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「間違った(変な)MMT理解」ができるメカニズムと、そうならないための心がけ

 これは「新しいMMT入門」の第二回!

 マガジンも作りましたので、どうぞ今後はそちらかもよろしくお願いいたします。


新しいMMT入門を構想するにあたって

 「新しいMMT入門」だからと言って奇を衒うつもりはぼくにはありません。

 むしろ、シンプルかつ一貫した方針を明示して、それに基づいて進めていくことによって、一人も多くの人をあるゴール地点まで連れて行きたい。

 実は、お手本としてイメージしている別の分野の二冊の教科書があるので、これらを手短にご紹介するところから第二回を始めましょう。

 奇しくも二冊ともに2000年の出版でした。

教科書のお手本1:熱力学 — 現代的な視点から(田崎晴明著)

新しい構想にもとづく現代的な熱力学のテキスト・参考書。 熱力学をできるかぎり見通しよくかつ論理的に理解することを目指し、 伝統的な方法とは異なるアプローチをとる。

出版社による紹介

 2024年の今となっては、この教科書でなされた「エントロピー」概念の操作的な導入は、普通の大学において標準的に使われていると思います。

 もっと昔は違ったんですよ。。。

 これはぼくの視界を一気に広げてくれました。 

 なにしろそれまで「エントロピー」はいくら勉強しても、どこか得体のしれない、なんとなくわかる気もするし、実験で使ってもいるのにもかかわらず他人にうまく説明できない、そんな代物でした。

 要はちゃんとわかっていなかったし、著者の構想が画期的だったということ。

教科書のお手本2:ミクロ経済学 戦略的アプローチ(梶井厚志・ 松井彰彦の共著 )

 2000年ごろのぼくはすっかりマクロ経済学にハマっていたのですが、ミクロ経済学にもちょっと手を出していました。

 愛称、「ミク戦」です。なつかしい。

 それまでのミクロ経済学の教科書が判で押したように、需要供給曲線からの一般均衡の導入というような形だったのを、彼らは全くアプローチを変え、初歩的なゲーム理論から入る手法になっていたのが斬新でした。

 この本に出合っていなかったらミクロのやり直しをしてはいなかったかも。

 これMMT的にどうかと言えば、途中から金融市場が入るなどお勧めではないのですが、冒頭の数章を読んでいたときの頭の使い方は、間違いなくその後のMMTや資本論との格闘に通じるものがあります。

 ぼくのミクロ経済学の学び直しの順番は「ミク戦」→「MMT」→「マルクス」だったので時間軸がひっくり返っていますね。でもそれが功を奏したのだなあとしみじみ思うところです。

 なにしろMMTだって、政府と銀行と民間人のゲームだとして把握することができます。
 
 資本論だって、交換過程論は当然ながら、あれが全体を通して資本と労働者の階級間ゲームの話になっているということを否定するわけにはいかないでしょう。

 うん。マクロ経済学ってミクロの発展であるべきなんですよね、本来。

 さてこれら二冊の教科書に共通するのは、新しいアプローチを一貫した意図の下に採用したことにありました。

 どちらも楽しい経験だったな。

「新しいMMT入門」の意図

 この「新しいMMT入門」も、これまで日本で出版された「MMT本」と ”そんな感じ” の一線を画すつもりです。

 今のぼくにはその戦略を短い言葉で書くことはできないのですが、今回と次回のエントリでは、そのあたりをちゃんと書いてみることにいたします。

 どうしても抽象的な話になりますが、「行き当たりばったりに書きなぐっているわけではないから心配しないでね」というメッセージということで。

 まずは前回の前振りを受けて。

「相容れない二つ」のビューが現れるメカニズム

 前回、田中秀臣さんのMMT観とぼくのそれが矛盾しているという話をしましたね。

 田中は「MMTに新規性はなく、既存の経済学の方法で記述できる」という立場で、ぼくは「MMTは既存の経済学をすっかり破壊している」という立場。

 この矛盾のメカニズムを下のGIFアニメを使って説明いたしましょう。

Spinning Dancer

 後に述べますが「MMTのおかしな説明たちが次々と現れる現状」理由の方もこのアニメで説明することができるのです。

両立しない「右足軸理論」と「左足軸理論」

 では、ぼくと田中の違いを喩えるならば。。。

 ダンサーの軸になっている足を右足とみているのがぼく(MMT)。
 軸は左足だとみているが田中(経済学)。

 それぞれ「右足軸理論」「左足軸理論」と名付けると、二つの理論はどちらもシルエットという見かけの動きを「説明」をしてはいますよね。

 また、両方の姿を同時に見ることはできない。だから両理論は互いに矛盾しています。

 二人の「矛盾」とはこれなのです。

 ところで皆さんはこのアニメの回転を意識的に切り替えることができますか?

