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社会人1年目でブラック会社にもまれた私へ

夢のように楽しかった大学生活を経て、社会人になった。

私は大学でグラフィックデザインを専攻しており、将来は博報堂や電通といった大きな広告代理店で働くのが夢だった。わけだが、就活もろくにせずにアルバイトばかりしていた私が当然そんな大きな企業に入れるわけもなく、何とか受かった会社は印刷会社だった。

それでも就職が決まったときは、念願のデザイン職に就けるということで胸を踊らせ、これから社会人として働けるということが嬉しくて仕方がなかった。

しかし、その印刷会社が社会人1年目の私に社会に出て働くということをこれほどまで深く考えさせてくれるほどの「ブラック会社」だったということは一生忘れないだろう。

朝帰りの3時間後に出社する日々

基本的にどれくらいブラック会社だったのかと言うと「朝帰り」は当たり前という会社だった。月曜~土曜の週6日勤務で、祝日ももちろん仕事。土曜日に少しでも早く帰るためには、金曜日に朝帰りしても3時間後には家を出なくては土曜日18時からの予定にも間に合わないような仕事の詰め込みようだった。

もちろん、こんなのデザイン関連の仕事にはよくある話である。大学生の時からデザイン業界の “そのような噂” は聞いていたので、私もある程度覚悟をもって入社したつもりではあった。

しかし、社会人1年目の私にはなかなか酷な職場でもあった。入社当時20代前半でまだ体力があったから良かったものの、30代に突入した今だったら即辞めていたに違いない(笑)

当時もきつくてきつくて仕方がない日もあったが、一緒に入社した同僚と励まし合って生きていたのが良かった。その人がいてくれなかったら早々に辞めていたであろう…。

しかし、私はこの刑務所みたいな職場で、初めて親の凄さを実感したような気がする。「社会人になってお金を稼ぐ、働く」ということはこんなにも大変なものなのかと、共働きで娘3人を育てて大学まで行かせてくれた親には本当に頭が上がらない。

それでも2年間ブラック会社で働き続けた理由

しかし、そんな私も2年間そのブラック会社で働き続けた。先ほど記述したように、一緒に励まし合っていた同僚の存在があったことも大きかったが、他にも2つ程理由がある。

その1つ目は当時憧れていた先輩のようなデザイナーになりたいと思っていたこと。そして2つ目は、何事も経験だと思っていたことが理由にある。

当時、やはりそんなブラック会社でも唯一の希望だったのが、憧れの先輩がいたこと。大学のときはデザインと言っても、自分の好きなものばかりデザインしていた私。

しかし、社会人になって「デザイナー」という仕事は好きなものを作る仕事ではないということに気付かせてくれたのが、そのデザイナーの先輩だった。先輩はお客さんのためにどんなデザインがいいのかを徹底的に考えていたし、制作しているデザインもいつも本当に素敵だった。

しかし私もこんなデザイナーになりたいと思いながらも、当時は先輩から直接教えてもらえるような環境ではなかったので、先輩が持っていた本を真似して買ったり、こっそりチラシのゲラを家に持ち帰ってはストックして自分が制作したものと比べたりしていた。

憧れの先輩の思考、技術など盗めるものは全部盗みたいくらいの気持ちでいたため、その思いだけでもブラック会社で働き続ける意味があった。

そして、そんな私は何事も経験だと思っていたので、辛くても新しいことができるならまだ働く意味があると思っていたのが、そのブラック会社に2年居続けられた理由の一つでもある。

私は入社してから、仕事を覚えるたびに上司が辞めるという謎の現象にも何度か出くわした。たぶん上司が会社を辞めると言って、じゃあ私に引き継がせようといった流れで私に役割が回ってきていたのだろう。

しかし、何事も経験だと思っていたように、私としては上司が変わる度にまた新しいことをさせてもらえるのは好都合だった。

どんどん新しいことを覚えて、仕事をこなして、できる女になりたいと思っていたのだ。本当に。

それくらいには会社がブラックだろうが何だろうが、仕事に燃えていた。というのが、社会人1年目のこと。

私にとって働くということは

そして最終的には私は2年目の最後にそのブラック会社を辞めた。

先ほど書いたように会社がどんなにブラックでも続ける理由があったから、私は頑張れていたわけだが、また私の上司が変わったある日。

その会社がずっと関係を持っていたスーパーのチラシを担当することになったのだが、そこでニヤつきながら上司に言われたのが「今後ずっとこのチラシを担当してもらうからね」という言葉だった。

