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好きをこじらせた話#2

大学では少なからずすごいひとに出会った。たとえば、3つのサークルで活躍する先輩は生物と政策の2つの分野で卒業論文を書いているし、高校生のころから貝を研究をしている後輩はすでに学会で発表を行っていた。同期もボランティア活動をしながら自分の行きたい研究室を目指していたり、毎週のように海へ採集に出かけたりしていた。

奨学金を獲得して、アルバイトと学業を両立している人もいる。わたしはただただ彼らの熱意やバイタリティに圧倒された。一方で、なまこに興味があると公言しているひとには出会ったことがない。それをいいことに、わたしは「なまこが好きです!」と自己紹介がわりにして、ちょっと得意になっていた。
 
3年生の後半には卒業論文を書くためにどこかの研究室に入ることになる。幸い、希望どおりの研究室に入ることができた。そこの教授は、わたしがなまこを研究の対象にしたいと話すと、快く受け入れてくれた。

彼の専門は、卵か受精し、成長して成体になるまでの「発生」だが、それだけでなく、摂餌などの行動を研究するドクターの学生も指導していた。テーマも対象にする生物も教授が指定することはなく、学生が好きなことを自由にやってよいとのことだった。

そこで初めてわたしは、自分がいきものは好きだが、たとえばなまこのどういう点について調べたいのか、なにを解き明かしたいのか、まったく考えていなかったことに気がついた。

いくらなんでも、「なまこの生態」では漠然としすぎている。卵から成長を見たいのか、生息域を知りたいのか、それとも体の構造を知りたいのか、などもっと狙いを絞らなければならない。しばらくして、もともとなまこが動いているのを見て興味をもったことを思い出した。ならば行動に関することにしようとしたが、はっきりとこれだと言えるものは考えつかなかった。
 
もちろん、卒論で何を書くかは4年生になってから決めれば問題ない。しかし、まわりの同期を見るとすでにやりたいことややるべきことの方向を定め、まだ3年生なのに調査や実験にとりかかるか、遅いひとでもその準備を始めているようにみえた。わたしだけがなにもしないまま、ただ時間だけが過ぎていくような気がした。
 
とりあえず、研究の対象だけはなまこに決めて、採集に行くことした。磯に着いたら、かたっぱしから岩を持ち上げて探し、岩を戻してはまた探す。岩の下にいて砂の上に転がっているのは楽に採れる。でも、岩の裏にはりついているのはなかなかはがせない。

無理やり取ると、もげた管足だけ岩にそのままくっつきっぱなしになる。ダメージは最小限に抑えたい。実験の材料にするならば、できる限り健康な状態で採集しなければならない。それにこころが痛む。干潮の間に、なんとかニセクロナマコという管足の先が白く全体が真っ黒ななまこを2匹つかまえた。
 
しかし、何度かほかのひとと採集に行くうちに、わたしはいきものを見つけるのがまわりの人より明らかにへたくそだとわかった。肝心のなまこが見つけられないのだ。最初の2匹はビギナーズラックだった。

教授や先輩にアドバイスを受けて、必死に探した。それなのに1匹も見つけられない日も多かった。自力で採集したのは同期が研究しているたこのえさ用のやどかりだけというときもあった。実験で使うなまこはほかのひとからほとんどを提供してもらった。ありがたいが情けなかった。
 
わたしの好きはちっともみんなのあしもとにも及ばないと感じた。知らぬ間に自分のできなさを責めて、ほかのひととの違いを悪い方向に解釈し続けていく。たまっていた澱のような不安とコンプレックスが噴出した。

大学にいてもそわそわするばかりでなにも手につかない。図書館で過去の論文を調べていても、途中で1時間もしないうちに止めてしまう。研究室にいても場違いな気がして自席にもろくに座らず、逃げるように退出する日が続いた。
 
わたしは採集にも研究にも向いていないのではないのか、なのになぜここまできてしまったのだろうとそんなことばかりが頭に浮かんでくる。個性のある特別なひとになりたくてキャラづくりみたいな感じで、なまこを好きだと言っていただけではないのかと自分を疑った。しまいには、ほんとうはいきものにたいして興味もなく、そんなに好きでもないのだろうとさえ思い始めた。

※こちらは「自分を緩ませて解きほぐす文章を書くための1ヶ月オンライン執筆教室」で添削及びコメントいただいたものを反映させ、掲載しています。