 MMTを理解するためには、それをやる時と同じような意識の力を使うことによって、両方の理論を自由自在に行き来できるようになることが一番よいと信じます。

 コツとしては「軸が変わると回転が反対になるように意識する」という感じです。

 下の図の通りなのですが、みなさんそれぞれやってみて、うまくできるようになってほしいところです。

 さて、経済学とMMTの関係ですが、両方が正しいということはないですよね。
 もしシルエットでなく、たとえば顔の向きが判別できたらどうでしょうか。

二つのビューのどちらかは間違っている

 下の図のように、あるポーズのときの顔が手前側を向いていたとします。 

顔が手前なら軸足は右

 すると軸足は右足だとわかり、従って、回転は反時計周りだったと確定する。

 MMTではしばしば「集めた通貨を配っているのではなく、配ったお金を集めている」ことを強調します。

 これは軸足をハッキリさせる作業に相当します。

 現実はどう見ても反時計回りなのに、経済学者たちは時計回りであるかのようなことばかり言っている。

 そんな感じです。

金利を上げたいなら金融緩和しなさい

 とか!(前回参照

「MMTの看板を借りた変な説明」が生まれるメカニズム 

 一方、日本語のMMT本の大半がこれに相当するのですが、「MMTの看板を借りたおかしな説明」についても触れておきましょう。

「MMTを援用」したと称する変な本の例

 これ画像をいちいち引っ張るとキリがないので一つだけにしました。

 たとえばこんな説明を聞いたことがないですか?

  • 「国債が財源である」

  • 「政府預金が財源である」

  • 「日銀の信用創造が貨幣の始まりである」

 こうした説明は、MMTの文字があったとしてもMMTとしては「変」。

 言ってみれば、軸足を右に定めたのはいいけれど、回転方向が時計回りつまり逆になっている。

 そういうことだから、たとえば「インフレになったら増税する」というようなトンチンカンなことを言い出したりする。

 いったい何のために軸足を決めたのか?という話です。

 そんな風に自由自在に好き勝手なことを言っていいなら、それはまともな科学、まともな論理でありません。

野口旭の「MMT批判」に見る、主流派の逆回転思考

 他方、MMTの批判者サイドにも似た現象(軸の不徹底と思考の逆回転)がしばしば現れます。

 野口旭の「MMTの批判的検討」を取り上げることにしましょう。
 断っておきますが難易度は高いので、特に初心者の方は気楽にそうぞ。

 こちら。

 ここで野口は一見、軸を受け入れたような書き方をしているのです。

 なにしろモズラーの Soft Currency Economics II を参考にしたと公言する人は実はかなりの少数派で、「ちゃんとしている」感を醸し出しています。

 が、予想通りダメでした。

 野口も逆回転思考者であるだけに、この一連の論考からダメなところを挙げようとするとキリがなくなります。
 ここでは核心的なところだけを抉り出すことにしましょう。

 野口は次のように書いて「わかってるぞ感」を匂わせる。

MMTの出発点であり、かつその不変の中核となっているのは、国債トレーダーであったウオーレン・モズラーによる以下の「発見」である。

野口

 その「不変の中核」ですが、野口の説明は以下の通り。

”政府の赤字財政支出(税収を超えた支出)は、政策金利を一定の目標水準に保つ目的で行われる中央銀行による金融調節を通じて、すべて広い意味でのソブリン通貨(国債も含む)によって自動的にファイナンスされる。したがって、中央銀行が端末の「キーストローク」操作一つで自由に自国のソブリン通貨を供給できるような現代的な中央銀行制度のもとでは、政府支出のために必要な事前の「財源」は、国債であれ租税であれ、本来まったく必要とはされない。”

野口

 ここだけを見れば、正直微妙です。

 わかっているのか、それともわかっていないのか判別しがたいところ。

 でも、少なくとも「軸」をしっかり読めている人は、同じ内容を野口のようには書かないと思う。

 ぼくがやるならそうですねえ、こうかな。

政府と中央銀行のオペレーションは「キーを叩いて」数字を変える操作で成り立っているので、政府支出のための事前の「財源」は必要ない。つまり政府の赤字財政支出は、政策金利を一定の目標水準に保つ目的で行われる政府と中央銀行のオペレーションを通じ、自動的にファイナンスされる。

nyunによる模範的な表現

 こうして考えると、野口の文の真ん中あたりに出てくる「したがって」のところ、MMT的読解としておかしいですね。因果が逆になっている印象です。

 いっそう興味深いのは次の箇所。

このMMT命題の背後にあるメカニズムを最も簡潔に描写しているのは、Macroeconomics の第20章第4節Coordination of Monetary and Fiscal Operations である。レイのModern Money Theoryでその問題が取り扱われているのは第3章である。モズラーのSoft Currency Economics II は、ほぼ全編がこの問題の解明に当てられているといってよい。しかしながら、レイのModern Money Theoryとモズラーの書籍の説明は必ずしも明快ではないので、以下ではもっぱらMacroeconomics第20章第4節の説明を援用する。

野口

 ぼくにとって明快なレイとモズラーの文を、野口は「明快ではない」という。

 ここで回転が逆なのだろうと想像がつきます。
 逆回転状態のままでは、あれらは読めないんですよ。。。

  続く Macroeconomics第20章第4節の説明の「援用」として野口が書く文に、その「読めなさ」が現れてしまいます。

野口旭の逆回転

 そう。

 モズラーを明快に読むことができなかったのは、「時計回り思考」で読んでいたからだなということが、ぼくには明快に伝わってくるのです。

 悪気はなさそうかなあ?

