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川瀬 悠/悠牧豚

法人名/農園名:悠牧豚(ゆうぼくとん)株式会社
農園所在地:富山県富山市
就農年数:7年
生産品目:養豚、食肉加工・販売(ソーセージ、生ハム、ローストポーク)
HP: https://yubokuton.stores.jp/

no.186

障がいを持つ息子の成長と将来を考えて…。北陸で28年ぶりの新規就農、放牧養豚農家に!

■プロフィール

 非農家出身。5歳から高校までを富山で過ごし、県外の大学へ。

 卒業後は富山に戻り、広告代理店を起業。その後マーケティングに転向し、市場調査・分析、販路開拓を手がけるうちに、顧客の一人から「マーケティングの専門家なら、ウチの野菜を売ってほしい」と依頼されたことがきっかけで農業におけるマーケティングの必要性を感じ、農業に向き合うことに。

 東日本大震災の後、福島の農業法人で3年間の研修を経て、再び富山に戻り、2016年、畜産農家となる。

2017年 全国植樹祭とやま出展、天皇陛下の晩餐会食材にノミネート。
2018年 大手百貨店ギフト掲載。
2019年 ANA国際便ビジネスクラス機内食採用。
2020年 富山市四ツ葉町に加工場兼出荷場設置。
2021年 直売所オープン、同年10月食べチョクごはんに登場。
2022年 富山市ふるさと納税返礼品に採択。

■農業を職業にした理由

 マーケティングリサーチの仕事をするなかで、農業そのものに可能性を感じていた。

 三男が半身麻痺の障がいを持っていることもあり、農福連携が推進される状況で、農・畜産業であれば、息子と過ごす時間も比較的自由に取れるうえ、将来的には障がい者雇用の受け皿にもなりうると考えたからだ。

 自身が生産者になる道も模索しつつ、コンサルタントとしてクライアント相手のマーケティングの仕事を続けながら可能性を探っていた時期に東日本大震災が発生。

 翌年、当時の取引先の紹介を通じて、まずはマーケティングの仕事として福島の農家に赴任。農業法人での3年間の実績があれば農家になれるので、3年を目安にサンチュやレタスなど葉物野菜を水耕栽培していた農業法人「株式会社ふるや農園」でお世話になることに…。

 ここではマーケティングの仕事や販路開拓などを担当すると同時に、イチゴ栽培を学んだが、その時に食物残渣を餌にする養豚を知った。研修先では養豚技術を学ぶとともに、「豚は経済動物として生まれた以上、いつかは肉になる。家畜であっても生きている間は少しでも幸せに過ごさせるべきだ」という考えを教わった。

 2016年に富山に戻る際も、当初はイチゴの生産を検討したが、施設栽培は初期投資の費用がかかることや、地元にはすでに競合する生産者がいることもあって、研修先で学んだ放牧養豚を選択。富山では28年ぶりに新規就農した養豚家として注目を集める。

 放牧肥育では、スペインのイベリコ豚やハンガリーのマンガリッツァ豚など、欧州のブランド豚同様、雨風を凌ぐ小屋だけで24時間フルで放牧させている。

 通常より肥育期間は1.5倍ほど長くかかるが、その分、ストレスなく健康で、肉質は赤身の旨味が濃いとして、多くの有名レストランのシェフらから支持されている。

 また、国際線の機内食に採用されたり、大手百貨店などで取り扱われているほか、自身でもハムやソーセージなどを委託加工し、販売を手掛けている。

■農業の魅力とは

 何よりの魅力は、ライフバランスのハンドルを自分で握っているということ。つまり自由が効く、ということです。

 自由と言っても「遊べる」ということではありませんよ。やるべきことをするための時間を自由に作れる、ということです。

 私の場合、障がいを持つ子供のための時間を作りたい、というのが第一にありましたから、そのためにこの仕事を選んだのは正解だと思っています。

 でも、たとえば独身の方であれば、春から年末までしっかり働いて稼いだら、冬の間はウィンタースポーツに明け暮れたり、南の島に行くこともできる。雪がない土地なら通年で仕事ができますから、また時間の使い方は変わるでしょう。

 もちろんリスクはありますが、そうやって自分で時間の使い方を組み立てられるのは、ほかの仕事ではなかなか得られない充実感なのではないでしょうか。

 3年間の修行で、当時も今も風評被害の大きかった福島県で豚肉のブランド化ができるなら、富山だったらさらに良いものができるだろうという確信がありました。

 そこで全国食の六次産業化プロデューサーの資格をとりました。単に生産して六次化して終わりではなく、豚を中心に地域の活性化に貢献したいと思っています。

■今後の展望

 現在の大きな課題は、飼料代の高騰です。すでに数年前に比べると2倍近くになっている。生産原価があるなかで、付加価値をつけて肉の価格を上げるにしても限界があります。さすがに、豚肉が牛肉の値段を超えたら客も離れるでしょう。どうすれば原材料費を抑えられるかは養豚農家としては大きな課題です。

 その点については現在、飼料の内製化を試みています。弁当屋やりんご農家などから食品残渣を貰い受けて飼料にするほか、自分たちで豚の餌になるかぼちゃやとうもろこし、さつまいもなどの栽培もやろうかと…。こうした取り組みは、個人ではなく近隣の農家とも協力しあって進めていきたいと思っています。

 もう一点、就農を考えるきっかけであった障がい者雇用ということについては、障がいのある三男が18歳になる時、つまり2027年頃までに何らかの形にしたいとは考えています。もちろん、本人が他の職業を希望するなら応援しますが、受け皿としては準備しておくつもりです。(文:沼田 実季)

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