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まなびについて、これまでとこれから

お疲れ様です。土曜の夕方は人生のゴールデンタイム。どうも三角形です。

本日は「まなび」というテーマで駄文を書きます。(余談ですが、私は勉強という言葉あまり好きではありません。なんというか、堅苦しい感じがして自分を遠ざけてしまうからです。本来何かを学んで習得することは楽しいことのはずですので、まなび、という言葉をつかっています)

暗黒の受験時代

私は中学ごろまではそこそこ勉強ができた(と勘違いをしていた)のですが、高校で落ちこぼれたために「勉強」の成功体験はしてこなかった側かと思っています。高校ではじめて「絶対的な頭の良さ」を持つ人たちに出会い、絶望した記憶があります。なんとか受験戦争は脱落せずに続けはしたのですが、あまり良い思い出はありません。しかし、10代の一定期間、ある目標に向き合い続けたという経験は、振り返るとよい経験だったかと思います。以下は私が出会ったツヨツヨ受験生の生態です。

  • 勉強の息抜きに勉強をしている状態(英語→数学→その他など)

  • 午前中に数学、寝る前に暗記系

  • 友人と会話でアウトプット(雑談などでリラックスしながら勉強の話をしているなど)

  • 隙間時間を徹底的に利用する

  • 日記(日々の学習記録)をつけている

  • 息抜きはちゃんと取り入れる

  • 王道はいったん試して、合うかどうかを確認している(極端な勉強法はあまり効果がない)≒学問に王道なし

今思い返しても、やはりすごかったです。よく言われることだとは思いますが、部活をやっている人は時間の使い方がうまい人が多かった印象です。締め切り効果というのでしょうか。私もこれは参考にしていきたいですね。

自由な行動時代

大学生になると、それまでの受験勉強的な頭の良さとは異なる魅力を持つ人たちにたくさん出会いました。共通していたのは「行動力」だったかと振り返って思います。「やったことがないことにチャレンジしてみる」とか「異文化に飛び込んでみる」とかそういう類です。私も運よく何度かそういう機会を学生のうちに持つことができました。

陽気な研究時代

大学では少しだけ研究の真似事をしていました。私が取り組んでいた研究はかなり実践的な内容で、上記の「行動」に加え「あなたのアイディアを考えてください」と言われ、とても大変だったと記憶しています。苦戦続きでしたがなんとか卒業をすることができました。ここでは、受験勉強的な能力はプロジェクトの基礎を素早く吸収するためであったり、解析の方法を学んだりするために有用でした。ある種、これまでの集大成的なイベントであったかと思います。

これから

もっと自由に生きていきたいと思うようになりました。なんというか、社会的な身分(職種や住んでいる地域、性別などなど)にとらわれず、様々な人の生き方を知りたいと感じています。現代ではそれは容易ですしね。その一方で、自分が大切だと思うものは、それはそれとして持っていこうと思いました。

まとまりはありませんが、以上。





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