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「身の周りの音」に耳を澄ます──マインドフルネスの12の練習 WEEK9

photo by Ivan Sean/unsplash

『「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強くやわらかくする「マインドフルネス」入門』(ジャン・チョーズン・ベイズ著)から、日常生活の中でできるマインドフルネスの練習を紹介する9回目。

今週は生活の中の「音」に意識を向けてみます。

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(本書PARTⅡ マインドフルネスを日常で実践する53の練習 より)

どんな練習?

1日に何度か、していることをやめて耳を澄ませましょう。巨大なパラボラアンテナのように、360度に耳をそばだてます。体内から聴こえる音、部屋のなかの音、建物のなかの音、屋外の音──はっきりした音にも、かすかな音にも耳を澄ませます。

初めて地球に降り立った異星人のように、「あの音はいったい何なのだろう?」と耳を澄ませてください。あなた1人のために奏(かな)でられている音楽の音がすべて聴き取れますか?

取り組むコツ

簡単に耳の形を描いて、自宅や職場のさまざまな場所に貼りつけておきます。

この練習による気づき私たちは、絶えずさまざまな音を浴びて暮らしています。図書館や森のなかなど、静かな場所とされているところででもです。実際には、耳はすべての音をとらえているのですが、脳がそのほとんどをブロックしています。そのおかげで、より重要な会話の内容、講義、ラジオ放送、飛行機のエンジン音、赤ちゃんの泣き声などに集中できるのです。

研究によって、「赤ちゃんには大人には聴こえない音が聴こえる」ということがわかっています。赤ちゃんの聴覚は大変鋭く、音が鳴り終わったあとのかすかな反響まで、聴き取ることができるそうです。私たちは人生のごく初めに、これらのまぎらわしい音をブロックすることを覚えます。興味深いことに、アフリカ南部の原住民はこの赤ちゃんの聴覚の能力を保持しているのだそうです。砂漠のような非常に静かな環境で暮らしているからでしょうか。

赤ちゃんはまた、生まれる前に聴いた音楽やメロディを帯びた声を聴き分けると言います。注意を集中して聴くようにしていると、新たな世界が開けてきます。それまで邪魔だと思っていた音が、まるで異国の音楽のように、興味深く面白く感じられるようになります。背景の雑音が表舞台に出てくるのです。食べ物も、とくにカリッとしたものの場合など、口のなかでたくさんの音を鳴らします。隣の家の落ち葉を吹き飛ばすブロワー(送風機)の音も、シンフォニーの一部です。削岩(さくがん)機はパーカッションでしょうか。冷蔵庫の「ウーン」という音も、高音と低音が織りなす音のタペストリーに織り込まれていきます。

深い教訓

耳を澄ます練習は、心を鎮めるのにとても効果的です。音に関心を引かれるようになると、もっと意識を集中して聴きたくなります。真剣に耳を澄ますためには、心のなかの声にしばらく黙っていてもらわなければなりません。

心のなかで「あの騒音は隣のおんぼろトラックだ!」などと悪口を言ったり、「マフラーを交換する必要があるな」などと意見を言ったりせず、ただ心を研ぎ澄まして、生まれて初めて聴いた音であるかのように聴く必要があります。それに実際に、まったく同じ音というのはないのです。

音に耳を澄ますのは、際限なく反芻(はんすう)される不安から心を切り離すよい方法です。檻(おり)のなかのリスのように、心が不安の踏み車を回すのをやめられないと気がついたら、部屋のなかから聴こえる音が織りなす音楽に耳を傾けます。1日中パソコンに向かって疲れ切ったのであれば、外へ出て、意識を闇のなかに解放し、夜が奏でる音楽に耳を傾けます。

音に関する有名な公案があります。「臨済宗中興の祖」と称される江戸中期の高僧・白隠(はくいん)慧鶴(えかく)は弟子たちにこういう公案を与えました。

「1つの手の音はどんなものか?」

この公案は後世になって、しだいに陳腐な解釈をされるようになり、「1つの手で手を叩くときの音はどんなものか?」などと間違った形で伝わっています。しかし、この公案を真摯に考えれば、深い音の世界に心が開かれます。この公案は、突き詰めていくと、「音とは何か?」あるいは「音がするか?」ということになります。心が際限のない迷路にさまよい出るとき、この問いかけが「今、ここ」に引き戻してくれます。

自分を変える言葉
「静けさ」と呼ばれる状態のなかにも、音はある。
かすかな音を聴き取るためには、心はきわめて静かでなくてはならない


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