 これ、今の皆さんにはちょっと難解だろうと思いつつも、ぼくとしてはここでちゃんと指摘しておきますね。

 まあ雰囲気だけわかれば今は構いません。

 以下の箇所。強調はぼくです。

若干の補足をしておこう。まずステージ1では、政府が財政支出の便宜のために国債を見返りに中央銀行に政府預金を創出することが想定されている。これはあるいは、多くの国で禁じられている「国債の中央銀行引き受け」に相当するように見えるかもしれない。しかしながら、中央銀行は同時に、制度的には必ず「政府の銀行」の役割を果たさなければならない。それは結局のところは、「中央銀行が国債(政府の債務)の見返りに政府に預金を与えている」ことを意味する。仮に政府が「財源」の調達のために支出の前にまずは民間銀行に国債を売却したとしても、Modern Money Theoryの第3章に示されている通り、最終的な結果は同じである。

野口

 太字のところでは、いみじくも野口自身が「それは結局のところ…を意味する」と書いており、それが野口自分の解釈であることを告白している。

 種明かしをしましょう。

 そもそも、モズラーがその本で言っているのは次のこと。

 すなわち、単なる「準備の除去(reserve drain)」の操作が常にある。それは民間の準備の数字を減らして国債の数字を増やすという、それだけの操作に過ぎません。

 ところが野口を含め人々は、まさにそれだけのことに「中央銀行が国債(政府の債務)の見返りに政府に預金を与えている」という「ご説明」を与える。

 それは余分な「ご説明」じゃんという気づきのことを、モズラーは「イタリアの啓示」だったと書いています。その本で。

 これをぼくの上の言葉で表現すると、それは「逆回転理論に基づく説明なんだよ」となる。

 実際、このことこそがMMTの最初の着想なのであり、なんなら「不変の中核」なんですよね。

It's all just a glorified reserve drain!

 野口は、たとえば一般の人が「税は財源だよねー」と誤って言うときのように、ここで言葉の飾りをしていて、単なる「準備の除去(reserve drain)」に過ぎないものを「聖なる準備の除去(a glorified reserve darin!)」に仕立て上げているんです。

 このようにして主流の「時計回り思考」は、単なる「準備の除去(reserve drain)」のうち、政府がやっている「ことにしている部分」を「金融調節」から切り離す。

 一般の言説は、政府と中央銀行が事実上協調しているにもかかわらず分離しているかのように説明している。それはおかしい!

 くどいですが、この気づきこそがMMTの出発点であり、まさに「不変の中核」であり、軸なのです。

 せっかくそこを読んでも、読者がそこで逆回転思考を始めたら何が何だかわからない。

 あ、今もう一つ気づいたけどここもダメじゃん

まずステージ1では、政府が財政支出の便宜のために国債を見返りに中央銀行に政府預金を創出することが想定されている。

野口

 だって、下は当該箇所のスクショなんですが。

 野口は水色のハイライト箇所だけを読んでそう書くわけだけど、その下の赤で囲った箇所のニュアンス(それはイデオロギー的ヴェールだという話)をまったくくみ取っていないんだ!(呆れ)

Macroeconomics P.321

 うわーうわー 
 こりゃひどい。


  (余談になりますが、ぼくが翻訳活動から説明活動にシフトしたのも、論理を説明しないと誤解されるばかりだということに気づいたからだったりします)

「反時計回り」思考の習熟を目指しましょう

 今の話、どうでした?

 皆さんには、さすがにちょっとむつかしかったと思います。
 
 まあ、野口教授に説明しても、きっと彼はわからないですよ。

 野口は、回転方向をすっかり訓練されまくってきた一群の人たち、つまり経済学者の一人なのだから。

 でもでも
 皆さんは「それほど」心配はいりません。

 ぼくとしても、40人クラスで2人が理解してくれたら上々という気分。
 これから一人また一人という感じで、命ある限り理解者を増やしていきますよ。

 要は「軸」を固めて、次に「思考の回転方向」を意識する。
 この操作に慣れれば良いのです。

 たとえば脳の調子が悪いときは、意識の力でGIFアニメのダンサーの回転を反転させることすら難しいなと感じるときもありますよ。

 がんばった後に「わかる」といろいろ面白い。

 何しろ学者や評論家たちがみんなデタラメを言っているということがくっきりとわかるのだから。

 残念ながらそれは笑い事にはなりません。

 現実が「反時計回り」なのに、主流思考が時計回り。
 だから人類は楽になれない。

 なのでいつの日かわたしたちは、まちがって軸足でない足を軸足と考え、そのせいで回転方向をすっかり間違えている経済学を、すっかり廃棄しなければいけません。

 ぼちぼちがんばりませんか?!



 (最後に、上の It's all just a glorified reserve drain! の話、並行して進めているマガジン、MMT「税が貨幣を動かす」ビューの論理、を読むの中などでもがんばって説明しています。余裕がある方はそちらの方も是非読んでみてくださいね。そのうちこちらでも書くと思いますが。)

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