映画『パレードへようこそ』から考える「連帯」の今
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映画『パレードへようこそ』を観てきた。1984年、ロンドンのレズビアン&ゲイパレードから物語は始まる。ゲイの青年マークはその日の朝、テレビで炭鉱労働者のストのニュースを見て、「彼らと連帯しよう」と突然思い立ち募金を集め始める。
「連帯」という言葉、私も書くのを思いとどまることがある。言いたいことは「連帯」そのものなんだけれど、あまりに労働運動のイメージが強すぎる言葉で、古くさく、「どこの団体から来た人だろう」と妙な疑惑を持たれそうだ。
結果私が今年、東京レインボープライドのために作ったバナーはこれだった。
「つながろう!」
これも一部では古くさい、説教くさいと言われ、嫌われることもあるけれど、プライドに参加してる人たちなんかにはそんなにウケが悪くない言葉なんじゃないかと思う。
これを私は歩道橋の上からパレードの隊列に向かって掲げた。
でも今本当に「連帯」こそ必要なんだよ。と言いたい。
私たちの今との共通点
このバナーを掲げたのは、渋谷区が画期的な同性愛者のための政策を打ち出したように見える一方で、野宿者排除を行っていること、そこで社会的弱者同士が分断されたくないという危機感から。
映画の主人公・マークは、「今年のパレードは誰も怪我をしなかった、警官が優しくなった。彼らはどこに行ったのか?炭鉱だ」と語る。警官が、政府が、「他のやつらを痛めつけるようになったおかげで自分たちに優しくなった」と喜ぶことを選ぶのか、痛みに共感しつながることを選ぶのか?これは今まさに、私たちに突きつけられている問題だ。
LGSM(炭鉱労働者を支援するレズビアンとゲイの会)と炭鉱の人々の気持ちがぐっと近付くシーンの一つとして、炭鉱に続々入ってくるスト潰しの警察車両を古城から一緒に見下ろす場面がある。物々しい姿をしたものがやってきて、人間として当たり前にあるはずの日常を踏みにじっていく、その体験の共感は、両者を一気に近付ける。
直接関係のない人間がなぜ運動に入ってくるんだ、という言葉は今日の日本でも様々な抵抗の現場で投げかけられる。けれど、誰にも、関係のない問題などないと思う。人として当たり前のように、穏やかに自由に生きたいという切実な思いは、踏みにじられている全ての人と自分自身をつなぐ。マークがテレビに映る炭鉱ストに感じたのもきっとそれだった。
「関係のある人間」になるかどうか
しかし、そのまま何も行動しなければ、関係ないままだ。「関係ある人間」になるかどうかは、自分の行動が決めるのだと思う。連帯を示すことは、友情を示すこと。そして、自分自身の人間としてあるべき姿を示すこと。
劇中のプライドパレードで「政治色は出さないでほしい」と言ったあの運営スタッフは、「政治は関係ない」「炭鉱は関係ない」と思っていたのだろう。でもそれは本当のことから目を背けている。本当は関係がある、同じ世界に生きている人間として避けては通れないことを、見ないようにしているだけだ。
連帯する勇気
実際に連帯するのには、勇気がいる。LGSM結成の時、マークが声をかけたゲイやレズビアンらは、ほとんど背を向けて行ってしまう。それは彼らの多くが、信用されないこと、罵倒されること、蔑まれることに慣れているからだと思う。同じ同性愛者の中にいれば安心していられる。他のものとつながろうとすれば、「きっとどうせまたそうなる」と思っている。そういうことを何度も繰り返してきてもううんざりしている。傷つくくらいなら外へ出ない方がいい。
私は今、若年世代の労働関係の運動に関わっているが、この感覚はマイノリティに限らず、多くの若い人が持っているのを日々感じている。
彼らは甘やかされて育った世代なんかではなく、信用されず否定され攻撃され続けて育った世代だと感じる。連帯には勇気がいるが、社会全体がその勇気を全力で挫こうとしている。逆に言えば、全力で壊しにかかられている連帯というものは、権力者にとって、それだけ恐ろしいパワーを持つものなんだ。潰そうとする圧力に抵抗するのは並大抵のことではない。信じてもらえないのに信じることは難しい。でも、誰かがそれをやらなければ、連帯は生まれない。
労働組合に支援の意志を伝える電話を何度も掛け続け、その度に電話を切られても、今度は炭鉱の町に直接電話するマークたち。それは、積極的な連帯への意志と勇気の行動だ。支援受け入れの声が返ってきた時、彼らは「連帯は永遠(Solidarity is forever)」と歌い喜ぶ。
信じ合う勇気を、今の私たちはどこから得られるだろう。誰にも信じてもらえない社会の中で、まずは私自身が、出会う人たち、必要としている人たちに、連帯の手を差し伸べる生き方をしたいと思った。
こんな今だからこそ、「連帯」という言葉を思い切って使ってみるのも、いいのかもしれない。
捕捉。
…ちなみに、劇中の「女子部」の描かれ方だけはちょっと不満。頭の堅い菜食主義のレズビアンが分派したように見えてしまう感じだったけれど、マークのワンマンな性格の問題も描かれていたし、ステフが最初の頃何度も「レズビアンも」と加えていたように「ゲイ&ストレート」だけ語られてレズビアンが忘れられている場面が何度も出てくるし、事実はきっともう少し複雑で、もうちょっと公平な描き方もできたんじゃないか?などなど。
でも、それも含めたとしても、とにかく今いろんな人にこの映画を見てほしいという気持ちが強い。
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