」みたいなカスなポストをしただけでも「うんこフィード」というマニアックなカスタムフィードに拾われて、そのフィードを閲覧しているマニアックかあるいは中学生のユーザからイイねがついたりする。まそれは半分冗談のようなものですが、映画の話がしたい人は映画好きユーザーをフォローしなくても映画の話をダラダラとしているだけでフィードに拾われるし、そこで交流も生まれたりする。だからユーザーは自分の興味のあることの話ばかりを自然とするようになり、こうしてコンテンツが次々と生産されていくわけです。

フォローでユーザーは何をしているのか?

ところで、ツイッターにおける「フォロー」という行為によってユーザーが何をしているかということが正確に把握できていないと、なぜフィードがフォローの代わりに成り得るか、フォローの代わりにフィードを採用した方が世のため人のため自分のために良いのかということがあまりピンとこない。ということでここで一度ツイッターユーザーがフォローによって具体的に何を行っているか考えてみよう。

まず、ツイッターには膨大なツイートがある。しかし、そのまま(フォロー0の状態)ではあなたはツイートを見られない。これはインターネットと同じですよね。インターネット上には超膨大な情報があるわけですけど、個別のURLを知っていればそのURLのサイト(情報)を見ることはできるとしても、知らなければこの超膨大な情報にアクセスすることができない。

そこで、インターネットの超膨大な情報にアクセスしようとする人は、昔はディレクトリなんて使ってましたけど、今だったらGoogleみたいな検索エンジンを使う。自分の興味のある語句、たとえば「映画 わんちゃん出るやつ」とGoogleの検索窓に入れて検索を実行することで、あなたはインターネット上にある「わんちゃんの出る映画」っぽいたくさんの情報にアクセスすることができるようになる。

ツイッターのユーザーが他のユーザーのフォローでやっているのは実はこれと同じこと。他のユーザーをフォローすると、あなたはそのユーザーのツイートのほか、その人がリツイートした更に他のユーザーのツイートも見ることができる。つまりツイッターにおいてあなたが他のユーザーをフォローするということは、単純にそのユーザーの生産するコンテンツ=ツイートを見るだけではなく、そのユーザーをツイッターの検索窓として使っていることにもなるわけです。

で、じゃあなぜBlueskyのカスタムフィードが優れているかというと、人間を検索窓として使う場合、どんな人間にも認識の限界があるので、たとえば世界一の天才をフォローしても、そこに誤った知識や偏った見解などが入ってくることがある。その時に、その天才のフォロワー(フォローしてる人)とフォロイー(フォローされている人)である天才に、それぞれこのようなことが起こる。まずフォロワーは「天才のツイートしてることだから正しいだろう」と思ってしまうからその誤った知識や偏った見解のツイートもしくはリツイートを、いいねしたりリツイートしたりして自分のフォロワーに広める。そしてフォロイーである天才の方は、こんなに「こんなにたくさんの人に自分のツイートやリツイートがいいねされたりリツイートされているのだから、自分のツイートやリツイートは正しいのだろう」と思ってしまう。

誤った知識や偏った見解を「天才のツイートしてることだから正しいだろう」と思ってしまうことに問題があるのは陰謀論の蔓延といったツイッターの現状を見ればまぁわかりますよね。じゃあフォロイーである天才の方が「こんなにたくさんの人に自分のツイートやリツイートがいいねされたりリツイートされているのだから、自分のツイートやリツイートは正しいのだろう」と思ってしまうことの問題は何かというと、「検索窓」がどんどん歪んでいってしまうことにある。

最近のAIテクノロジーは複数の入力とその比較結果によって物事の判断に多層的に「重しづけ」する深層学習(ディープラーニング)によって飛躍的な進化を遂げましたが、考え方としてはそれと同じ。天才は誤った知識や偏った見解のツイートやリツイートをフォロワーに良いものとして評価され「重しづけ」されることで、段々とその誤った知識や偏った見解のツイートやリツイートを他のツイートやリツイートよりも多くするようになる。まぁつまりフォロワーにウケようとするわけですよね。そうすると、天才を検索窓として使っていたフォロワーは、誤った知識や偏った見解のツイートやリツイートばかりをツイッターで見ることになり、客観性や中立性はこの悪循環、負のフィードバックと相互作用によって致命的に損なわれていく。

