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書店の店員さんの行動から学んだ気遣い「気づかせずに、気づくこと」

先日歩いていると、とある書店を訪れた。

ふらっと見かけた書店だったが、目に入ってきたのは題名が隠された「シークレットブック」のフェア!どんな本と出合えるのかわくわくするこの企画に、僕は目がない。じっくり堪能した数分後、これだ!と思う書籍を手に取り、カウンターに並ぶ。

カウンターでは2人の書店員さんが対応していたが忙しそうだ。聞こえてくる会話から推察するに、どうやら本の予約や取り寄せなどの相談を受けているようだ。すると「少々お待ちください」の声が聞こえ、うち1人の方は2階へと去っていった。店員さんは1人になったが、そちらではまだ相談対応中。次の予定もなかった僕は、静かにスマホを取り出そうとした。

その直後、店内はささやかな音楽に包まれた。きっと一度は耳にしたことがあるであろう、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ(Jesu, Joy of Man's Desiring)」だ。唐突感はなく、さほど違和感は感じない。時報のような、きっとこの書店にとって、そういう時間なのだろうな、と、レジで並ぶ僕は想像する。するとすぐに、奥から書店員さんが登場。一直線にレジに向かい、「どうぞ」と呼んでくださった。その引継ぎはとてもスムースでストレスもない。僕はその店員さんのもとへ向かい、会計を済ませ、店を出た。

さて、店を出てから僕ははじめて気づく。
店員さんが席を離れてから別の方が来られるまでに、「店員呼び出し」のアナウンスがなかったことに。
ごく自然に、代わりの店員さんがレジに来たことに。

そこではじめて、その音楽の意味に気づいた。

よく行くスーパーマーケットでは、レジの混雑状況を見てアナウンスがかかる。「業務連絡 〇番 レジお願いします」などといったものだ。それを聞き、奥からスタッフさんが登場し、レジを増設してくれる。それが普通だと思っていた。

しかし、アナウンスが聞こえるのは、「聞かせたい人」だけではない。アナウンスは平等であり、「聞きたくない人」にも聞こえてしまう。ポイント5倍キャンペーンや生鮮食品のセールなど、日常的に「言葉」が飛び交っているスーパーならまだしも、ここは書店。静かに過ごしたい。いま手に取る本が自分に合っているか確認したい。本に集中しているときに、突然のアナウンスがかかるとそれは、ノイズになり得る。集中を切らしてしまう。もしかするとそれをフックに、本への関心も離れてしまうかもしれない。その人の、折角の本との出会いが失われてしまうかもしれない。

だからこそ、何気ない、気に留めることも少ない「音楽」を暗号に、「周りに気づかせずに」さっと気づく。そして行動する。
その気遣いに、心を動かされた。

そういえば、以前ある人と話したとき、似た事例を聞いたことがある。
その人はとあるショッピングセンターでアルバイトを行っていたのだが、雨が降ってくると自然にある曲がかかるという。雨をテーマにした曲が流れることで、雨が降ってきたことに気づき、それに応じた準備を行う。「雨が降ってきました」という言葉を用いずに、さりげなく裏で動いていることに当然客は気づかない。でもきっと、それでよいのだ。知られる必要がない人に、知られる必要はないのだから。

気づかせずに、気づくこと。
いま、事例として認識しているのは上記の2点だ。
だが、日常生活の中にはきっと、たくさん溢れているのだろう。
ちょっとした変化が起こった際、きっとこれが「仕組み」なのかな、なんて考えてみると、何気ない日常もちょっと面白いものになるかもしれない。

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