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15年後に絶望する漫画家志望①

100日後に死ぬワニという漫画がある。
2019年から2020年にツイッター上に投稿されるやいなや、拡散され、バズりにバズり、時代を席捲したものの、連載終了後のメディア展開や商品展開で炎上したあの漫画である。
一時期それをパクったりオマージュしたりした漫画も流行った。
その流れで私も『15年後に絶望する漫画家志望』というエッセイ漫画を作ったので、当時の心境とともに3回に分けて公開していきたいと思う。

小学生の頃は勉強ができたり、絵がうまかったり、運動ができるだけでヒーローになれた。

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小学生の頃、地味目なグループにいたデブだったものの、絵がそこそこかけて勉強もなかなか出来た私は毎日が楽しくて、絶対将来は漫画家になるのだと信じてやまない無邪気な子供だった。

中1で漫画を描き始めた。

エッセイ2

中1の頃に『GTO』にはまり、『少年マガジン』に載ることを目標に漫画を描き始めた。
当時の私には漫画家になるという目標だけではなく、漫画業界を変えるという偉大な目標があった…。

中2で漫画を投稿し始めた。

エッセイ3

思い立ったら即行動!な私は86ページのマンガを半年くらいかけて完成させて早速雑誌に投稿した。
最初の作品だし、受賞できないのはもちろん、何の連絡もこないだろうと思っていた私は(受賞したわけではないものの)、編集者からの連絡がきただけで有頂天になっていた。ここからこのバカな子供は謎の自信と将来の偉大なる妄想を加速させていく。

中3で初めての受賞。

エッセイ4

『少年マガジン』に投稿して落選した漫画を『少年ライバル』という雑誌に投稿し、一番下の賞を受賞。私は絶対に漫画家になるのだという自信はこのころから確信へと変わっていった。漫画家になれない道など考えていなかった私は、親友の志望校についていった。

高1で初の持ち込み

エッセイ5

高校生になった時、やはり漫画家になるためには持ち込みが必要だと思い立ち、『少年マガジン』編集部に人生で初めて持ち込みに行った。
茨城から電車で東京に行ったのもこの時が初めてだった(もちろん友達の電車代は出した)。
10分程度かけて2回漫画を読まれた後、名刺をもらうことができ、初めて担当編集者がついた。


~順調に見えた漫画家への道…ここからいかにこの漫画家志望が絶望するに至るのか…!?②に続く!!

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