こうしてツイッターでは、ユーザーが他のユーザーを検索窓として使うことでしかツイッター内の情報にアクセスできない(※ただし、「おすすめ」タイムラインを中心に見る場合などは別)構造上の制限によって、得られる情報が極度に主観的な偏ったものばかりになってしまう。Blueskyにもツイッター同様にフォローという機能はありますが、フィードをBlueskyの膨大な情報にアクセスするための検索窓として軸に据えることで、ユーザーの検索窓としての役割は非常に小さくなっている。そのためツイッターで生じたような検索窓の歪みによる様々な悪影響も生じず、客観性や中立性は保たれ、構造的に炎上やデマの蔓延がほぼまったく発生しないというわけです。

もう炎上とか論争とかそういうの、やめませんか?

人と人を直接繋ぐのがフェイスブックやツイッターなどのSNSであったとすれば、ブルスカは人と人の間に「話題」を挟んで繋ぐSNSといえる。そしてこのフィード型の繋がりモデルは、実は特殊なものではなく俺やみなさんが普段の生活で当たり前に採用しているものでもある。朝起きて仕事に行けば職場には基本的に同僚がいるかと思いますが、この同僚とみなさんの繋がりは「仕事」という共通の話題を介したもので、その同僚の一人一人と(よほど仲がいいのでない限り)直接繋がっているわけではないですよね。仕事が終わってフットサルをやりに行くとそこにはフットサル仲間がいる。この人たちともみなさんは「フットサル」という話題によって繋がっているのであって、直接繋がっているわけではありません。

ところがツイッターやフェイスブックでは人と人が直接繋がることになる。このフォローモデルは現実ではほとんど不可能なものであるにもかかわらず、あるいはだからこそ、ユーザーを魅了して一人で数百とか数千とかのフォロー/フォロワーを抱えることになりますが…はっきり言ってそんな大量の繋がりとその繋がりによって与えられる膨大な情報を、少なくとも今の人間の脳スペックではとてもとても処理しきれません。

ふたたび先程の架空ツイッターユーザーに登場してもらいましょう。

①横山さん
興味のあるもの
・犬
・電車
・死体
嫌いなもの
・政治の話

②メアリーさん
興味のあるもの
・犬
・うまい棒
・コーヒー豆
嫌いなもの
・死体

③ヌガバンダさん
興味のあるもの
・コーヒー豆
・政治の話
・マジック:ザ・ギャザリング
嫌いなもの
・うまい棒

とりあえずタイムラインを充実させたいあなたはこの三人全員をフォローするとします。するとあなたのタイムラインには以下のすべての話題が脈絡無く並ぶことになるのです。

・犬
・電車
・死体
・うまい棒
・コーヒー豆
・政治の話
・マジック:ザ・ギャザリング

しかもそいつらが嫌いなモノや政治思想の違いからひっきりなしにケンカをしている!俺もブルスカとツイッターを並行してやり始めて初めて気付いたんですが、こんなカオスな情報環境どう考えても健康に悪いですよ。自ら統合失調症の幻覚症状を疑似的に体験しているようなもので、こんな環境に身を浸していたらいずれ疑似では済まず本格的に心身に変調を来してしまう。実際、フォロー/フォロワー共に多い人というのは大なり小なり心の健康を害しているとしか見えないもので、毎日フォロワー向けに政治系のツイッター落書き漫画を投稿したり、毎日ツイッターデモだといって政治系のハッシュタグを作っているような人というのは、どうかしているのです。

