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15年後に絶望する漫画家志望③(完結編)

前々回前回に引き続き以前ツイッターに載せていた『15年後に絶望する漫画家志望』というエッセイ漫画を当時の心境とともに公開していこうと思う。

前回は少年マガジンでの初受賞から、専門学校時代、アシスタントを始めてからのことを書いた。今回はその続きとなる3回目。
かげりが見え始めた漫画家人生、さらなる絶望がこの漫画家志望の女子を襲う…。

アシスタント2年目、久々に漫画が描けた!!けど…

エッセイ11


新しい担当の方がついてくれたものの、正直あまりそりが合わなかった。
持ち込んだ漫画は入賞したが、高2の時と同じ奨励賞…高校生の頃の自分から画力も構成力もあがっているはずなのに…と、一歩も進めていない気がして歯がゆかった。

アシスタント3年目、好きな漫画家のアシスタントになれた!!

エッセイ12

この時初めて、雑誌の担当編集を通してアシスタントに入ることができた。(それまでは漫画家とアシスタントのマッチング掲示板を利用していた)
自分の漫画のネームの方も担当さんのウケがよく、友達に読ませてもみんな面白いと言ってくれた。
このままきっと、うまくいくのだと思った。

アシスタント4年目、希望はガラガラと音をたてて崩れた…

エッセイ13

人は、期待した結果が大きければ大きいほど結果が伴わなかった場合脆いものだ…。ここでやっと私は”自分は漫画家にはなれないのだ”、とはっきりと理解したのだった…。

アシスタント5年目、漫画家の道を諦めた…

エッセイ14

周りのみんなは普通に働いていて、きちんと収入を得て、安定した道を歩んでいる中、私だけが週3日のアシスタント(+たまのヘルプアシスタント)でギリギリのお金で生活している。
…かつ漫画家になれなかったら今後ずっとそんなアシスタント生活。

この時、考えれば考えるほど不安がつのった私は、アシスタントをやめ、もう漫画は描かないと心に誓ったのだった。

会社員1年目、自分は自分で思う以上に何もできなかった…

エッセイ15

眼科の検査員のバイトや、テレビ局AD、派遣の事務員まで色々試してみたのだが、どれも長くは続かなかった…。
漫画業界以外を経験してこなかった私は、自分が何もできないポンコツだということをここで初めて思い知ることとなる。厳しい現実を目の当たりにし、もうプライドはズタズタで、お先真っ暗という気分だった…。

会社員2年目、絶望の中で見つけたのは…

エッセイ

正社員の広告漫画家募集の求人を見て、『私にはもうこれしかない…!』そう思った私は絶対に採用されようと、志望動機をマンガにして面接の場に持っていき、見事採用された!!
また、会社とは別に個人でも広告漫画家として活動をはじめ、安定した収入が得られるようになっていった。

そして会社に入って半年…!!

エッセイ2

人と話すのが好きな私にとって、仕事を取るための営業は全く苦ではなかった。
会社を辞める前からあった継続案件が途絶えたりしたものの、自ら仕事をとれるようになり、徐々に収入も増えていった。このまま広告漫画家として活動を続けて稼ぎを増やし、デザイナーや動画編集の型とタッグを組んで、チーム化・法人化していこうと思っていた。

そして…漫画家を目指して15年目の…絶望!!

エッセイ3

広告漫画家として生きていく決意をし、順調に走り出した矢先に日本を、世界を震撼させるあの出来事が起こった。
イベントなどでの対面での営業ばかりしていた私は仕事を増やす手段を失ってしまった…。でも…

気づけば、絶望に負けない心が身についていた!!


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今まで本当に色々なことがあった。こんなのまだ序の口で、これからも絶望することはもっともっとたくさんあるんだと思う。
でも、何があっても歩みを、筆を止めることはもうやめよう、それでももがいてもがいて、一歩でも前に踏み出して生きていこう。今ではそう思っている。


~15年後に絶望する漫画家志望 完~

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ここまで読んで下さりありがとうございました!!

今後も
・有名漫画家のもとで学んだ知識
・広告漫画の描き方
・独立の仕方
・商業誌と広告漫画の違い
・ここまでの歩み
…などなどを余すことなく記事にしていく予定です!!


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