その上司は会社内でもあまり評判のよくない50代くらいの男性だったが、どうやら私を今後ずっとこのチラシの担当にさせて、自分は会社内でゆっくり過ごしたいという願望があったようだ。

この人は何を言ってるんだ?と一瞬思ったが、その時はヘラヘラしながら軽く流した。でも今仮に会社で上の立場にいる人達がいたとしたら、そんな願望を軽い冗談でも言わないでほしいと思う。

なぜ私はあなたを楽させるために働かなくては行けないの?と思ったし、これから私はずっとこの会社で同じチラシを作り続けるんだと思うと、なんだか終身刑でも言いわたされたような気分だった。

そこから先はどれだけ仕事をこなしても楽しいと思わなくなり、頑張る気力もどんどん失せていった。

そもそも会社自体に昇給という制度がなく、頑張ったところで給料が上がるわけではなかったのも大きな要因の一つだったと思うが、私はその上司を楽させるためだけに頑張らなければならないのか?と思うと、もう限界は近かった。

ある日私はチラシの内校をしながら泣いた。泣いては駄目だとは分かっていながらも、自然と涙がこぼれてきて止まらなくなった。

昔、尊敬する先輩から仕事中に泣いてはいけないよと怒られたことがある。泣いてしまうと、本人に言いたいことが言えなってしまうからと。特に男性が多い職場で女の人が泣くと、男性はさらに言わなくてはいけないことも言いづらくなってしまうから。

その先輩はとても優しかったので、新卒で何も知らない女の私に色々と教えてくれたのである。男性と対等に頑張りたいと思うのであれば、涙は流すまい(泣くならせめてトイレに駆け込む)とその日から心に誓っていた。

でももうたぶん精神的にも限界だったのだと思う。私は一体いま何のために仕事をやっているんだろうと思ったら、内校台で涙が溢れて止まらなくなった。そして仕事も辞めたくて辞めたくてたまらなくなった。

たぶん私は何よりも「自分のために働きたい」という気持ちが強いのだろう。時間もないお金もない(当時給料は手取りで12万円)、それでもこの会社で働けていたのは自分が成長できる場だと、少なからず感じているところがあったからだ。

しかし、自分が今後ずっと同じチラシを作って上司に楽をさせてあげるという業務をやっていくことは、全然自分のためじゃない、したいことじゃないと思った。

だから私は新卒で入った会社を2年で辞めた。そして、その経験が会社に依存しない働き方がしたいと考え出すきっかけになったような気もする。

新卒2年で会社をやめた後のこと

そして、一社目をやめた後は紙業界ではなく、興味をもっていたWEB業界に転職できることになった。

その職場はかなりホワイトで実力主義な会社だったので、頑張れば頑張るほどお給料も上がったし、ある程度やりたいこと、学びたいことも経験させてもらった。そして私は今一人でWEB制作関連の会社をやっている。

それにはもちろん前職でWEBの知識を身につけるためにがむしゃらに働いたというのもあるが、新卒1年目で入ったあのブラック会社で、自分が経験したことが生きていると思うことも多々ある。

というよりも、逆にあの会社に入っていなかったら、私は今ごろ独立なんて無茶なことはしていなかったのかもしれない(笑)

人生がとても長く思えて、内校台で泣いたあの日。その日から社会人1年目の自分とはまた違った意思をもって働き続けることができた。

だからあのブラック会社に勤めていた社会人1年目の自分に、いま言うことがあるとするなら「何事も無駄なものなんてない。とりあえず駄目だと思うまで頑張ろう」と、少し格好いいことを言うかもしれない(笑)

しかし、基本的に私は本当に駄目だと思うのなら、そこからすぐに抜けた方がいいと思っている人間だ。だから、もし仮に今ブラック会社で働いていて、辞めたいけどやめられない。毎日が辛いと感じている人がいるのなら、すぐにそこから脱出してほしいと思う。それは逃げなんかではなく、自分を守るためだからである。

だけど、どれだけ勤務時間が長くても罵声をあびせられても、その先に学びがある。自分のためになると思うのなら、今目の前にある仕事を続けてみてもいいのかもしれない。何のために働くかは全ては自分次第だと思う。

社会人になって約10年。まだまだこれから。というか、最近はこれからが大変だよと本当に思う。独立1年目、新しいことを始めたばかりなので不安しかないけど、いつまで続くか分からないけど、あの会社を乗り越えたからどんなことでも乗り越えれるはず。。。

頑張れ自分(笑)

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