過去にはツイッターに載せたエッセイ漫画がバズったというので有頂天になって会社を辞めて漫画家を目指したなんて人もいましたが、その人が今なにをやってるかなんて誰も知らない(きっと成功できなかったんでしょう)。あれほどツイッターで人気を博した「100日後に死ぬワニ」はブームが過ぎたらおそろしいほどに誰も言及しなくなってしまった。これが果たして正常な「社会」の形と言えるかといえば俺には甚だ疑問で、人間の処理能力を超える量と速度で情報がユーザーの脳を通過していくツイッターの情報環境が人間を狂わせたと見える例は枚挙に暇が無い。

一人一人が膨大な情報量を持つ人間が同じように膨大な情報量を持つ人間と直接繋がる仮想的なフォローモデルは、少なくとも健康的にSNSで遊ぼうと思えば、ほとんど不可能といっても過言ではないように思えます。まぁちょっと覗くふらいなら刺激的で面白いでしょうが、そんなわけでメインに使うとすれば、より現実的で人間の脳みそのスペックに合ったフィードモデルを採用するブルスカの方が脳みその健康にはおそらくよい。

カスタムフィードで目指せブルスカ収益化

でもブルスカがフィードモデルを維持できるかどうかなんてわかんないんじゃないの、なんだかんだフォローモデルになっていくんじゃないの、という疑問もありましょう。しかーし、ブルスカの核はやはりフィードなのです。今後もブルスカがフィードモデルを変えないであろうと考えられる理由はしっかりある!

ツイッター同様にブルスカもまた広告に依存しない収益モデルを模索しており、その一環としてカスタムドメインの販売なども始めましたが、これは利益としてはスズメの涙でしょうし、しかも全然使ってる人がいない。分散型SNSとしてサービスを開始できれば他のブルスカサーバーから使用料という名のみかじめ料を取ることで多少はお金になるかもしれませんが、これだって巨大サービスを運営するには大して役に立たないでしょう。

ということでなんだかんだ安定的な収入源としてブルスカにもそのうち広告が入ると思います。そしてその際に物を言うのがカスタムフィード。ユーザーの興味関心によって徹底的に細分化されたカスタムフィードはターゲティング広告の枠としてこれ以上ないほど理想的なものです。ドッグフードの会社が広告を出す場合はフォロー数(※ユーザーではなくカスタムフィードのフォロー数)の多い犬関係のフィードの広告枠を買えば、もとよりこのフィードは犬に関心のある人しか基本的には見ないわけですから、高いコストパフォーマンスが期待できます。これは他のあらゆるジャンルについても同様に言えることで、人工うんち製造機みたいなスーパーニッチな製品を売りたい田舎の小さな会社ができるだけ費用対効果の優れた広告を出したい…というときに、ブルスカの「うんちフィード」の広告枠を買えば、きっと興味を持ってくれるユーザーもいるはずです。

得をするのは企業側だけではなくブルスカ運営だって同じ。ツイッターやフェイスブックでは大変なお金と手間をかけてユーザーの興味関心を分析して各ユーザーに可能な限り合った広告を出そうとしますが、ブルスカではユーザーが勝手に興味関心に応じてカスタムフィードを作ってくれるわけですから、そんな手間もお金も必要ナシ。更に言えば、タイムラインにいきなり人工うんち製造機の広告が流れてきたら普通のユーザーはスマホをぶん投げると思いますが、これが「うんちフィード」にのみ流れるとすれば、むしろこのフィードのうんち好きユーザーは嫌がるどころか喜んでくれることでしょう。というわけでターゲティング広告とカスタムフィードを組み合わせれば運営、企業、ユーザーと三方丸く収まってしまうのだ!

連帯と闘争の時代から分離と共存の時代へ

ツイッターが隆盛を極めた2010年代というのはざっくり連帯と闘争の時代であって、その現実における帰結としてロシアのウクライナ侵攻とイスラエルのガザ侵攻を捉えるなら、2020年代の今はその代償を払っている時代といえるのかもしれないとか考えたりする。連帯と闘争という言葉はとくにツイッター上ではとても美しく響くものだ。けれどもその現実の形態を考えるならば、ウクライナはロシアの一部でありウクライナ現政権に虐げられているロシア系住民を解放するためというロシア側のウクライナ侵攻の大義は一言で言うならば「民族の連帯」であり、それに対してウクライナとNATO加盟国もまた「連帯」することでロシアに応じた。ハマスの越境虐殺後イスラエルは戦時内閣を組閣し国民一丸となって「連帯」しガザ民間人の犠牲など一顧だにしていないように見える。イスラエルのガザ侵攻に「連帯」を表明しその最大の支援国となっているアメリカに対してアメリカ=イスラエルと対立しハマスの後ろ盾となっているシリアや中東の反米各派は「連帯」して、現在ガザ侵攻はもはやガザだけの問題ではなく、戦争の火種はイスラエル周辺に拡大している。

連帯。それが何かしらの問題解決のための強い力になることはツイッター発のmetooムーブメントが鮮やかに示したが、闘争の手段である連帯が具体的な敵を失い、連帯自体が目的化した時に、それは闘争の解決どころか、新たな闘争を連帯の維持のために次々と生み出す、戦争機械になってしまうのじゃあないだろうか。そう考えれば、なぜロシアやイスラエルが戦争をするのか、そして戦争から手を引くことができないのか、おぼろげながらも理解することができるかもしれない。ロシアのプーチン大統領もイスラエルのネタニヤフ首相も、あるいはアメリカのバイデン大統領も、国内や同盟国間の「連帯」を維持するためにこそ、戦争を行っているのである。

人と人の過剰な繋がりによってコンテンツ生産を行うツイッターにおいて、こうしたそれ自体目的化した連帯は否定されず、むしろ肯定されて、その結果としてツイッターでは何かを巡っての口論や炎上がすっかり日常化してしまった。これはツイッターの情報環境がもたらしたおそらく必然的な帰結であり、多種多様にして膨大な情報を日常的に浴びているツイッターユーザーは、半ば無意識的にその情報の洪水から身を守るために「連帯」するのである。自分の人種は〇〇で、自分の政治思想は△△で、自分の性的指向は××で、という風に、自分を特定の属性に当てはめ、同じ属性の仲間と「連帯」し、その世界観に入ることで、ひっきりなしに襲ってくる情報から自分の脳みそをガードする。「連帯」が作り出す世界観は情報に対する防御壁であり、その中にいれば、どんな情報が襲ってきても脳が迷うことはない。これはイイもの、これはワルイものと世界観が判定してくれ、自分の脳で一つ一つの情報を吟味することなく、それを処理できるのだから。

こんなことが少なくともネットの世界で必要になるのは結局のところツイッターがユーザーを過剰な情報に晒すフォローモデルを取っているからに他ならないと俺は思う。わしゃあ疲れたよ、そういうのに。みなさんも本当はそうなんじゃないですか。本当は犬画像だけ延々に見てたいとか、ウンコの話だけ延々としてたいとか、そんな風に思ってて、ツイッターで毎日ネット戦争をしたいなんて思ってないんじゃないですか。まぁみなさんは知らないが俺はそうです。なのでブルスカが今後はツイッターに取って代わってほしいと思ってるし、取って代わるだろうとも思ってる。もちろんたまに遊びに行く場所としてツイッターには残ってほしいし、俺が望むまでも無く残るでしょうが、ともあれツイッターは人が住むにはいささか荒れすぎているので、メインで使うSNSはブルスカでもういいよ。

2010年代が連帯と闘争の時代なら、はたしてあと6年でそれが可能か大いに怪しいところではあるが、2020年は分離と共存の時代になればいいと思ってる。あれだけ口にされたソーシャルディスタンスなる言葉を今はすっかり聞かなくなってしまったが(コロナ禍が終わったわけでもないのに)、むしろ今こそソーシャルディスタンスの概念が、リアルはともかくSNSに必要なんじゃないだろうか。そしてそれが、ブルスカのようなフィードモデルのSNSなら、可能なはずだと俺は思う。

2024/03/14:「フォローでユーザーは何をしているのか?」の項を追記


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